4. 一緒だった人


「……莉乃のこと、ずっと好きだった。なのに、突然現れた中野先生に心を持っていかれた」

 唐突に告げられたその言葉に、手にしていた書類がすこし揺れた。

 生徒会室の時計の針が、カチ、カチとやけに大きな音を立てている。

 窓の外では、春の光がすこしずつ傾き始めていた。

「え……へへ……なにそれ、今さら……」

 笑おうとしたけど、声は震えていた。

 卒業を目前に控えた今、生徒会室は綺麗に整頓され、次の新生徒会に引き継ぐ準備が済んでいた。

 そんな——長い時間を過ごしたこの場所で、こんな告白を受けるなんて思っていなかった。

 3学期の授業はほとんどなく、実質しっかりとした学校生活は2学期で終わりになる。

 どこか寂しさを覚える中、生徒会には、妙な空気が漂っていた。

「今さらだから……言えるんだよ」

 司波は机にもたれかかり、窓の外を見つめたまま言葉を続ける。

 横顔はいつもより幼く見えた。

 強気で、頼れる生徒会長で、文化祭のときも、体育祭のときも。

 ずっと私を支えてくれた人。

 その司波が、今はこんなにも脆そうに見えた。

「頑張ったんだ、俺なりに。できるだけ莉乃の隣にいようって。どんなときも、味方でいようって……思ってた。ずっと好きだったから。莉乃のこと、ずっと、ずっと」

 声がかすかに滲む。あの司波が泣きそうな顔をしていて、胸がぎゅっと痛んだ。

「……ごめん」

 言葉にした瞬間、喉が詰まりそうになった。

 司波はゆっくりと首を振る。

「謝らないでよ。わかってるんだ、俺も。莉乃の目には……最初から俺なんて映ってなかったって」

 淡く笑うけど、その笑顔は壊れそうで何も言えなかった。

 心臓の鼓動がうるさいくらい響く。

 何度か司波の気持ちに触れそうになったことはあったけれど、ここまでまっすぐ想いを伝えられたのは初めてだった。

 司波はずっと前から、私が中野先生のこと好きだと気づいていたらしい。

「……中野先生、なんであんなに遠い人なのにさ。冷たくて、面白くないのに。莉乃は、どうしてそこまで……」

 そこで声は途切れる。

 司波は、最後まで言い切れなかった。

「……」

 深く息を吸って、私は机の縁をぎゅっと掴む。

 言わなきゃいけない。

 私もきちんと、伝えなきゃいけないと思った。

「……やっぱり、好きだから。なんだと思う」

 震える声が、静かな部屋に落ちる。

 司波はすこしだけ目を見開いて、そのまま俯いた。

「最初はただ、ピアノを弾く姿が綺麗だなって思っただけだった。でも、先生の音を聴くたびに、知ってしまったんだ。あの音に、先生の〝全部〟が宿ってることを」

「……」

「中野先生は、冷たい人なんかではない。優しくて、温かくて、誰よりも人間味のある人。ただ、感情をピアノに乗せなきゃ、届けられないだけ」

 司波は泣きそうな顔をしながら、しばらく黙っていた。

 沈黙が重たくて、息が苦しい。

 やがて彼は小さく笑って、低く呟いた。

「そっか……やっぱり俺になんて、勝ち目はなかった」

 その声は、不思議なくらい優しかった。

 悔しさも、怒りもない。

 ただ、長く抱えてきた想いを、ようやく手放せたみたいな声だった。

「……ありがとう、司波」

「なんで莉乃が礼を言うんだよ」

「だって、ずっと……隣にいてくれたから」

 視界が滲んで、涙が落ちそうになる。

 司波はその顔を見て、すこしだけ微笑んだ。

「……卒業してもさ。困ったら俺んとこ来いよ。たぶん俺、まだ当分……お前の味方だと思うから」

 それ以上、何も言えなかった。

 最後の沈黙を、窓から吹き込む風がそっと埋めてくれた。


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