第6話

第六話 ──神を騙る者──


 


 綾女が八雲を止めてから、三日が過ぎた。


 あの鬼火に包まれた一件以来、村は静まり返っていた。


 誰もが、あの“神”──否、“鬼”の怒りを思い出していた。

 人々の目は、綾女を見るたびにすくみ、そして逸らした。


 


 (あの日……村を守ったのは、彼なのに)


 


 綾女はひとり、八雲の屋敷の縁側に座り、深く息を吐いた。


 豪奢な屋敷。

 けれどそこには、家族も召使いもいない。


 あるのは静寂と、八雲の足音だけ。


 


 「……退屈か?」


 


 ふいに、背後から声がした。


 振り向けば、八雲がいつもの白装束で立っていた。


 顔はやはり無表情で、けれどどこか柔らかい影を帯びていた。


 


 「いえ。ここには風が通るし、空も広いですから」


 


 綾女が笑うと、八雲はほんの少し、口の端を上げた。

 それだけで、彼が機嫌がいいことがわかった。


 


 ──カンッ。


 屋敷の門の向こうから、鉄を叩くような音が響く。


 


 「誰か、来た?」


 


 綾女が立ち上がると、八雲が片手を挙げて止めた。


 


 「私が出よう。

  ……ここに来る者は、礼儀も命も知らぬ者が多い」


 


 八雲は屋敷の外門まで静かに歩き、扉を開けた。


 


 そこには、ひとりの中年の男が立っていた。


 目は血走り、髪は乱れ、足元は泥だらけ。

 肩で息をしながら、必死に何かを訴えていた。


 


 「お、お願いだ……あんたが“神”なんだろ……助けてくれ!」


 


 八雲は男を一瞥し、言った。


 


 「……私は鬼だ」


 


 「ちがう! いや、そうかもしれねぇが、それでも……あんたしか、いねぇんだよ……!」


 


 男は地に膝をつき、手を合わせた。

 それは祈りというより、縋るような行為だった。


 


 「娘が……娘が病に倒れて……もう、何も効かねぇ……薬も祈祷も、何も……!」


 


 「……なぜ私に?」


 


 「村の者が言ってた! 山の神が怒ったとき、鬼火が空に昇ったって! それを鎮めた女がいるって!」


 


 そのとき、綾女が門の奥から顔を出した。


 


 「……私です。あの日、八雲さまを止めたのは」


 


 男は目を見開いた。


 


 「や、やっぱり……! なら、頼む……娘を、助けてくれ……!」


 


 綾女は、八雲の方を見た。


 


 「助けられますか?」


 


 八雲は目を閉じ、風を感じるようにしてから答えた。


 


 「……見てみよう」


 


 *


 


 村の奥、川辺の小屋にいた娘は、十歳ほどの少女だった。


 布団の中でうわごとをつぶやき、額は熱く、唇は白い。


 


 八雲が彼女に触れると、空気が変わる。


 綾女は背筋にぞくりとしたものを感じた。

 それは冷気ではない。

 **“気配”**だった。


 


 八雲が静かに呟く。


 


 「……これは、“祟り”だ」


 


 「た、祟り……?」


 


 父親が蒼白になる。


 


 「おまえたちが封じた社を焼いたとき……

  その地に宿っていた“地霊”を、怒らせた。

  社は……この娘の母親が代々守っていた“神座”だったのだろう」


 


 「ま、待ってくれ……確かに、焼いたのは村人かもしれねぇ……けど、俺は……!」


 


 「……その火に、薪をくべたのは、おまえだ」


 


 八雲の声が鋭くなる。


 


 「忘れるな。神は“見逃す”ことも、“赦す”こともない。

  ただ静かに、罰を下すのみだ」


 


 父親は土下座し、涙を流した。


 


 「なんでもする……俺の命でも、腕でも、足でも……持っていってくれ……!」


 


 その姿を見て、綾女がそっと八雲の袖を掴んだ。


 


 「八雲さま……この子の命は、まだ消えていません。

  今なら、救えるんじゃ……」


 


 八雲はしばらく無言だったが、やがて小さくうなずいた。


 


 「……一つだけ、手はある。だが、それは──」


 


 「それは?」


 


 「私の“力”を、その子に分け与えるということだ。

  つまり、彼女は人でなくなり、やがて私の眷属になる」


 


 綾女は目を見開いた。


 


 「鬼に、なるんですか……?」


 


 「いや、“半”だ。

  人と鬼の間を生き、永く命を持つが、二度と人の世界に戻れぬ」


 


 それでも父親は叫んだ。


 


 「やってくれ!! 娘の命があるなら、それでいい!!」


 


 八雲は静かに少女の額に手を置き、呪を唱えた。


 彼の指先から、蒼く淡い光が溢れ、少女の胸元に吸い込まれていく。


 部屋に流れる風が変わる。

 熱が引き、少女の頬にうっすらと赤みが戻った。


 


 ──命が、戻った。


 


 綾女は、そっと安堵の息を漏らした。


 


 八雲はふと、視線を綾女に向ける。


 


 「……おまえの“契り”が、揺れ始めている」


 


 「え?」


 


 「私の力を、人のために使えば使うほど……おまえの“契約”は、深くなる。

  おまえが“私の花嫁”として選ばれた意味も──、いずれ知ることになるだろう」


 


 その声は、どこか切なさを帯びていた。


 そしてその夜、綾女は初めて、八雲の夢を見た。


 それは、まだ“彼が人だった頃”の、遠い遠い記憶だった──。


 


(第六話 了)

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