第16話
商会ギルドの動向について、ビクター兄さんから時折報告を聞いていたが、まだディオネのことまで商会ギルドは辿り着いていないようだった。
ただ、ディオネにゼクラット書店を紹介した日から、それはもう足繁く、彼女はゼクラット書店に通い始めた。
僕が学園から帰ってきたら、既に版画機が置いてある部屋から光る台を持ち出して、書店の中に一人の場所を陣取って色々と絵を描いている。
創作意欲が溢れて仕方がない彼女の様子に、僕の専属作家計画が着々と進んでいた。
「ファビオ君? いいの?」
マイケルが、カウンターでいつも通り頬杖をついて僕に言ってくる。「いいでしょ、客もそんな来ないし」と僕も、ディオネのまねではあるが書店の本売り場に椅子を置いて座る。
今の時期は新作の本はない。暇つぶし程度に、読んだことがなかった参考書を手に取ってめくれば、その本の題は『賢者オーダの魔術教本』と書いてあった。確かアースコット教授の書いた本だ。
「いやいや、さすがに来すぎじゃない?」
僕の言葉を否定するマイケル。
多分、ディオネの事を言いたいのだろうが、来ていいと僕が言った訳だし、彼女がここにいればある程度の行動を制限ができる。
オーゲンに捜索されている現状では、これでいいと思うのだ。
「マイケルさぁーん、紙もらってもいいですか?」
ディオネが休憩室の扉から、顔を出してマイケルにお願いした。「……ファビオ君」とマイケルが僕を見てくる。
何だよ、別に紙なんてたくさんあるんだし、少しくらい持っていったらいいじゃないか。
「こいつら、……同じだ」
何かに観念したようにマイケルが立ち上がって、奥の物置部屋に向かっていく。
同じ? 僕とディオネが? そんなことはない、僕の方が圧倒的に賢いだろ。失礼なやつだな。
マイケルは、奥の物置部屋から出てきて紙をディオネに渡せば、少し乱暴に渡されたようで「紙にシワできてるんですけど!」と、休憩室から声が上がった。
僕のところまで聞こえるその声に、マイケルは「じゃあ、自分で取りに行けよ!」と彼女に声を荒げて返す。
休憩室からは、マイケルの声に言い返すディオネの声が上がらない。また集中し出したのだ。
今日はそれ以降、騒がしくなることはなかった。
視界の端では、苛立っているマイケルが見えたが、別にいいだろう、たまにはこんな時もあったって。
僕は、何を伝えたいのか分からない『賢者オーダの魔術教本』の問題点を紙に下書きしておく。
次、アースコット教授に会ったら伝えておこうかな。
* * *
平和な日々が、七日ほど続いた後のことだった。毎日来ていたディオネが、今日は珍しく来なかった。
少し、気がかりになるが学園で補修でも受けているんだったら、ここには来られないか。とマイケルと話していれば、薄暗くなった外を見ながら店じまいを始める。
マイケルが、「ディオネ、結局今日は来なかったね」と僕に店の床を拭きながら言ってくるが、「こんな日もあったっていいと思いますよ」と、帳簿の確認を続ける。
あれだけ入り浸られるのも考え物だったから、来ない日があって良かったよ。
ちょうど、書店の片付けを終える頃、ライフアリー商会の制服を着た職員が、急いでいる様子で書店に入ってくる。
「坊ちゃん! 孤児院の方ですごい大きな音が鳴って、大槌とか持ったチンピラっぽい人が――」
ずっと走ってきたのだろう、職員は息も絶え絶えに、まくし立てるように話した。
それよりも孤児院で? 大きな音? チンピラ? 何があった? と考えるが一つしかない。
今日、商会ギルドの連中がディオネを攫いにいったのだ。
見つけて襲撃したのか。けど、それはいくら何でもバカすぎないか。
ライフアリー商会相手に、大事にしなくともいいんじゃないか?
僕は、まだ息が上がっている職員さんに「ビクター兄さんにも伝えてください!」と答えた後、店の戸締まりをマイケルに託してすぐに、孤児院まで向かった。
僕が孤児院に着いた時には、ことが終わった後のようで静かだった。夜になって魔道具が照らす街路には、心配そうに孤児院を見ている大人たちが人混みを作っていた。
大きな音が鳴っていたと、職員が言っていたから騒ぎにはなっていたのだろうけど、この調子だと、もうすぐ警邏隊が来て孤児院の救助活動と捜査が始まるようだった。
ただ、そんな時間はないし、ここで突っ立っているにもいかない。
人混みを掻き分けて、孤児院に入ろうとする僕に周囲の大人が、「危ないよ」と声を掛けてくるが、そんなことは言っていられない。
「孤児院の中にけが人がいるかもしれないんですよ」と大人に言い捨てて、既にボロボロになって穴が何カ所も空いている玄関の扉を、慎重に開けて中に入る。
建物の中を見渡せば、外よりもボロボロにだった。
壁には拳大の穴が空いて奥の部屋も見えるし、備え付けの家具も壊れている。
床に散乱している服は裂けて、かわいらしい子ども服も汚れている。照明の魔道具は天井に付いていたから無事だったけど、埃っぽい空気に咳き込みそうになる。
僕に続いて外で様子を伺っていた大人も、孤児院に入ってきた。
この惨状を見て彼らから、「うわぁ」と声が上がった。
僕は、孤児院で足の踏み場を探す大人の女性に、「どんな感じだったんですか」と尋ねれば、「それがねぇ。何か大きい音はしてたけど――」と話し出す。
「孤児院の人たちは? 連れ去りとかなかったですか?」とかぶせて返すと、「それが不思議なんだよ。普段なら子どもたちの声が聞こえるはずなのに、今日に限っては気配が全くなかったよ」と親切に教えてくれた。
周りの大人も、「おかしいよねぇ」と同調しているから確かなことなのだろう。
答えてくれた大人が僕に、「けど、君は誰なの?」と僕に聞いてくる。
咄嗟に「知り合いが孤児院にいるので心配で」と返せば、納得した様子で「じゃあ、私らも探すの手伝おうか」と倒れた家具や服を片付け始めて探してくれる。
探す僕らの物音以外に、何もない孤児院に少し不気味さを感じるが、せめて誰でも良いから物陰隠れていることを願いながら、捜索を続けた。
「そういえば、裏手の小屋から、特に大きな音がしていたけど、大丈夫かしら?」
孤児院の部屋をくまなく探していたら、一人の大人が声を出した。
離れといえば、あの今にも倒れそうな掘っ立て小屋のことか? もしあそこにいれば、すごく危ないじゃないか。
僕は「向かいます!」と応じて、まだ散乱している部屋を走って、離れに向かう。
以前に、案内してもらった小屋だったところには、既に瓦礫の山になって崩れていた。
置いてあった家具のほとんどが壊れていて、あたりに木片が散らばっていた。
片付けていた大人たちを呼べば、小屋で生き埋めになっているかもしれないことを伝える。
外では、街路から見る大人の数が多くなっているのが見えた。
片付けをしていた大人を案内して、瓦礫を退かしてもらうようお願いする。「これくらい、任せな」と続々に作業を始めてくれる。
僕は自分の甘さに歯がゆさを感じた。いつもビクター兄さんに『詰めが甘い』と言われている言葉が頭をよぎった。
僕は、ディオネや孤児院の安全をもっと真剣に考えるべきだったのだ。普通に考えれば、ディオネの書いた本が目的だったのは明らかだし。オーゲンの目的も分からない今の時期に、こんなことになるとは全然考えなかった自分の甘さに、拳を握りしめた。
僕も瓦礫を退かしていくが、小屋が倒れたせいで鋭い木片が多い。万が一、木片が孤児院の誰かに刺さっていたらと思うと、怖くなる。
「なんだこれ?」
唐突に、瓦礫を退かしていた内の一人が声を上げる。僕は彼の方を見れば、下を見て首をかしげていた。
声に誘われるように、周囲の大人がぞろぞろと集まる中、僕も掻き分けて、彼らが見ているそれを見る。
大人が指差した先には、他とは明らかに違う頑丈な床があった。
しゃがみ込んで注意深く観察すると、床に埋め込まれた鉄製の扉もあって、それは床に付けられていた。
他の場所の床は抜けているところがあるのに、この扉の周りだけ全く抜けていなくて、頑丈そうな作りをしている。
視界の端には、以前に見た版画機があって、小屋の屋根に押しつぶされていた。あれでは、買い換えた方がずっと早く安く済むと判断できるくらいには、壊れていた。
壊れた版画機から、扉を注意深く見ていれば、少し錆びついていた。もっと扉を見たい僕は、木片の散らばる床を歩く。
僕が歩くたびに、パキパキと床から音が鳴った。
ようやく、扉に近づいて、それを見ればどこかで見た模様が散らばって彫刻されていた。
埃を拭き取ると、見覚えのある紋様が現れる。
ライフアリーの家紋だ。だったら、これはライフアリーが関係しているのだろうか。
気になった僕は、もしこの先に……と震える手で取っ手を掴むがびくともしない。向こう側から鍵が掛かっているようだ。
ただ、この扉は……おじいさんが教えてくれたライフアリー家の隠し通路の入り口かもしれない。
「ふう。ちょっと僕、家に報告してきます」と僕が声を出す。
周りの大人は、魔道具の照明を僕に当ててきた。いきなり照らされて目が眩しくなる。
「皆さん、時間があればでいいんで、撤去作業の続きをお願いしてもいいですか?」
「そんなこといきなり言われたって、そもそも君は誰なんだい?」
「あぁ、僕はライフアリー商会の者です。この孤児院は弊商会が運営していて――」
「え、じゃあ坊ちゃんが責任者ってことか?」と返される。
ここで悠長にしていては僕も、商会ギルドの連中にかち合って危ないかもしれない。
「はい。ですから、撤去作業にご協力いただければ必ず報酬をお支払いします」
狭い瓦礫の間で、大人たちがざわめいた。手に持った魔道具の明かりが揺れて、期待と困惑の表情を照らし出す。
僕の胸の鼓動が早まっていく。
一刻も早く商会に行って、隠し通路の先にいるかもしれない人たちの安否を確認したい。
震える手で瓦礫を押しのけ、大人たちに道を空けてもらうが、足の踏み場が暗がりで分かりにくくなっていて、少し腕を擦り剥いた。
それでも構うことなく、僕は瓦礫の間を抜けた。
「おーい! 本当に報酬出るんだなぁ!?」
「出しますから! よろしくお願いしまーす!」
後ろから、歓声のような声が響いてきた。僕は余計なことを言ってしまったかもしれないけど、孤児院の人たちやダルダラさんに子どもたち、そしてディオネが無事であれば良い。
あとから、ビクター兄さんに一言言われるぐらいはどうとでもなるのだから。
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