第6話
運転している間、動悸が止まらなかった。
頭の中でグルグルと考えを巡らせていた。
家に到着した美咲は素早く車を駐車場に停め、慌てて車を降りた。
『何、あのセミ…同じセミ?
あの朝見たのも?えっ…もしかして部屋にいたのも、同じ…?』
まさかとは思うがキョロキョロと辺りを見回して、人もセミもいないことを確認してから玄関のドアを強めに引いて、勢いよく家の中に滑り込んだ。
バタン!と強く閉められたドアの音に驚いて、母が慌てて玄関までパタパタとやってきた。
「美咲?帰ったの?どうかしたの?!」
顔色悪くただいまも言わず、玄関の上り口に倒れこむように崩れて座った美咲の姿を見て母は嫌な予感がした。
というより、なんだろう…前に経験している気がする。
『怖い…』
嫌な体験や辛い出来事についての記憶が抜け落ちることがあるが、美咲はその出来事を記憶の中から≪無かったもの≫としていたので≪前に何があったのか≫が結びつかなくて今までモヤモヤしていたのだった。
急に五年前の出来事がフラッシュバックした美咲の顔から一気に血の気が引いた。
見られている…追われてる…狙われている…
自分の両腕で身体を抱きしめ小さくうずくまり、恐怖におびえ震える姿を見た母が、美咲の隣に膝をついて美咲をギュッと抱きしめた。
「大丈夫よ、大丈夫」
身体に力が入って固まってしまった美咲を安心させようと、母は抱きしめながら美咲の背中を優しく撫でた。
「どうした?美咲か?」
陽太が二階から顔を覗かせた。
そして玄関で美咲を抱きしめている母の姿を見てハッとした。
陽太は勢いよく階段を降りると、血相を変えてルームシューズのまま玄関の外に飛び出した。
まだ昼間の熱を抱えたままの夕暮れの風がニイニイゼミの「チーーー」という鳴き声を乗せて、陽太にまとわりついてきた。
外はこれから濃紺の夜を迎える前の、薄紫が混じったカクテルのような空の色をしていた。
「どう?少し落ち着いた?」
美咲の前に温かいカフェオレの入ったマグカップをコトンと置きながら、母が尋ねた。
「うん…」
美咲の視線はテーブルを見つめたままだった。
「もうヤダ…外に行きたくない、会社にも行きたくない…」
母はこんな時、自分の無力さを痛感するしかなかった。
何を言っても、どんな言葉をかけたとしても正解はないし解決にはならないし、反対に美咲を傷付けてしまうかもしれない。
向かい側に座った母は、ただ黙ってそばにいることしかできない。
LIMEの電話の着信音が鳴る。
侑真からだ。
〔セミが怖い〕という美咲からの短いメッセージを受け、仕事が終わってすぐに電話をかけてくれたのだろう。
「もしもし…侑くん?」
と言ったとたん、涙が止まらなくなり話が出来なくなる。
母は椅子から立ち、その場を離れた。
その場にいたら美咲が落ち着いて話せなくなると思ったからだった。
「美咲?今からそっちに向かってもいい?」
美咲は涙と鼻水で声を詰まらせながら
「うん、うん…」
と答えた。
二十分くらいして侑真が到着した。
母がリビングに侑真を通し、少しの間美咲と二人にしてくれた。
そして何があったか尋ねる侑真に美咲は、以前ストーカー被害を受けていたこと、その人が死んでしまったこと、自分が病んでいたこと、今までの出来事を涙でところどころ詰まりながら話した。
侑真は
「よく話してくれたね」
と言い、
「美咲から話してくれるまで、僕からは前にあったことを聞かないって決めていたんだ」
と続けた。
驚いた表情の美咲に、侑真が
「黙っていてゴメン。僕がその話題を噂で聞いていることを言い出せなかったのもあるけど、美咲に嫌な思いをさせたくなかったんだ。でもこれでお互い隠し事はナシだ。それとセミのことも会社の人に言われたことも、もっとちゃんと気にして聞いてあげられてたら良かったのに…怖かったね、ごめんね」
と言った。
そして、「あっ」と小さく思い出した声をあげた。
「付き合ってすぐくらいに、僕も虫が苦手なのは話したことあったと思うんだけどさ。だから自分が陽太さんみたいに虫退治ができるか、本当のところちょっと自信はないんだ…」
これも話しておくね、と正直な侑真らしく自分の弱い部分も美咲に話してくれた。
「でも、いざとなったら美咲を守れるように頑張るよ!」
と力こぶを見せるポーズをして美咲を笑わせようとした。
侑真の、そんな気遣いが美咲は嬉しくて少し笑ってまた泣いた。
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