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不思議なことに、翌日も、またその翌日も、私は身に覚えのない現実の映像を頭の中で再生するようになった。と同時に、朝起きたら頭がぼうっとしていて、
何を忘れているのかすら分からないことが多かった。けれど、例えばこの間みたいに母に「昨日、スーパー行ってくれてありがとうね」と言われて思い返してみると、スーパーに行った記憶がない、というような現象が起こっていた。母に心配をかけるので、その場はなんとか曖昧に誤魔化してやり過ごしたけれど。母や、学校の先生、クラスメイトが私の過去の行動について言及する時、私はそのことを覚えていない——そんなことが度々起こった。
「ねえ、最近の綿雪さん、やばくない? 宿題やったこと忘れて怒られるなんて、アホにも程があるって」
「忘れ物もひどいよね。先生が何回も忘れるなって言ったものを平気で忘れてくるんだから」
「綿雪さんって大人しくて優等生っぽいのに、抜けすぎててびっくり」
学校では私が忘れっぽくて、間抜けな人間だという噂が広がっていく。
周りの人たちの発言で、自分が過去の記憶を失っていると知った時、決まって身に覚えのない映像が頭の中に流れ始めた。
行ったことのない観光地に遊びに行ったり。
テストの点数で過去最低点を取って落ち込んだり。
知らない男子生徒から告白されたり。
とにかく、今まで自分が経験したことのない想像が、確かなリアリティを持って胸に差し迫ってくるような感覚に襲われた。
その中には、以前湖畔で少年と本当に出会った時のように、実際に後から経験するものも混じっていた。
五月の中間テストで、過去最低点を取った。
下駄箱に手紙が入っていて、体育館裏に来てと言われて行ったら、隣のクラスの男子に一目惚れをしたと言われた。
二つとも、私が以前頭の中で映像として見た未来だった。
反対に、向井さんに「最低」と言われたり、行ったことのない観光地に遊びに出かけたりする現実は訪れなかった。
何度か同じことを繰り返して、ようやくなんとなく、自分の身に起こっていることを理解する。
私はたぶん、日々過去の記憶を失う代わりに、未来の断片的な記憶を見ている。
未来の記憶は必ずしも現実に起こることではなく、
はっきりと分かったわけではないが、経験上導き出された一つの可能性に、絶句してしまう。
一体どうして。
私は過去の出来事を忘れて、未来の記憶を見てしまうんだろう。しかも、未来の記憶は時系列もランダムで、必ずこれから経験する記憶というわけではない。
怖くなって、スマホで「記憶喪失 症状」と検索をかけた。しかし、自分と同じ症状の例を見つけることはできずに、スマホをベッドの上に放り出す。
【怖い。私、記憶喪失になっちゃったみたい。でもあまりに特殊すぎて、親にも相談できない。明日が来るのが怖い。また大切な記憶を失くしちゃうから】
【勉強を頑張ったって、忘れちゃうなら意味ない。学校も行きたくないな……】
【趣味でやってた小説の執筆も、記憶がなくなるならできない。頭の中で考えた設定がなくなってしまうなら】
【友達だってつくりたくない。忘れちゃうし、いつか訪れる別れが怖い】
匿名アカウントのSNSで心のうちをぶちまける。ほとんど誰もフォローなんてしてなくて、プロフィール画像も初期設定のままだ。アカウント名はひらがなで「ゆえ」。心が不安定になった時にこうして本音を書き綴るのに使っていた。去年、大地震に見舞われてからここでつぶやく頻度が格段に増えた。
【誰か助けてっ……】
「助けて」と綴った時、どういうわけか頭の中に真白湖で出会った少年のことが思い浮かんだ。
ベッドの上に寝そべって、身体の中に溜まった澱を吐き出すように、大きく深呼吸をする。そのまま目を閉じてじっとしていたのだけれど、眠ってしまうのが怖くて、再び目を開けた。
寝てしまったらまた、大切な過去の記憶をなくしちゃうかも……。
未来の記憶を見るのも、未来が決まってしまうようで嫌だな……。
そう思うと、現実逃避のために眠りにつくことも怖かった。
どれくらい時間が経っただろう。
チ、チ、チ、と時計が秒針を刻む音がやけに大きく聞こえるなと感じていた時、マナーモードにしていたスマホがぶるりと震えた。
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