第28話 大人の事情

 永禄3年(1560)、10月中旬。尾張国、清州城。

 俺は信長の前で、常滑の件のみを報告した。元康や氏真の件は、水野に頼むから言うなと口止めされたからである。確かに下手をすると水野が織田から攻められかねない。

 そして、常滑の件は、常滑でも急須や蓋碗を作らせればますます物が流通するし、陶工たちも競争相手が出来ることで張り切るだろう、と自分の考えを述べた。

「確かにその通りだな。しかし、水野め。また妙なところで裏切らねば良いが…」

 信長は不安そうに髭をさすっていたが、突然太ももを叩いて

「その代わり、水野を直臣に誘ってみるか。そうすれば常滑を水野だけに任せるのではなく、織田の意向も反映できるからのう」

「しかし信元がその条件を飲むでしょうか…」

「金を回す、というのは同じだろう。それに、彼は家中から不審がられているから、直臣に引き上げてやりたいのよ」

 そう言うと笑いながら去っていってしまった。うーん、決断力がすごいというか、ポジティブ過ぎるというか、不思議な魅力を放つ男だと思う。

 意外と水野はこれを二つ返事で了承し、常滑でも急須や蓋碗が作られるようになり、これらの茶器は尾張のみならず、三河の一部、簡単に言えば水野の領地でも流通し始め、煎茶が流行り始めた。抹茶を知らない一般庶民にとっては、今まで飲み物といえば白湯か酒ぐらいだったのが、煎茶が登場したのだからそりゃあブームにもなるだろう。

 しかしまあ、「逆行転生」という小説や漫画のジャンルで、主人公はよく農水事業の改革や石鹸などの開発をやってのけるものだ。どれだけ知識があるのだろうか。俺が提言したことといえば、もっぱら食事のことで、鳥や猪をなんとか食べられるようにならないかということだった。鶏肉は雉や山鳥などを食べている例があるが、もっと進めて鶏の家畜化をしてみたい。卵と肉の確保だ。次に猪だが、これはそう簡単には行かない。鶏よりも猪のほうが、肉を食べる禁忌のハードルが高いからである。やれやれ、面倒なことは多い。しかしなんとかならないものかなあ。


 年が明けて永禄4年(1561)1月半ば、水野信元が清須城へ登城し、三河国の現況を報告した後、重臣たちによる会議が開催された。

 曰く、今川家は内部分裂を起こし、今川氏真を始め氏真派の家臣を国外へ追放すべく、駿河国の臨済寺に幽閉していたが、松平元康が機転を利かせて脱出させ、居城である岡崎城に入った。氏真が追放され、弟の一月長得なるものが僧形のまま当主代行となったが、当然お飾りの当主であり実権は岡部ら家臣団に委ねられている。甲相駿三国同盟は手切れとなり、北条は今川氏真が正室に北条氏康の娘を娶っていることから、報復と称して駿河と相模の国境で軍事活動を始め、一方の甲斐の武田も国境で不穏な動きをしている。また、駿河と遠江、三河では井伊谷の井伊家など、国衆の一部が今川に反乱を起こしている。もはや今川一強の状態は崩れた。

 この隙に、火事場泥棒ではないが、松平元康は松平家の領地を取り戻すと称して軍事行動を開始。現在、三河の今川方である吉良氏を攻めているという。吉良氏は足利将軍家の一族だが、南北朝時代に家が2つに別れて抗争を繰り返したために勢力を拡大することが出来ず、今川の後ろ盾で領地を支配している状態であった。

 ついては、松平元康は、信長と同盟を結び三河国の安定化を図りたい…。

 俺が言うのもなんだが、ずいぶんと虫のいい話じゃないか?要するに、織田家の影響力を背景に自家を拡大したいと言っているように見える。今川氏真をいただいているとはいえ、本人は当主に戻るつもりはないから、彼を旗頭にするわけにもいかない。なんとも宙ぶらりんな状態だから、織田家を頼りたいということなんだろうな、と俺は思った。

「それで、重臣会議ではどうなったのですか」

 茶を点てている俺の質問に、林秀貞はううむ…と唸った。

「お館様は正直、東より西の方を睨んでおられる」

「美濃ですか」

「そうだ。道三殿を始め、お主たちの故郷を取り戻してやりたい、というお館様の親心だな。それならば、松平との同盟は渡りに船と言っていいだろう。とりあえず東を抑えるという意味で」

「確かに…」

 林は干し柿を口に含む。なんでも甘藷栽培の成功を褒められた信長から貰ったのだそうだ。砂糖がほぼ流通していないこの時代、甘いものといえば干し柿であった。それはともかく、確かに道三はもう還暦をとうに過ぎている。この時代ではいつ死んでもおかしくない年齢だ。それならば美濃の地で死なせてやりたいというのが信長の本音だろう。

「そこで、松平家の接待を左介、お前に任せるとのことであった」

「えええ!?またですか!?」

「またとはなんじゃ。信頼されていることの証ではないか。せいぜい励めよ」

 大人はずるいな…。


 永禄4年(1561)、2月中旬。尾張国、清州城。

 信長が水野信元を清須に招いた。

「常滑はどうだ?」

「はい、常滑の陶工たちは覚えが早く、なかなか良いものが出来ております。いずれ、お館様にも献上をば…」

「ああ。楽しみにしておる。それより今日招いたのはのう、松平殿のことじゃ。お主の仲介で、同盟の締結が来月ここ清須で、と決まったが、料理をここにおる左介が担当するのは当然として…、松平殿の食べ物の好みを知りたくてな」

 水野は腕を組み、口をへの字に曲げた。

「それは…難しいやもしれませぬ。わしも滅多に会わぬのでもう治っておるかもしれませんが、元康は食い物についてはかなりの偏食でしてな」

「…ほう?」

「豆味噌で作った味噌汁、漬物、そして飯でないと口にしないのです。今度の同盟締結の際も、岡崎から料理人が来るやも知れませぬ。元康の料理を作るだけのために」

 ううむ…と、信長は顎のあたりをさすった。これは難題だな。俺は頭を抱えた。確か、松平元康は子供の頃から織田や今川の人質となり、父親も早くに死んでいるから、精神的に参っているのかも知れない。元康の料理だけ、岡崎の料理人にそのまま任せるという方法もある。それが一番無難だ。

「まあ、左介が何とかするだろう。はっはっは」

「まあ、そうですな」

 は?なんだそれは。


 信長との会見が終わった後、帰ろうとする水野を俺は呼び止めた。

「水野様、ちょっと待ってください。この間みたいに、刈谷城に松平様と今川様が来ることはあるのですか」

「おい、声が大きいぞ。いや、あの時はお忍びもお忍びでな…」

「なんとか、松平家の人間と接触できないもんですかね」

「そうさな…打ち合わせとして、関口氏純殿が刈谷城に来ることになっておるが」

「では、同席させてください」

「無理やりじゃな。まあ、何とかしよう」

 少しでもヒントが欲しい。なんとかならないものか…。


※好きな話だけ書きたいのですけど、時代物はそういうわけにもいかないですね。

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