第3話

「……ビール」


 行きつけのバー。

 カウンター席の隅側に座り、いつものオーダー。

 ウイスキーやらワインは飲まない。

 仕事終わりの夜はいつもビールで、この席と決めている。


 ひとりで静かにこうしている時間が心地よい。

 だが今日はどうも男女の客が多いらしい。


 身なりの整った男と美麗な女性が静かにお酒を飲みながら談笑する姿がチラホラ。


 視線を少し向けていたが、ビールがきたので見るのをやめた。


「…………ふぅ~~~」


「こちら、どうぞ」


「ん、ナッツか……おつまみは頼んでないが?」


「サービスです。いつもご利用いただいてますので」


「ふふ、そうか」


「お仕事が大変だったようで」


「仕事はいつものことさ。もっと別のことでね」


「そうでしたか。……少し倉庫を見てきます。ごゆっくり」


「ありがとう。マスター」


 ビールをもうひとくち。

 そして薄明るい照明の中でひとり考えにふける。

 魔術とは違うこの稀有な能力は彼を優越感にひたらせることはない。


 むしろより深い孤独へと落とし込んでいた。

 わたしはこの能力の秘密を知りたい。

 思い出の世界にその答えがあるのではないかと。


 ただしもぐりこめるのは、他人の思い出だけだ。

 この世に神がいるというのなら、なぜこんな力を自分に与えたというのだろう。

 英雄でも天才でもない、ただの一般人に。


「…………」


 気がつけば身体が重く、まぶたがおりて夢の中へと落ちていた。

 夢は大抵きまって『ふたりの女性』の夢だった。


 もう幼いころに死んでしまった母の夢。

 だがもう顔が思い出せない。

 そのせいで顔は黒い影で覆われており、声すらもおぼろげだ。


 だが優しい人だったのは感覚でわかる。

 彼女の姿を見るだけで、安心できるのだ。


 

 しかしすぐに場面転換。

 これもいつもの流れだ。

 いつの時代でどこの都かわからないほど豪華な造りのダンスホール。

 明かりもまばらだがシャンデリアのきらびやかさがより妖しさを増すそんな場所で、白いドレスをまとった女性がいた。


 自分を誘っている。

 マヌスは動けず、ゆっくり近づいてくる。

 両手で彼の頬を包み込み、なにかを語りかけたそのとき、



「────お客様?」


「ハッ!」


 帰ってきたマスターの声をかけられ、勢いよく身を起こす。


「だいぶお疲れのようですね」


「あ、あぁ……。酒の最中に眠ってしまうだなんて、我ながら情けない」


「……ビール、お取替えしましょうか?」


 すっかりぬるくなっていた。

 そんなに眠っていたのだろうか。


「いや、いい。悪いねマスター」


「いえいえ」


 ぬるくなったビールを飲みほし、つまみも平らげた。

 一気に調子が狂ったマヌスは金を払い、店を出る。

 夜の街の雰囲気に酔いしれる人々たちをかきわけるように進んでいった。


 今すれ違う人々の数だけ思い出がある。

 探し屋を始めてもう5年くらいになるか。

 十人十色の思い出にもぐっては、通常の探偵とは別角度で依頼をこなしていった。


 自分は探偵と言えるほど立派な存在ではない。

 思い出の中を蠢く虫だ。


 つねにこの考えがあった。

 ゆえに探し屋。探偵と名乗るにはおこがましいと。

 

「そう言えば、明日は"検査"の日だったな」


 ふと、知り合いの魔導医師のことを思い出す。

 "彼女"とは幼馴染であり、この能力のことを知る数少ない人間。

 いや、もう彼女しかいなかった気がする。

 

 検査とは3ヶ月ごとに行うもので、この能力を調べるためのいかにも魔導的なものになるのだが、そう簡単に成果がでるものではない。

 できれば互いに苦労などはしないだろう。 


「あーあ、うまいビール飲みたかったなぁ。バーで眠るだなんて、らしくないことしちゃったよ」


 虚無的な足取りでオフィスのあるビルへと戻ってくる。

 暗い部屋の中で積み上げた書類や本につまづきながら、ベッドのある狭い部屋へ行った。

 眠りにつくも、例の夢をみなかった。

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