第13話 病身の味 後編

 俺は台所で昼食の支度をしていた。

 この時代、いつ襲われるか分からないと思い、俺は押っ取り刀で剣術や弓術の練習を始めたが、これには参った。稲荷大明神の御加護という奴なのか、基本的な知識はあったが、鍛錬となるとなかなか厳しい。元々、俺は根っからの文化人体質というか、運動に興味がなかったので、基礎体力がまったくない。その状態で練習だというのだから、まったくスタミナがなく途中でバテてしまう。しかも栄養補給は、何度も書いた通り米、漬物、味噌汁なのだからたまらない。もっと偉くなれば、用心棒や忍びが雇えるのだろうか。いや、武士として仕えれば、家臣を持てるから身辺警護は家臣に頼めるだろう。

 しかしな…。武士というのは、命の遣り取りをするのが仕事である。わがままだが、正直、俺には無理そうだ。では、このまま同朋衆として仕えるのか。父は「わしのようにはなるな」と言っていたが、それが一番堅実な成長であろう。しかし、同朋衆でどこまでお金が稼げるか、というと未知数だ。蓋碗や急須、煎茶の生産は徐々に広がっているものの、使用は一部に留まっている。古田家の家計も、火の車なのは変わらない。それに、そもそもの話、頭は剃りたくないし。どうしたものか。

「若、加藤景光殿がお見えです」

「分かりました、後はお任せします」

 俺は作業を他の者に頼み、景光に会いに行った。


「やはり、今の窯の形では温度を磁器が作れるまで上げるのが難しく…。若の言われた、もう少し小ぶりの蓋碗、というのはまだ、難しい状態です」

「わざわざ報告してくれて感謝します。やはり、今は渡来の品に頼るしかないですか」

「そうはいっても、例えば景徳鎮けいとくちんは高価でとても手が出ません。せめて、明や朝鮮の窯の仕組みがわかれば…」

 それが分かるのは、今から40年近く後、秀吉の朝鮮出兵の頃だ。その際、朝鮮半島から多くの陶工が連れてこられた。江戸時代の初期、朝鮮半島からやってきた陶工の李参平りさんぺいが、有田で白磁鉱を発見したのが大きなきっかけになっている。これは日本の磁器の始まり…とされている。

 瀬戸にも磁器の原料である磁土は取れるが、いかんせん、窯の問題が大きい。現在の日本の窯では磁器を作るまで温度が上がらない。しかし、明や朝鮮の人間と交流するなど難しいし、どうすればいいのだろう。

「越前の敦賀や、摂津の堺など、海外と交易をしている港はあります。これらの港を抑えれば、なんとかなるやもしれませんな」

 いずれにしろ、だいぶ先の話になるな…。

「それはそうと、同朋衆のことでござりまするが…少し、気をつけたほうが良いかも知れません」

「気をつける?」

「若様は別ですが、同朋衆の中には、城主と近づきすぎるあまり、虎の威を借る狐のような者がおります。織田のほうも、十阿弥じゅうあみという嫌なやつがおりましてな、織田の家臣からは嫌われております。同朋衆とは嫉妬を買いやすい仕事、お気をつけください」

「分かりました、肝に銘じます」

 俺は道三と信長にずけずけと物を言っているのだ。何度も言うがこの時代、相手の気に食わない言動や行動で死ぬ可能性がある。現代とは違うのだ。しかし、どちらも言わずにはおれなかった…俺の病気のようなものかな。


 病気といえば、信秀の症状はどのようなものなのか。俺は医者ではないから症状だけで分かる訳では無いが、色んな人にそれとなく聞いてみると、どうも腹部に腫瘍があるらしい。腫瘍といえば癌であるが、もしかしたら胃がんなのかもしれない。現代ならばまず切除し、転移していないか様子を見る…という方法が良いのだろうが、西洋医術のセの字もないであろうこの戦国時代では、そんなことは無理だ。結局は気休め。だからこそ、信長は「最期」と言ったのである。いが弱っているのであれば粥が最上なのであろうが、信秀は粥も食べられないほどだという。それは、しかし、「戦国時代の粥」においての話だ、と俺は思った。


 天文21年(1552)3月末、尾張国、末森城すえもりじょう

 信長は直臣の同朋衆、父、俺、複数名の家臣とともに末森城に現れた。城門で若い侍が馬に乗って出迎える。

「兄上、お久しゅうございます」

「おお勘十郎かんじゅうろう、息災か」

 両名とも馬から降りて声を交わした。あれが織田勘十郎信行か。信長と違い真面目そうな顔つきである。親しげにしているが、互いの腹はどうなっているか分かったものではない。

「勘十郎、父の様子はどうじゃ」

「…最近はもう、床に臥せっておりまして。言葉も発することが出来ず…食べ物も何も口に致しませぬ」

「安心せい。俺が、なんとかする」

「何か妙薬を持ってこられたのですか?」

「まあ、そんなものだ」

 信長は笑って俺の方を見たが、そんなに期待されてもなあ…と思う。だいたいその「なんとかする」というのは何なんだ。俺に何を期待しているのだ。末森城に入ると、信長、信行は信秀のもとへ向かい、俺と父は台所に入った。ありがたいことに既に竈門には火が入っている。末森城の料理人たちには既に俺達が来ることが伝わっているらしい。彼らに指示をし、俺と父は料理に取り掛かった。


「父上、信長でござる」

 信長は床に臥している信秀の側により、そう呼びかけた。信秀は病が進行しているのか、かなり痩せており肌色も青白い。しかし目は見開かれている。寝てはいないようだ。

「信長よ、あまり無理をさせるな…もう、いかんのじゃ」

 土田御前どたごぜんは、そう呟いて首をふる。信長は立ち上がり土田御前の方へ駆け寄ると、

「母上は弱気じゃ。あの織田信秀が、こんなに若くして死ぬわけがない」

「言葉を慎め。わらわもそう思いたい。だが…お前は末森城におらんから分からんのじゃ」

 信長はふう、と息を吐いて、

「今日は、父上に料理を持ってきた。皆で食べてもらいたい」

「そうは言うが…。お館様はもう長いこと食べるものも食べておらんのだぞ」

 土田御前がそう言うのを無視し、信長は手を2回叩く。家臣たちが料理を持ってきたのだ。俺は一番後ろから歩いてきた。まず、大きな土鍋が2つ出てきた。

「はて…兄上、父上は粥も無理と申したはず、もしや…」

「いや、俺もよく分かっておらん。今日の料理はある男に任せておる」

 信長の答えも答えになっていないので、信行はますますわけが分からない。料理が並べられると、俺は正面に座り平伏した。

「この者は斎藤道三の同朋衆であった古田左介だ。今、我が那古野城にて召し抱えておる。今日はこの者が料理を全て作ったのだ」

「…ま、まだ年端もいかぬ子どもではないか。本当か??」

 土田御前がそう呟き、信長は無言で頷く。

「面をあげよ、織田勘十郎信行である」

「はっ」

「古田左介とやら。ここにおわすお館様は、体調悪く粥も食えぬ状態じゃ。お前が作った粥は、この末森城で作った粥と違うと申すのか?」

「その通りです。まずは、お召し上がりください」

 土鍋の蓋が開けられると、不思議な香りが伝わった。その場にいる者たちに粥が配られる。

「この香ばしい香りは…なんだ…?」

 むっくりと、信秀が起き上がった。

「お館様!大丈夫なのですか」

「おう、皆の者…。久しいな。なんだ、三郎もおるのか。ははっ、わしが死んだとと聞いてきたのではないか」

 信秀は咳き込みながら言う。

「ははっ、そうではありませぬ、…もうすぐ死ぬと聞いて」

 そう言って、親子2人は笑った。このノリに土田御前と信行はついてこれないのか、腕組をして首を振っている。

 信長は茶碗を顔に近づけ、それから俺を見た。

「左介、これは煎茶の香りではないな。どういうまじないを使ったのだ」

「まあ、お召し上がりください」

 周囲が信秀の動きに注目する。信秀は箸を茶碗につけ、粥をひとすくいしてからゆっくりと口に入れた。鼻を突き抜ける米と茶の香り。特に茶は、抹茶とは全然別種のものだった。

「これは…米の甘い香りと、この香ばしい香りがなんともいえんな」

「お館様がお召し上がりになった…。なんと、なんということ…」

 土田御前が、茶碗を下において感慨深げな顔つきをしている。周囲から驚きの声が漏れた。

 まず俺が出したのはほうじ茶の茶粥である。これは奈良県や和歌山県では江戸時代頃から常食とされてきた。ただ本式に作ると塩がきついので、塩は入れずにお好みで漬物と一緒に食べる形とした。ほうじ茶は末森城の台所で俺が厚手の紙で焙じたものだ。

「これは茶粥と申します。茶を厚手の和紙を使って遠火にかけると茶葉が焙煎され、異質の香りが加わります。これを袋に入れ、米と炊きました」

「なるほどのう。原理はよく分からんが、なんとも言えぬ素朴な味わいだ。まるで禅寺に来ているようじゃな、のう権六」

「はっ、勘十郎様。しかし…」

 柴田勝家はそう呟いて、意地悪そうに俺を見た。

「これはやや素朴にすぎますな。お館様は先程まで病に臥せっておられたから良いものの、我々は戦場をさっきまで駆けていたのだ。もう少し、精のつくものでなければ、と思いますな」

「確かに、一理ある。左介、まだ仕掛けがあるのであろう」

 勝家も信長も随分な言い方であるが、それを見越して、俺は2のお粥を作っているのである。皆が茶粥を食べたのを見計らい、俺は第2弾を配った。普通の粥に、セリを刻んだものが乗っている。

「左介、これは普通の粥ではないか。茶も使っていない。俺が求めているのはこんなものでは…」

「秘密は、その隣の器にございます。それをかけてお召し上がりください」

 茶粥の隣には、今で言う醤油差しのようなものが置いてある。中には茶褐色の液体が入っていた。めいめい、恐る恐るそれをかけて食べる。

「これは…なんという味だ」

 信秀が唸った。

「ぐ…左介とやら、これは、カツオのダシじゃな!?」

 口の周りを粥でべたべたにしながら、土田御前が言う。

「ご明察にございます。鰹節でダシを取り、醤油と酒で味を整えたところで、葛でとろみを付けました」

「粥をここまで上品な味にするとは…。カツオの濃厚な旨味、セリの香り、茶の香り。そして米の旨味が合わさって、新しい味を作っている。確かにこれは、思いもつかぬ料理だ」

 信行がそう呟いたが、皆、カツオの香りに我慢出来ないようで、それからは、誰もが無言で粥をかっこんだ。あの信秀までも。

 全てが終わった後、信秀は布団の上に正座し、

「…左介とかいったな。とても美味かった。礼を申す」

 そう、深々と頭を下げた。俺は慌てて平伏する。勝家が立ち上がり、信長、信行、土田御前だけ残し、部屋から下がった。

「しばらく、親子だけにしたほうが良かろう。お館様が喋ったのは何ヶ月ぶりか…」

 勝家の目には涙が滲んでいた。


 天文21年(1552)4月末、那古野城。

 その日、場内にいる者たちは全員が呼び出された。信秀は上座に座る。

「本日、わしは家督を信長に譲り、隠居する。信長は今日より織田弾正忠家の当主となり、上総介かずさのすけを名乗る」

 ははあ、とその場にいた全員が平伏したまま声を上げる。

「ありがたき幸せに存じ奉りまする」

 その信長の言葉を確認し、信秀は次に信行を見た。

「信行は、武蔵守じゃ。他の兄弟の筆頭として、当主を補佐せい」

「かしこまりました」

 よかった。これで、はっきりと兄弟の序列ができた。信行の本心は分からないが…。俺はひとまず、ほっと胸をなでおろしたのだった。

 そして儀式の全てが終わり、家臣一同で宴会と相成った。

 …なんか、信秀、元気になってるんじゃないか。おいおい、なんか普通に清酒をガンガン飲んでるけど、大丈夫なのか。

「おう左介、飲んでるか」

 隣に勝家がいた。だいぶ酔ったのか、顔が真っ赤である。うわっ、と俺は声を上げる。

「いや、子どもですから、私は…」

「そうか、残念じゃな」

「…お館様のご病気はどうなったので?」

「それがな、あの粥を食べてからどんどん食欲が戻り、今じゃあの調子よ。薬師にも見てみたが、もう病気は回復しましたと申しておったぞ」

 そんなご都合主義な話があるか。と思ったが、そうなのだろう。俺はなんとも言えない表情を浮かべた。

 織田信秀は隠居し、再度那古野城へ入った。同時に平手政秀も隠居し、今後は緊急時以外は出仕せず、後身の指導にあたるという。信行は末森城城主となった。柴田勝家は平手政秀の代わりに信長付となり、織田弾正忠家の家老となる。家老の林秀貞は反対に信行付となり末森城へ入った。

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