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2025年9月28日 08:14
清酒は「僧坊酒」または「南都諸白」と呼ばれるものが大和国の寺で作られており、正暦寺の「菩提泉」と興福寺一条院の「中川」という二大銘柄がブランド化していたようです。ちなみに時々戦国ものでは澄酒を造って高値で売るというようなものを見かけますが、僧坊酒が高かったのはまさにこの作品で言う宇治茶の理論であり、同じものを同じ品質で作ったからと言って同じように大金を稼げるかと言うとそういうものでもなかったようです。ブランド化した理由は足利義政が絶賛したから。つまり同じだけの価値を付けようと思ったら足利義政に同じくらい褒めてもらう必要があるわけですが、義政はもう死んでますし、同じくらい広く知られてる文化人・風流人と言うと・・・。山科言継卿に飲んでもらって宮中で宣伝してもらうとかですかねぇ戦国だと。
2025年9月10日 12:43
古田家飲みならず、誤字?のみならず
作者からの返信
すみません、訂正しました
2025年8月20日 03:30
清酒が当時存在しないとのことですが、この頃は既に奈良地方で、いわゆる諸白造りが作られていたはずです。
すみません、勉強不足でした。
清酒は「僧坊酒」または「南都諸白」と呼ばれるものが大和国の寺で作られており、正暦寺の「菩提泉」と興福寺一条院の「中川」という二大銘柄がブランド化していたようです。
ちなみに時々戦国ものでは澄酒を造って高値で売るというようなものを見かけますが、僧坊酒が高かったのはまさにこの作品で言う宇治茶の理論であり、同じものを同じ品質で作ったからと言って同じように大金を稼げるかと言うとそういうものでもなかったようです。
ブランド化した理由は足利義政が絶賛したから。つまり同じだけの価値を付けようと思ったら足利義政に同じくらい褒めてもらう必要があるわけですが、義政はもう死んでますし、同じくらい広く知られてる文化人・風流人と言うと・・・。
山科言継卿に飲んでもらって宮中で宣伝してもらうとかですかねぇ戦国だと。