第23話 アマネの初対局④


  ※※※※


 昼食休憩。

 アマネは手もとの黒いリュックサックから、弁当箱を取り出した。花咲ベンガク師匠の手作りである。

「わあ…………!」

 日の丸ごはんにトリ肉と大根の照り煮であった。ミニトマトとおひたしつき。

「いただきます、師匠」

 手を合わせて、アマネはもぐもぐと食べていく。そんな様子を、イチカはしばらく見ていた(彼女のほうは、将棋会館への業者の仕出し弁当である)。

「それ、ベンガクくんのお弁当――?」

「? うん」

 アマネは頷いた。

「ベンガク師匠のこと、知ってるの?」

「まあねえ。なにしろ、あいつに料理を教えたのはわたしだから」

 イチカはふっと、懐かしそうに笑った。

「昔、奨励会でいちどだけ指したことがあるの。まあ、わたしのボロ負けだったけど。あのころからベンガクくんは天才だったのね。

 そして、今はあなたみたいな弟子も持てている。

 …………妬けちゃうよね」


 検討室でも、同じ話題になっていた。

「俺に料理を教えてくれたのはイチカちゃんだったからなあ」

 そういうベンガクの言葉に、ジョウジは頷く。

「エッセイで書いておられましたね。『将棋の研究に詰まったときに、手慰みで始めた料理にハマった!』いう話でしたけど」

「まあ、イチカちゃんにはもっとキツい言われかたをしたよ? 『これからは男女平等なんだから、男も台所に立ちなさい』とか、『そもそもあなたは酒飲みで不摂生なんだから、食事くらい健康でいなさい』とかもね。

 でも、始めてみると楽しいもんさ。今は食べてくれる弟子もいる。相手のことを考えながらやることは、なんだって面白いよ。

 将棋も同じじゃないかい?」

 ベンガクがそう答えるのを、ヒロコは不思議な気持ちで見つめていた。そして、口を開く。

「なんだか意外です。花咲ベンガクさんほどのご年齢なら、奥様に任せっきりだと思っていました」

「アハハ! 手厳しいね、こりゃ」

 ベンガクは笑った。

「生まれて48年、ずっと独身だよ。自分の身は自分で守らなきゃいけない悲しいおじさん、ってところだな」

「いえ、そんな!」

 ヒロコは自分の失言に気づいてアワアワするが、ベンガクは「そんなに気にしなくていいよ」という雰囲気で手のひらを振った。

「理想が高すぎたのかなあ。気づいたら、将棋に人生を全部捧げちゃった感じだよ」

「…………理想のタイプ、ですか?」

「うん」

 それからベンガクは、モニタに映っている御手洗イチカの表情を、頬杖ついて眺めていた。

「俺の理想のタイプの女性はね…………なにかに夢中で、夢中すぎて、一途で、俺のことなんか目にもくれないくらい頑張っている女性なんだよ」


 昼食休憩が終わりそうなころ、検討室のドアが開いた。入ってきたのは、佐々木サクラ女流二段である。

「すみません、師匠、スマートフォンの棋譜中継で見ていたんですけど――これは現場で見たいと思って、どうしても来ちゃいました!」

「サクラちゃん?」

「いま、アマネちゃんの初対局ですよね? どうなってるんですか?」

「まだ先手の31手目▲1六歩だよ。本格的な戦いになるのは、午後からさ」

「そうですか…………」

 そんなサクラに、ジョウジはすぐに立ち上がって90度の角度で頭を下げる。

「お邪魔しとります! 佐々木サクラ女流センセ! ボクたちは開桜出版社の宇野ジョウジと、東ヒロコです。本日は取材にご協力いただき、ほんま、ありがとうございます!」

 ジョウジの挨拶を聞いて、ヒロコのほうも立ち上がり、頭を下げた。

 サクラのほうは、恐縮するしかない。

「ああ、いえいえ。私は見にきただけなのであんまりお気になさらず…………!」

 そう言いながら、彼女はベンガクのとなりに座った。昼食はここでコンビニのサンドイッチを食べるらしい。

「アマネちゃん、大丈夫ですか?」

「俺にも分からん。なにしろアマネちゃんのほうは玉のまわりが薄すぎる。でも、イチカちゃんのほうは角の活かしかたが難しい」

 そんなサクラとベンガクのやりとりを、ヒロコは黙って聞くしかない。


 こうして、昼食休憩の時間が終わった。

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