2-5

「……という症状なの。ごめん……あんまり理解できないよね」


 私が今分かっている症状についてすべて伝えたつもりだけれど、初めてこの話を聞く人からすれば、半分も理解してもらえないということは予想していた。ぶっちゃけ私自身、この症状についてはうまく飲み込めていないのだし。

 案の定、瑠伊は「うーん」と唸りながら腕組みをし始めた。

 私から聞いた話を、彼が持っている記憶障害の知識となんとか結びつけようとしている。その姿に、それほど私の話を真剣に聞いてくれたのだと分かってちょっと嬉しかった。


「うん、ごめん、分からん!」


「へ?」


 あまりにも堂々と身も蓋もない感想を言われて、こちらのほうがぽかんと口を開けてしまう。やがて、遅れてやってきた「そりゃないでしょ」という感情に、目の前の男を疑り深い表情でつい見てしまう。

 いやいや、待って。

 さっき、話してもきっと信じてもらえないし理解もしてもらえないだろうって予想したのは自分でしょ、夕映。冷静に、冷静に……。

 さざめき出した心をなんとか落ち着かせようと、すー、はー、すー、と大袈裟に深呼吸を繰り返す。

 だが、私の焦りとは裏腹に、瑠伊が「分かんねえけど」と冷静な声色で続けたので、驚いてそっと彼に視線を注ぐ。


「夕映が嘘をついてないってことは分かるよ」


「え……?」


 聞き間違いかな、と思い、もう一度彼の顔を見つめ返す。

 そこにはこれでもかというぐらい真面目で神妙な面持ちをして、まっすぐに私を見据える彼がいた。


「夕映がこの症状のことすげえ悩んで、俺にいま打ち明けてくれたことも分かる。だから、そりゃ簡単には信じられないけど、夕映の話を信じたいと思うよ」


 鳥の声も、草木が風に揺れる音も、時折通り過ぎる車のエンジン音も、何もかも聞こえなくなった。「信じる」と言ってくれた彼の言葉が、胸のいちばん奥深いところまで浸透していく。


「ありがとう」


 心の底からほっとしていた。この奇天烈な症状について彼に話して、頭のおかしいやつだと思われたらどうしようと不安でたまらなかったから。出会ったばかりだし、ここで縁を切られたらいやだな——と考えていた自分がいることに気づき、はっとさせられる。

 私、友達はつくらないって決めたのに。

 それなのに、瑠伊が目の前からいなくなるかもしれないと思うと、どうしてこんなにも胸が疼くのだろうか。


「あのっ」

「あのさ、夕映」


 二人同時に声を上げたことで、顔を見合わせる。発言のタイミングが被って、なんとなく気まずい空気が流れた。


「あ、先に、どうぞ」


 遠慮して瑠伊に話を促すと、彼は「ああ」とちょっとだけ申し訳なさそうに、しかし堂々と話し出した。


「その記憶障害のこと、結局家族に話したか? SNSではまだだって言ってたけど、あれからどうなった? 病院とかは?」


 当然の疑問だった。私は、ゆっくりと首を横に振る。


「あーだろうな。そうかなって思って、聞いてみた。話した方がいいぞ」


「でも……話してもきっと、信じてもらえないと思う」


「そうか? 医者はともかく、家族は信じるだろ。赤の他人の俺が信じたぐらいなんだから」


「それは、瑠伊が優しいからで……」


「夕映のご両親は優しくねえの?」


「いや、そういうわけじゃないけど」


 彼の言葉を聞きながら、頭の中で両親にこの症状を打ち明けるところを想像する。二人が驚いて、それから心配そうに私を見つめる姿が容易に思い浮かんだ。


「信じる、信じない、の前に、心配かけるのが嫌なの」


 あの震災で優奈が亡くなった時、私の取り乱しようは凄まじかった。


『いやだ、今日も学校に行きたくない』


 被災した後、街のところどころが壊れかけ、とてもじゃないが通常の生活ができなくなった。避難所での生活を強いられる日々。学校も一ヶ月間は休みになっていた。

 授業が再開してから、避難所から家へと帰宅した後も、私はずっと家に引きこもっていた。学校に行けば、いやでも友達だった優奈のことを思い出してしまう。行かなくたって十分すぎるぐらいに、頭の中は彼女のことでいっぱいだったのだけれど、心が学校に行くことを拒否していた。


 ご飯も喉を通らなくなり、みるみるうちに体重は落ちていった。夜眠る前、被災した記憶が全部消えてしまえばいいのにと震え続けた。さすがに見かねた両親が私を精神科へと連れて行き、抗不安剤を処方してもらった。食事は必要最低限のものだけをとるので精一杯だった。


 その時、両親に多大な心配をかけてしまったことは、聞くまでもない。

 部屋に閉じこもっている私に、母はめげずに食事を届けてくれた。父も、仕事で忙しい中、朝と晩には必ず毎日私に「今日は調子はどげん?」と声をかけてくれた。

 二人の優しさに、ひたひたになった心がしゅんとしぼんだり膨らんだりして、身動きがとれなくなっていた。


『夕映、高校は県外の学校に通ってほしいと思っとる』


 時が経つにつれ、少しずつ食欲を取り戻していった。中学三年生の秋に、母と父に呼ばれてリビングで引越しの話を受けた。


『県外? なんで?』


『お父さんの転勤。慣れ親しんだ場所から離れて不安やろけど、ついてきてくれる?』


『……分かった』


 本当は父の転勤が原因ではないってことは、薄々察していた。

 二人とも、私がこのまま福岡ここにいたら、回復しないと思ってるんだろうな……。

 本音を言うと、母の言う通り福岡から離れたくない気持ちでいっぱいだった。だってここには、優奈との思い出があふれている。思い出して辛いというのは確かにそうだけれど、それと同じぐらい、忘れてしまうことが怖かった。

 被災した記憶は消してしまいたい。だけれど、親友との思い出は、消えてほしくない——。

 自分勝手な願いがぐるぐると頭の中を駆け巡る。だけど、これ以上両親に心配をかけたくなかった私は、結局引っ越すことに同意した。

 もう二度と、友達をつくないことを胸に誓って。


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