戦国マッスル無双~今川義元編~

五平

第一部:桶狭間前夜、筋肉の覚醒と死への抗い

第1話:暗闇の陣幕、目覚める鋼の魂と「死」への筋肉の反抗

熱い。全身が、焼けるように熱い。まるで、百回連続スクワットの後にサウナに放り込まれたかのような、尋常ではない熱だ。


「……んぐっ」


呻き声と共に目を開くと、豪華絢爛な陣幕の天井が視界いっぱいに広がっていた。微かに香る白檀の匂い。耳に届くのは、甲冑の擦れる音と、遠くで響く男たちの鬨の声。


(なんだ、ここ……病院か? いや、天井がこんな豪華なわけないし、何より、身体が……痛い……?)


体を起こそうとすると、全身を襲う倦怠感と、奇妙な違和感に襲われた。まるで、他人の身体を借りているような、馴染まない感覚だ。自分の手を見つめる。きめ細やかな白い肌。しなやかだが、どこか頼りない指。


「は……ははっ。殿、いかがなさいました?」


不意に声をかけられ、顔を上げると、目の前には頭を下げた侍がいた。その男は、間違いなく時代劇に出てくる武士の格好をしている。


(殿? こいつ、何を言っている……?)


戸惑いを覚えながら、近くにあった手鏡を掴み、自分の顔を見る。そこに映っていたのは──


「……え」


整った顔立ち。引き締まった口元。どこか貴公子然とした、見慣れない男の顔。だが、その顔には見覚えがあった。


今川義元。


その名が脳裏をよぎった瞬間、頭の中に、「永禄三年五月十九日、桶狭間──今川義元、織田信長の奇襲により討ち死に」という、冷徹な情報が稲妻のように駆け抜けた。


(……は? 桶狭間? 討ち死に? 俺、交通事故に遭ったんじゃ……なんで今川義元になってるんだ!?)


脳裏に浮かぶ絶望的な史実に、死への根源的な恐怖が、胃の腑からこみ上げてきた。吐き気がする。全身の毛が逆立ち、鳥肌が立つ。「冗談じゃない! 死にたくない!」という、ただ純粋な感情が、怒濤のように膨れ上がる。生への執着が、全身の細胞を震わせる。


その時、反射的に自分の体を触った。


「……ん? 肩が軽い……って、いや、三角筋が消えてる!? なん……だと……!?」


俺の脳内は、目の前の「今川義元転生」という現実と、「愛すべき俺の筋肉がない」という、二重の絶望と、常識外れの違和感に襲われた。だが、その絶望の淵で、唐突に、全身の細胞が覚醒するような感覚が奔った。


「待てよ……力が……入る……!」


身体の内側から、脈打つような熱いエネルギーが湧き上がってくる。まるで、魂の奥底に眠っていた筋肉の記憶が、今、この身体に呼び覚まされていくかのようだ。失われたはずの筋肉の感触が、このひ弱な肉体に宿っていく。


ボゴォ!


義元の着物の袖が、わずかに、しかし確かに膨らんだ。鍛え抜かれた上腕二頭筋が、着物の生地越しに隆起していくのが見える。腹筋も、背筋も、全身の筋肉が、まるで生命を得たかのように、脈打つ。それは、「筋肉の覚醒」。


「な、なんだ……!?」


そばに控えていた泰朝が、その異様な光景に目を見開いた。殿の体が、一瞬にして逞しくなっていく。それは、まるで、何かが憑依したかのような、人智を超えた光景だった。


義元は、隆起した己の肉体を確かめるように、ゆっくりと拳を握りしめた。漲る力。脳髄まで響くような、確かな「重み」。


「フッ……転生か……そして、この筋肉も、一緒か……!」


義元の口元に、冷徹な笑みが浮かんだ。彼の瞳には、恐怖や絶望ではなく、確固たる決意と、未来を見据える光が宿っていた。「未来を知る自分と、この筋肉があれば、戦国の運命を変えられる」というロマンと確信が価値観として発動したのだ。


「よし、決めたぞ……」


義元は、ゆっくりと立ち上がった。その肉体から放たれる威圧感は、先ほどまでの「貴公子」のそれとはまるで違う。そこにいたのは、まさに「覇王」と呼ぶにふさわしい、圧倒的な存在感だった。


家臣たちが、その異変にざわめき始める。彼らの顔には、困惑と、得体の知れない畏怖の表情が浮かんでいた。


「全軍に伝えろ!」


義元の声が、雷鳴に負けぬほど響き渡る。


「腕立て伏せ百回、スクワット百回、プロテイン代わりの豆スープを支給してから出陣だ! 良いか、兵ども! 筋肉の準備が整えば、織田の奇襲など恐るるに足らん!!」


意味不明な号令に、家臣たちは呆然と立ち尽くした。だが、義元の瞳の奥に宿る確信と、その常軌を逸した「筋肉」に、誰も反論できなかった。彼らは皆、唾を飲み込み、殿の「愚直なまでの合理性」に、ただ従うしかなかった。


その光景を見ていた「俺」は、内心でニヤリと笑った。


(ふふ、バカだろ、俺。でも……)


その瞬間、義元の口元が、さらに大きく吊り上がった。彼の瞳には、「筋肉は天下を制す」という、この物語の最終的なテーマが、確かな光を放っていた。

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