第16話
最近の寒さに、僕は朝が起きられなくなってきた。
包まる毛布は体温と同じか少し温かく、そこから動く気を失わせる。
もう開店の時間だ。だるい体に鞭打って寝返りを打てば、毛布の隙間から入ってくる冷たい空気が僕の意識を呼び覚ます。
いくら魔鉱石が潤沢にあるこの国でも、暖房を起動しないと部屋は寒いままだ。
魔鉱石の年間使用量に応じて税金もかかってくるから、こんな貧乏書店では使える時が限られてくる。
むやみやたらと使うのはもったいないし、僕の寝室だけに使うなんて無駄使い甚だしい。
冷え込む朝を乗り越える為に、ベッドから抜け出して支度を済ませる。といっても、冷たい水で顔を洗い、寝癖を整えるくらいだ。
水桶に映る自分の顔を確認する。今日もまだ、目元のクマがとれていない。
支度を終えれば、二階から一階に下りる頃には意識もはっきりとしていた。
一階に下りて、階段の前にある扉から店舗部分に出る。もちろん開けた扉にしっかりと施錠をする。
ここさえ施錠できていれば、僕の住まいは安全だ。
意識ははっきりしているが、少し眠気が残っていて欠伸が出る。
今日も通運の事務所に籠るのも、何日も続けていれば慣れてきた。
補充用の本棚に狭しと並ぶ本を横目に、書店の裏を歩けば、休憩室の扉が開いているのが目に入った。
「おはようございます!」
「おはよう!」
休憩室から、セイラちゃんとレイラちゃんが顔を出す。
今日の二人の頭には、おそろいの赤いリボンが飾ってあって、太陽のように温かく笑う二人にはよく似合っていた。
五日前から、ゼクラット書店は臨時休業から通常営業に戻った。
マイケルの休暇は終わっていないけれど、ディオネがカーラさんを説得したようで、カーラさんから事の次第を聞いた僕は、持っていた決裁印を落とすくらいには驚いた事を昨日のように憶えている。
「二人とも早いね。おはよう」
顔を出したまま僕の返事を待っていた二人。二カッ。と聞こえるくらいに笑って休憩室から出て行った。
「ディオネ姉ちゃん! ファビオさん来たよ!」
「お寝坊さん来たよ!」
お寝坊さんと失礼な。少しばかり毛布が僕を逃がさなかっただけだ。
参ったな。と頭を掻いて書店の裏からカウンターの後ろに出れば、売り場を走り回るセイラちゃんとレイラちゃんが見える。
「こら、二人とも走り回らないで! 埃が舞うでしょ!」
二人に釣られて立ち上がり、追いかけるディオネの姿も見えた。
三人で動き回っているせいか、奥にいる僕にすら埃が舞っているのが分かる。鼻がムズムズとした。
「ディオネもおはよう」
「おはようございます」
二人を追いかけるディオネは、僕の事などお構いなしにセイラちゃんの腕を掴む。
「もう終わりだから! 次走ったら商会に帰るからね!」
毎日聞いているそれが守られた日はない。
けれど、ディオネの言葉にセイラちゃんとレイラちゃんは遊びの終わりを察して、「はーい」とカウンターの椅子に座った。
「今日は、朝だけ私が店番してから昼からカーラさんが来てくれるみたいですよ」
「そうなんだ。カーラさんも暇なのかな?」
ディオネは本の埃を払いながら、僕に切り出す。
今日の予定を教えてくれるのはありがたいけど、カーラさんが店番をするとは。
それが出来るなら、僕と代わってほしいんだけど。
無理か。決裁印はライフアリーの親族しか出来ない決まりがあったか。
「カーラさん、暇じゃないですよ。昨日だって夜遅くまで仕事されてましたし」
「……そうだよね。皆忙しいよね」
じゃあ、よく店番なんか出来るよね。大して売上も上がっていない書店の経営者代理だからといって、彼女には本業がある。
それに、商会の仕事は多岐に渡る。
僕だって、どこまで事業を拡大しているのか全然知らないし。カーラさんがどの事業を担当しているのか最近は聞いていない。
以前なら、面白半分でマイケルがカーラさんに聞いていたのを僕も一緒に聞いたが、七個くらいの事業を並行して進めていると知った時はあまりからかわないようにしようと心に誓ったのだ。
ちなみに、その七個の事業に書店経営は入っていない。
「ディオネは昼から学園かい?」
「そうです。明後日に最後の試験がありますから。それの試験勉強と講義が一つありますね」
作業を終えたディオネが立ち上がって、カウンターで手遊びをしているセイラちゃんとレイラちゃんの方に歩いて行く。
開店までは少しの時間があった。
「そういえば、ダルダラから私の原稿受け取りました?」
ディオネが二人に開店の準備をするよう話せば、僕の方を向いて数日前に渡そうとしていた原稿の事を聞いた。
……忘れてた。
てっきり、店番を代わりにするとなったものだから、原稿を持ってくると思い込んでたけど違ったか。
「ごめん。まだ受け取ってないんだ」
「そうですか。だったら明日持ってきますね」
さすがに酷いことをしたかな。あの時は寒すぎて彼女との会話を適当に聞いていた。
僕からダルダラさんに渡してって提案したはずだ。
やらかしたなと思って彼女を見れば、あっけらかんとした表情をして僕を見ていた。
「怒らないのかい?」
「怒るって、あの時聞いてるかも怪しいくらいに疲れた様子でしたから。忘れてるかもって思っただけですよ」
「疲れてはいるけど……」
「私が言えた事じゃないですけど、休んでくださいね」
ディオネには僕がそう見えたのだろう。彼女は人間観察をよくするというが、当たっていると思う。どうしようもないけど。
それに、ディオネに休めと言われても。だ。
一番休んでなさそうな人に言われると困ってしまう。
「そうだね。でも……ディオネに言われると困るよ」
「ですよね。私も休むこと、憶えてる最中ですし」
僕が返す言葉に笑って応じるディオネは、カウンターで手遊びをし出した二人を呼んで開店準備を進める。
何も言わなくとも、しっかり準備を進める三人を見ていると、僕もやらないといけない仕事を進める気になってきた。手伝いだけど。
「じゃあ、また明日」
昼には学園へ行くディオネに今日は会うこともない。
早く戻って来られても、店番をしているのはカーラさんだ。
僕の言葉に反応する三人に手を振って、書店の扉を開ければ、中よりも数段と冷たい空気が肌を刺した。
これ程寒いなら、もうちょっと着込んでから出れば良かった。
* * *
寒い季節には、温かいお茶が必要だ。
僕みたいに、朝の支度で服選びを間違えた人には特に必要だ。
通運での最初の仕事は、書店から通運までの行き道で凍えた僕の体を温め直すところだからだった。
幸いにも、季節が僕を味方してくれているのか、荷物の配送依頼が以前と比べて極端に減った。
寒い時期に配送してほしいとものだと思い込んでいたから、こんなものでいいんだと僕だけ拍子抜けた。
「ファビオくーん。私たち先、帰るねー」
「はーい。お疲れさまでーす」
アンナさんが、僕に話し掛けてきた。ちょうど集中して作業しようと椅子に座り直す最中のことで、顔を上げて声の方を見る。
アンナさんの横にはマリーさんもいて、二人して今日は帰るようだった。
「暖房だけしっかり消しといてね!」
「分かってますよ。そっちこそ寄り道して風邪なんて止めてくださいよ」
会議室の扉と開けたまま、アンナさんは帰る時に注意することを大きな声で話し掛けて扉を閉める。
冬になってから、そればっかりを聞かされる僕の耳はもう聞き飽きていた。
会議室に貯まっている書類の塔は変わらず残っていて、進捗については単純に進んでいない。
だけど、それは新規受付を先に片付けていたせいでもあったから、今から僕が放置書類に決裁を押す作業は、ようやくといっていいくらいだ。
今日から、おおよそ四十日以上はかかるだろうこの作業も目途がたつと、頑張れる気がした。
「書店も閉めてるな。この時間は」
朝から昼まで荷運びを手伝って、昼休憩からは会議室で作業をしていた。
曇る窓から外を見れば、すっかり夜になっている。
アンナさんと話すと少し喉は渇いたな。とコップを覗けば、すでに底が見えるくらいにお茶は少なくなっていた。
「さき、お茶か」
と呟いて、椅子から立ち上がる。
軽い立ちくらみも今じゃ慣れた。
胸を張って首を回せば、音は鳴らないけど筋が伸びる感じがして気持ちがいい。
ゆっくりと歩いて会議室の扉を開ければ、よくよく見知った顔が僕の視界いっぱいに映った。
「やぁ、おつかれさん。休憩するの?」
「これのおかわりをしようと思って、……ビクター兄さんも要ります?」
手ぶらで来たビクター兄さんは僕の顔を見て、少し眉をひそめた。目元のクマのことだろうけど、それはビクター兄さんも同じだ。
いつものようにクマが酷い。
「いいのかい? じゃあ、甘えようかな」
「ゆっくり中で待っていてください」
「助かるよ」と言って僕の横を通り過ぎて部屋の中に入っていくビクター兄さんに、アレックス兄さんは代わっていれてくれるんだろうな。と思っても声にはしない。だって、アレックス兄さんのせいでこうなっているから。
盆を持って、二人分のコップを会議室に運べば、ビクター兄さんは僕の代わりに決裁の作業をしていた。
「おぉ、ありがとうね」
「……こっちこそありがとうございます。決裁してくれてたんですよね」
彼の近くまで歩けば、僕に気づいたようでビクター兄さんは作業を止めた。
「ちょっとだけだよ。ファビオの方が速くできそうだけど」
と言って、決裁を押した書類を見て「荷物搬送に送迎馬車手配ねぇ」となんとも言えない顔をしてまた置いた。
椅子に腰深く座るビクター兄さんへ、盆のコップを一つ渡して僕は近場の椅子に腰掛ける。
どうにも、作業が出来る雰囲気ではなさそうだった。
「……少し香りがキツいね」
「変えましょうか? でも、同じだと思いますけど」
僕が答えれば、「いいよ。今日はこれくらいで充分」と温かいお茶をすすって机に置いた。
「……それで? ここに何か用でもあります?」
「別にないよ。ファビオのことが気になってね」
気になってといわれても、何回かビクター兄さんとは決裁書類とか苦情の対応で話はしている。
それでも、今日は僕が気になったとしてもいきなり来るか?
「大丈夫かい? こっちでもファビオの事、心配してる人がちらほらいてね。当然、私も」
「疲れましたよ。ここまで忙しいと」
僕が返した言葉に、ビクター兄さんはなぜか笑う。
よく分からないけど、彼と話していると気が抜けてくる。
「それで、進捗はどう?」
少し真面目な顔をして、ビクター兄さんが僕に尋ねた。
それに、僕は書類が片付きだした辺りを見て、「終わりが見えそうですよ」と返す。
「いい感じだね」と僕の回答に満足したのか、彼はお茶をすすって「これはこれで癖になりそう」と呟いたのが聞こえた。
それについては僕も同感だ。毎日飲んでいたら癖になる香りだ。
それからは、ビクター兄さんとだらだらと時間を潰すように話をした。
アレックス兄さんのことやトレンティアの出張での出来事など。
目に映る書類の塔を極力見ないように、意識しないようにビクター兄さんと話した。
コップのお茶も二人してなくなる頃、ビクター兄さんは椅子から立ち上がって、「そろそろ戻るよ。ごめんね、時間使わせて」と言って「片付けは私がするよ」と僕から盆とコップを取った。
「頑張らなくていいよ」とビクター兄さんは盆に置いたコップを見て続けた。「ほどほどに、自分のペースで。ね」と続けて、優しげに僕に微笑む。
……何というか、今ビクター兄さんに話して起きたくなった。
アレックス兄さんと文通していることとか、色々と吐き出したくなったけど、とりあえずは文通の事だ。
「……アレックス兄さんの手紙にも書いてました。嫌になったらいつでも逃げてって」
アレックス兄さんにはよくない事かもしれないけど、隠し事は良くないかなって思ったのだ。
ビクター兄さんに言った通り、『逃げていいよ。辛かったらビクターに話していいよ。』とも返事に書いていたし。
「そっか。あの人は逃げてばっかだけどね」
ビクター兄さんの言うあの人がアレックス兄さんの事だと分かる。
感慨深そうに、彼は下を向く。
次期商会長の件とか、今の話とか、ビクター兄さんに一番迷惑がかかってると思うけど、どこか嬉しそうに微笑んでいる。
「ビクター兄さんは、僕がアレックス兄さんと文通してるの驚かないんですか?」
正直な話、こんなしっぽりするとは思わなかった。
どういうことだ。と突っ込まれるものだと身構えていたから、ビクター兄さんのその反応には少し困ったのだ。
「驚かないよ、別に。知ってたし」
……知ってたぁ!? うそぉ!?
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