第9話
聖女ウィカ殺しの動機をたどれば、ザナへの恋慕があった。
彼女はザナを愛している。
「貴族と聞けば金持ちで椅子にふんぞり返っているだけのように思えるだろうが、貴族騎士のあり方は古代的な貴族のそれに似る。わかるか? いわゆる怪物性の強い権力者だった。戦と狩りを遊びのように常とし、自身の退屈と労苦を悪とする、非理性的な存在だった」
「歴史の授業なんて今受けたくないよ。……政治には絶対向かないな」
「まあそうだろう。略奪は兵や民を養うもの。都市や村を焼き払い、奪うことは茶飯事だったのだよ。今の時代でやればバッシングものだが、いずれ必要になるときがくる。だが、そんなことはどうでもいい」
はるか昔に、時代の移り変わりで貴族のあり方に方向転換を迫られた。
そこから時が流れ、エネリが生まれた。
教育は受けるものの、彼女の内側にある血は今にも感情を爆発させそうだった。
そんなときに出会ったのだが、同じ系譜の血を引くザナ・ヴィントハイムだったのだ。
彼女は歳の離れたザナに心を奪われる。
そろそろ権力を盾に辻斬りでもやろうかなと考えていた彼女を『愛』に生きさせたのが彼だった。
「若様は私のすべてになった。若様のすべてを守ることが私の人生そのものになった。誰にも渡さない。誰にも穢させない。……若様は私の隣でずっと幸せに微笑んでおられればよい」
「なるほど、それで聖女ウィカを殺したということか。相思相愛だったらしいか────」
刹那、剣風による圧がマヌスの横の地面をえぐり切った。
黙れというようにエネリが切っ先を向けたまま続ける。
「なにが、相思相愛だッ! わけのわからん教団に属する女が、若様に媚びただけだろうがッ! 若様は、あの女にそそのかされたんだ。だから排除した」
「それが殺害の理由か。アンタ、もう立派な『怪物』だよ」
「怪物か。フハハハハハ。そうかもな。でもすがすがしい気分だよ。私の選択に後悔はない。私の判断に狂いはない。なるほど、奪う。これが、奪う喜びというやつか。ハハハ、アッハッハッ!」
ケラケラ笑うエネリに軽蔑の眼差しを送りつつ、
「────と、言っているが、どう思いますか? ザナさん」
「ハハ────え?」
エネリの背後の木の陰にいたザナにふる。
ハッとなったエネリは勢いよく振り向いた。
さっきのバケモノ面がウソのように、ワナワナと震えながら彼を見やる。
「若、様…………? いつから、そこに?」
「つい、さっきだよ」
「まさか、さっきの話を?」
ザナはうつむいたまま小さくうなずいた。
薬の効果が思った以上に早く切れたようで、傍にいなくなったエネリを探していたらしい。
口止めしていた
マヌスにとっては最高のタイミングだった。おかげでエネリは戦意喪失したらしい。
「エネリ…………君が、ウィカを……」
「あ、あの女がッ! あの女がいけないんですッ! 若様をたぶらかして……私よりもおしとやかで、綺麗で、そのくせ誰にでも優しいくせに若様に色目つかって……! 若様はあの女に騙されていたんです! 若様を真に守れるのは、このエネリだけです!」
エネリが一歩近づいた。同時にザナも一歩退いた。
逃げないで。捨てないで。エネリの目がそう言っているようで、初めて見るそんな彼女の姿にザナは気持ちを処理できない。
なにより信じていた人が、愛する人を殺害したなど。
ふたりの感情がぐちゃぐちゃになっていくのを感じながら拳銃をしまったときだった。
ゾロゾロと奥の方から教団員が信者たちを従えここにやってきた。
「な、なに!? アンタらは教団の…………!」
「おお、貴殿が探し屋の。諜報部より報告は受けている」
「……なるほど、ザナさんがウチへ来たときからすでに」
「うむ、聖女候補を決めていたのだが、ヴィントハイム家のご子息の熱意は相当なものだ。貴殿が迷いなくここへ来たことで、もしや……と思ってな」
「この泉になにかあるので?」
「泉というよりも……この『大樹』にだ。私は長らくこの土地に住んでいるが、この泉にこんなものがあるなんてのは聞いたことがない。だからピンときたんだよ」
「ピンときたって、なにが? どうも要領を得ない。この大樹が突然現れたら、教団にとってなにかマズいことでもあるのかな?」
「逆だよ。ちょうどいい。貴殿にも見せてあげよう。────『聖女の奇跡』を」
この言葉にマヌスはもちろん、エネリもザナも驚愕の表情にかたまる。
代表に連れられ、大樹の前までくると彼は上のほうを指さした。
「あれは……まさか"聖女ウィカ"なのか!?」
「ぁ、ウィカ………?」
「そんな、ありえない」
幹割れというのだろうか、樹皮が左右に大きくめくれて内部が見えている部分がある。
ヒト型に盛り上がるように"それ"は存在した。
明らかに女性の形をしたそれは天を仰ぎ見るようにして…………。
「
代表の言葉にほうほうから歓声があがる。
誰も彼女の心配をしていない。
それが当たり前であるかのように。
「いいかねエネリ、正直な話、我々にとって貴様が聖女ウィカを手にかけたことなど、もうとっくにどうでもいい。聖女とは愛を知ることで死後に奇跡を起こせるのだ。愛が、彼女をより神聖なものへと目覚めさせた! ────憎悪? 絶望? いいや、『尊敬』と『祝福』しかない。この場にあるのは新たなる聖域への光だけだ」
いびつな笑みを見せる代表の顔に一点の曇りはない。
本当にエネリの蛮行などどうでもいいと思っている。
彼女は両膝をついてうなだれ、ザナは茫然としたまま大樹に寄り添った。
「ウィカ………僕が君を、愛したから…………」
「ご子息よ。そう嘆くことはない。奇跡が現れるということは、その愛が本物だったという証なんだ。嘘偽りのない、互いが互いを思いやるその心。これは皮肉でもなんでもない。死別とは辛いものだ。彼女ももっと君と一緒にいたかっただろう。…………だからこそ、この奇跡を君も祝福するべきなのだ。ここはいわば、君と聖女、ふたりの愛で作り上げた楽園なのだよ。この土地の権利は今、教団とヴィントハイム家にある。君が守るんだ。我々と一緒に」
「僕が、ここを?」
「そうだ。ここをどこぞの馬の骨ともしらん連中に荒らさせていいのかね? いいわけがない。なんの教養もない連中がこの大樹を見ればたちまち穢すことになるだろう。これを防ぐことができるのは、彼女を愛した君以外に考えられるか? さぁ、私の手を取りたまえ。ともに戦おう。この聖域を、聖女ウィカを守ろうではないか」
「ぁ、ぁぁ…………」
マヌスは踵を返してその場を去った。
見ていられない。それに、仕事は終えた。
その後あのふたりがどうなろうと知った話じゃあない。
夜の帳が落ちる中、彼はひとり街のほうへと歩いて行った。
聖女の奇跡の元となるもの、それは東の海の向こう側にある思想に由来しているのではないか。
おそらくだが、『五行思想』と言われるものだったり『輪廻転生』あたりがモチーフだろう。
万物は互いに影響を与え合い、ときには姿形を変えて巡りゆくもの。
聖女はその依り代なのだろう。
聖女ウィカの『生命』は奇跡により木へ『転生』した。
そういえば聞いたことがある。
聖女の加護をふんだんに受けた聖剣の話を。
もしかしたらその聖剣は金属に転生した聖女を鋳溶かして作られたものではないか。
そう思った直後に背筋に嫌な冷気がほとばしる。
考えたくもないことだが、あの教団はああして聖女を捧げることで、信者や領域を増やしているのだ。
(わたしの能力も大概だが…………連中の信じる奇跡も、頭のネジがぶっ飛んでるな)
聖女の思い出はたしかに、それは一般女性と変わらない甘酸っぱい青春を秘めたものだった。
神秘は運命となって彼女を蝕んだのか、それとも、彼女自身そんな運命を受け入れたがゆえの結末だったのか。
それを語る聖女はもういない。
あの大樹に残る思い出の世界へ入ればわかりそうだが、それ以上は野暮だろう。
深く呼吸するマヌスの背後でまだヤンヤヤンヤと聞こえてくる。
仄暗くなる空の向こう側に街の明かりが見えてきた。
そんな中、一番星がなんとも寂しく思えてくるのは気のせいだろうか。
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