第11話 奪い合う女達

奪い合う女達

――甘い匂いが、鼻を刺す。


白磁のカップに揺れる紅の液体。

机に並ぶのは三つ。

紅、琥珀、翠――それぞれの光を宿した毒の杯。


「……ヤマト様、どうぞ」


セレスティアの微笑は、聖女そのもの。

けれど、その奥に潜む影が、背筋を冷やす。


「うちのが一番効くぜ? 疲れなんて吹っ飛ぶからよ」

リーナが笑う。その牙は、血の匂いを孕んでいた。


「……私のも、優しい味です」

ミレイユの声は平坦。でも、その瞳の奥に炎が見えた。


――狂気。

目の前で、それが形を成していく。


(やばい……これは、やばすぎる)


笑おうとしたヤマトの頬が引き攣った。

額に汗が滲み、指先が震える。


「なぁ……みんな、落ち着こう。な?」


三人は同時に笑った。

甘く、静かに――だが、その奥で火花が散る。


「……ねぇ、二人とも」

セレスティアの声は、蜜のように甘かった。

「どうしてここに来たの? ここは、ヤマト様と私の楽園なのに」


「楽園? 笑わせんな。檻だろ、こんなもん」

リーナが舌打ちした。

「お前みたいな化け物に、あの人は渡さねぇ!」


「……うるさい」

ミレイユの唇が震えた。

「あなたたちがいるから……あの人が、私を見てくれない」


空気が、軋む。

三人の間で、見えない刃が交錯する。


――そして。


「――殺していい?」

誰の声だったか。

甘く、冷たく、狂おしい声。


瞬間、世界が――弾けた。



---

――空気が裂けた。


轟音。

白銀の光柱が部屋を貫き、漆喰の壁を粉砕する。

反射的に、ヤマトは腕で顔を庇った。視界が白に焼き潰される。


「――セレスティア!? やめ――ッ!」


叫びは雷鳴に呑まれた。

光が消えたとき、床には焦げた跡。そこに、影が飛び込む。


「テメェえええええッ!!!!」


リーナだ。

全身から獣の蒸気を立ち上らせ、牙を剥いた獣女が、拳を振り下ろす。

拳には金属爪――爪撃のエッジが煌めいた。

衝突の瞬間、セレスティアの聖杖が火花を散らし、重い音が鳴り響く。


ガギィン!!


床が抜け、衝撃波が壁を裂いた。

宿の部屋だった場所が、粉々に崩れていく。


「……邪魔をしないでくださいまし、リーナ」


セレスティアの声は甘い。けれど、その奥に凍える殺気。

リーナの口元が歪む。


「ふざけんなッ! あたしは絶対、あの人を渡さねぇッ!!!」


「“あの人”?――神、でしょう?」


白銀の魔力が炸裂した。

爆ぜる光が、床を薙ぎ払う。

リーナの視界が一瞬、白に消える――その刹那。


「……フレア・ヴォイド」


凍りつくような声が、闇を連れて落ちた。


――轟。


紅蓮の火柱が、光の洪水を真っ二つに裂く。

セレスティアの聖なる輝きに、黒炎の槍が突き刺さる。

灼熱の嵐が吹き荒れ、部屋の空気が燃える匂いに変わった。


「……ミレイユ……」


ヤマトの声は震えていた。

扉の傍に立っていた黒衣の魔導士――その瞳は、氷のように無感情で。

けれど、その底に――灼けた紅が渦巻いていた。


「……二人とも、死んでいい」


淡々と。

だが、その言葉は呪詛のように重かった。


「ヤマトは……私だけのものになる」


次の瞬間、闇魔法の陣が床に浮かび、黒い稲妻が走った。

空間が震える。木片が宙を舞い、炎と光がぶつかり合う。


――光。

――焔。

――闇。


三色の魔力がぶつかり合い、世界を裂いていく。

耳をつんざく轟音。壁が崩れ、外の景色が見えた。

朝焼けの空。その赤すら、血と炎に呑まれていく。


「やめろッ!!! お前たち、正気じゃ――!」


ヤマトは叫ぶ。

だが、声は誰にも届かない。

三人の視線は、ただ互いを殺すために交錯する。


ガギンッ!

リーナの爪が、セレスティアの頬を掠め、白い肌を裂く。

紅が飛び散る――その瞬間、リーナの腹に光の杭が撃ち込まれた。


「――が、ッ……!!」


獣の吐息が血にまみれ、空気を震わせる。

リーナがよろめく――だが、膝を折らない。

牙を剥き、再び飛びかかる。


「ッ……そんな……やめてくれ……!」


ヤマトの心臓が、悲鳴を上げていた。

恐怖じゃない。

もっと、ずっと深い――絶望。


(――あのとき、戦場で見た地獄より……酷い)


光が再び爆ぜ、リーナの身体が壁に叩きつけられる。

骨が軋む鈍い音。

それでもリーナは笑った。血で濡れた口元で。


「……ぜってぇ、離さねぇ……」


次の瞬間、黒い稲妻が弾けた。

セレスティアの聖杖が弾かれ、宙に舞う。

その隙を狙って、ミレイユの炎槍が――。


――ドゴォオオオオオン!!!


床が抜け、三人の姿が炎と煙に呑まれた。

世界が崩れていく音。

砂煙の中で、何かが軋む。呻く。笑う。


そして――。


静寂。


ヤマトは、膝を折った。

視界が滲む。

耳の奥で、自分の鼓動だけが、異様に響いていた。


「……なんで……」


呟きは風に消えた。

どうしてこうなった。

仲間だった。命を預け合った。

それなのに――。


(俺が……俺のせいで……)


胸の奥で、何かが壊れる音がした。

涙は出ない。ただ、心が冷たく沈んでいく。


――そのとき。


空気が変わった。


光が――降った。

それは陽光ではない。

もっと白く、もっと純粋で――

そして、背筋を凍らせるほど甘い。


「……あぁ、やっと」


声がした。

銀鈴のような、耳を蕩かす声。

虚空が裂け、白い足が降り立つ。


「やっと、迎えに来られたわ……ヤマト」


その姿を見た瞬間、世界が反転した。

 

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