第12話


 通運で手伝い始めてから、もう三十日も経った。

 会議室の書類は順調に減ってきたけど、会議室の外では最初に来た時と同じ量の書類が手つかずで積み上がっている。

 考えたくもないが、現実だ。


 毎日通る所に積んでいる書類の塔を見ないようにしているけど、会議室内の書類がなくなれば、否応なくあれらも整理しないといけない。

 気が遠くなるけど、一旦は僕たち三人の頑張りで、この会議室を本来の用途で使えるようになりそうだ。





 アンナさんからの情報だが、僕ら三人の仕事が順調だからか、商会で手伝っている新規受付の書類を僕らに回そうとしているらしい。どこまで本当か分からないけど。

 もしその話が本当なら。逃げてやる。いや、ビクター兄さんに拳を突き出してやろう。


「ファビオさん、今日の分は終わりました」

「そうなんですか。お疲れさまです」


 会議室ではマリーさんが立ち上がって、今日の分の整理を終えたと報告してくれた。

 一緒に仕事をして三十日程度経っていれば、さすがに彼女と軽い雑談くらいは出来るようになってくる。

 僕から話しかけないといけないけどね。


「明日の分もしましょうか? 色々と整理しておいた方がいいと思うんですけど」

「それは明日でも良いと思いますよ。明日は僕、講義があるんで」


「そうでした。ファビオさん学生でしたね」


 と微笑むマリーさんに、僕は仕分けを止めて自分の頭に手を置いた。


「忘れないでくださいよ。明日は通運に来ないんですから」

 

 けど、マリーさんは本当に真面目によく働いてくれる。

 僕たち三人で朝から晩までこの会議室に籠って書類を整理しているからよく分かるけど、本当に働き者だ。

 マイケルに見習わせたいくらい。


「じゃあ、アンナさんまだ戻ってないですけど、先に失礼しますね」

「今日も助かりました。お疲れさまでした」


「それでは」


 と言って、マリーさんは少なくなった書類を避けて歩く。会議室の扉を開けて、軽く僕に会釈をして出て行った。

 途端に一人になった会議室で部屋を見渡す。


「それにしてもよく頑張ったよ。本当に」


 窮屈だったこの部屋にも、開放感が出来て息苦しさがなくなった。

 まだ決裁の書類の不備とか、一年以上放置していた書類を見つけては、慌ててビクター兄さんやゾトーさんへ相談に行くことは多いけど、畑違いも良いところな仕事をよくしていられたと、自分を褒めてあげたい。

 

 

 

 マリーさんと話して集中力が切れた。

 ふぅ。と一息ついて窓越しに外を見れば暗くなっていた。もう終業時間は過ぎている。


 僕も今日は帰ろうかな。

 アンナさんはまだ商会から戻ってないけど、会議室の照明を消していれば分かるだろうし。

 

 

「そういえば、明日は……アースコット教授の講義か」


 

 朝から講義なのが辛いところだ。

 最近は夜まで通運で仕事をするから、眠る時間が遅くなっている。

 そのせいで朝起きる時間も遅くなった気がするのだ。あくまで気がするだけだけど。


 あと、ゼクラット書店のことも気がかりだし、マイケルが一人でちゃんとやってくれているのか不安になる。

 あまり考えないようにしてはいるけど、職員が当分来られないと知った次の日にはちゃんとカーラさんには相談している。


 彼女も、当然今回のアレックス兄さんの後始末に翻弄されていて、目が血走るくらいには忙しそうにしている。

 マイケルを信用していないカーラさんでさえ、『今はマイケルに頑張ってもらおう』と言うくらいだから、彼女も切羽詰まっているのがよく分かる。

 

 僕にとっては、書店の戸締まりが特に心配で、いつ余計なことをしでかすか分かったものじゃない。

 まして、戸締まりせずに帰るなんて事をすれば、一大事だ。

 僕の寝る場所が実家だけになる。


 それも嫌だ。エリー姉さんが一日中いる場所はなんとしても避けたい。

 

 だが、今のゼクラット書店は、マイケルに頼むしか頼れる人がいないのだ。

 やっぱり、今日はもう帰ろう。どことなく不安になってきた。

 




 

 いつもより少し早めの時間に帰り支度をしていると、会議室の扉の開く音が聞こえた。

 少し散らかっていた書類や備品を片付けていたから、それらをまずは整えて扉の方を見る。

 目線の先には、眉間にシワを寄せたアンナさんがため息をつきながら僕の方まで歩いてきた。

 

「お疲れさまです。どうかしました?」

 

 と機嫌の悪そうな彼女に聞く。

 決裁の書類を持って行く時は、調子よさそうに会議室から出て行ったはずだけど。


「マリーは帰ったんですか?」

「え、あぁ……はい。ちょっと前に帰りましたけど」


 そう返すと、アンナさんは深くため息をついた。本当に機嫌が悪そうだ。

 彼女は、僕の前で止まって両手を腰に当てた。


「ファビオさん、よーく聞いてくださいね」


 と僕の目を見るアンナさんは鋭い目付きのまま続けて言った。


「明日から、新規受付を通運でも再開するらしいですよ」


 なんて? ちょっと待ってよ。

 働き過ぎで幻聴でも聞こえたんだろうか。

 

「もう一回言ってもらってもいいです?」

「だから、明日から新規受付を――」

「明日から!?」


 アンナさんの話を遮ってしまった。声が大きくなって、アンナさんがびっくりした様子で僕を見る。

 だけどそんな事はどうだっていい。

 それが本当の話なのか確認しないと。ビクター兄さんに。


 いやいや、本当なの? 昨日まで「そうなるのは嫌だね」って僕とあなたで話してたよね。

 

「そうですよ。明日からです。ビクター次期商会長からそう言われましたから」

「いやいや、今日の明日ですよ? 今日だってもう終わりですよ?」


 仕方がなさそうに僕を見てくるアンナさんは肩をすくめる。

 眉間のシワはなくなって、悲しそうな表情をしていた。

 

 ビクター兄さんは、僕たちがどれほど頑張って書類と戦っていたか知っているのか?

 

「ちょっと、話してきます」

「もう出て行かれましたよ。今日も会食みたいで」


 そうか。じゃあ明日、来ないといけないな。

 ビクター兄さんに拳をぶつける為に。

 





 * * *






 昨日、アンナさんから聞いた話は本当に本当だった。

 学園に向かう途中で商会の敷地を覗いてみれば、たくさんの人が荷物を持って鉄門の前に待っていた。


 講義が朝からだったから、少し遠くから時間が許す限り鉄門の人だかりを見ていたけど、営業開始の鐘が鳴るまで着実に増えていく人々を見て、心底ゾッとした。

 あの量の荷物を捌けるのか? と考えてみるが、僕は通運の業務について全くのド素人だ。

 昨日、ビクター兄さんを殴りに行くと決めていたけど、僕も手伝いに行った方がいいか。

 マリーさんやアンナさんの事が心配にもなる。

 

 講義が終わってから手伝いに行こうと決心して学園に向かったが、間の悪いことにアースコット教授から講義終わりに呼び出しがあった。

 別に至急の用事でも、出席数が足らない事もない。

 ディオネの単位不足の件があった時、僕も一応は確認しておいたのだ。

 

「それで……何で呼び出されたんです?」

「聞いてほしい事があるんだ」


 アースコット教授の部屋で、僕と話すアースコット教授は少しばかりやつれていた。

 そんな彼と、いつものように座って向かい合う。

 彼とは三十日以上も会っていないし、そもそも見てすらいない彼が、僕にどういった用件なのだろうか。


「早くしてくれませんか? 僕、こう見えて凄く忙しいんです」

「……そんな突き放さないでくれよ」

 

 突き放すなんて。早く通運に行かないといけないんだ。

 誰が、いい歳した大人の話を聞きたがるんだよ。

 それに、エリー姉さんがここに来たらどうするんだ。あなたは責任取れるのか?


「だって、ファビオ君も聞きたがると思ってさ。渡すものもあるし」


 と言って、アースコット教授は懐から紙を出した。

 それは、少し黄ばんだ厚めの紙に包まれていて、「はい、これ」と僕に渡してくる。


 受け取った感じでは相当に薄い。

 窓から入ってくる日差しにかざして中を確認してみれば、文字のインクが滲んでいた。


「私は中を見てないからね。ちゃんと渡したから」


 と言って、彼はため息をついて立ち上がった。


「お茶でもいるかい?」

「要らないです。これが聞いてほしいことですか?」


 それなら帰らせてもらおう。中身は書店に戻ってから見ても問題ないだろうし。

 受け取った書類を教材が二冊程度しか入っていない鞄に入れる。


「違うよ。その手紙の事なんだけど――」

「見合いのことじゃないんですか?」


 てっきり、聞いてほしい事ってアースコット教授の見合い云々の話だと考えていたが。

 じゃあ、なんだ? 手紙?


「その紙の事だよ! それに見合いの件は……話したくない」


 間髪入れず僕に返すアースコット教授の声は、尻すぼみになる。

 手紙か? 僕宛に? 何で? 首をかしげる僕に、茶の準備をしつつアースコット教授が口を開く。


「話はその手紙だけどね、私の姉からお願いされたんだよ」

「お姉さんですか?」


 アースコット教授に姉がいるとは知らなかった。

 けど、そのお姉さんが僕宛に手紙を出したのか? 本当に何で? 凄く気になる。


「そうなんだよ。姉から急に呼び出されたらそれを渡されてね。『ライフアリーの末っ子にこの手紙を渡して』ってさ」

「ライフアリーの末っ子なら、……僕ですね」


 そこまで指定されていれば、僕しかいない。

 けど、アレックス兄さんからの手紙もまだ届いてないのに何で彼の姉から届くんだ? 頭の中が混乱している僕を気にする素振りもなく、アースコット教授はお茶を淹れ始めた。

 豊かな茶葉の香りが僕の鼻をくすぐる。


「『お前は絶対に中を見るな』って凄まれてさ。いい歳した大人同士なのにね」

 

 お茶を淹れながら呟くアースコット教授が続ける。

 

「……ファビオ君のその感じを見てたら、姉の事知らないみたいだね」

「すみません。全く知らなかったです」

 

「全然良いよ。あの人はいつもどこかに行っているから」

「どこかって、女性ですよね?」


 

 

 

「……もちろん」


 アースコット教授は少し間を置いてから僕に答えた。何か言い渋っているようだが、深く聞く時間はない。

 言い渋るなにかはありそうだけど、すでにこの部屋に来てから時間も経っている。

 そろそろ通運に行っておきたい。

 というか、ここに来てからずっと、いつエリー姉さんが扉を開けるのかヒヤヒヤしている。


 目の前で暢気にお茶をすする彼に「もう帰ってもいいです?」と聞けば、「もう用ないからいいよ」と不躾に言い切られた。

 アースコット教授がもういいと言うのだから、そうなんだろう。

 見合いの件だったらちょっとは聞いてやろうと思ったが、まあいいか。通運の方が急ぎだ。


「そうですか。また、見合いのこと話したくなったら教えてくださいね」

「嫌だね」


 冷ややかな目で見てくる彼は「忙しいんだろ」と続けて言って、僕を早く帰らそうとしてくる。

 用件が済んだらこれか。と一言言ってやろうか考えるが、そんな事よりも通運の事が気がかりだ。


 椅子から立ち上がって扉まで歩いて教授に挨拶をしようと振り向けば、その前に一つ気になったことがあった。

 

「ちなみに、教授のお姉さんのお名前教えてもらってもいいですか?」

「あぁ、エルマリカ・アースコットって名前」


 なるほど、そんな名前か。やっぱり全然知らないかな。

 ……でも、誰かから聞いたような気もするけど、思い出せない。


「憶えておきます。今度、エルマリカさんと会われる時は誘ってください」


 と言えば、アースコット教授は心底嫌そうな顔を浮かべる。


「誘う訳ないだろ。早く行きたまえよ」


 そう言って彼は、お茶のコップを持つ手の反対の手で払う動作をした。

 もう帰れとの意思表示をありがたく頂戴して、部屋の扉を開ける。


 エルマリカさんの手紙は今日の終わりにでも確認しよう。気になるが、今は通運のことが優先だから。

 とりあえず、まずはビクター兄さんに突撃するのだ。

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