創作短編集
灰音ヒビキ
第1話 悲劇をなくし続けた少女の物語
あるところに、一人の少女がおりました。
少女は、朝の光のように、あたたかくて優しい少女でした。
誰かの涙に気づけば、自分も同じようにそっと涙を流す──
そんな、心の底から“優しさ”で満たされた少女でした。
ある日、少女は目を閉じ、胸の前で手を合わせました。
「神様、どうか……この世界から悲しみが消えますように。誰も苦しまなくて済みますように」
それは誰かのためを思って祈った、まっすぐで、やさしい願いでした。
そのときです──
空気が凪ぎ、時が止まったように感じられました。
そして、どこからともなく、威厳に満ちた声が響いたのです。
「お前の願いを叶えてやろう。
ただし──悲劇を無くすのは、お前自身だ。
誰にも知られることなく、誰の記憶にも残ることなく、
お前の意思で、お前の手で、悲劇を消し続けるのだ。
この世界から悲劇がすべてなくなるその日まで──
その覚悟が、お前にあるか?」
少女は声に驚き、周囲を見渡しました。
けれど、誰もおらず、ただ風だけが静かに吹いていました。
神様の言葉が、少女の胸をかすかに揺らしました。
消えてしまうことが、怖かった。
誰にも覚えてもらえないことが、悲しかった。
生きた証が何も残らないなんて、それはとても、寂しいことでした。
それでも──
少女は、かつて見た景色を思い出しました。
誰かが泣いていた夜のこと。
助けたいのに、何もできずにただ傍で泣くだけだった自分の小さな手のこと。
しばらくの沈黙のあと、少女は震える身体を抑えつけ、
固く小さな手を握りしめて、
決意に満ちた声で、ただ一言、こう言いました。
「それが……誰かの救いになるのなら──」
その瞬間、少女は世界から消えてしまいました。
誰も少女を覚えていません。
少女を知る者は一人もいません。
名も、姿も、声も、どこにも残っていません。
それでも少女は──
誰かの悲劇をなくすため、少女の意思で、少女の手で、
今でも、少女は誰かのために悲劇を無くし続けているのです。
誰にも気づいてもらえなくても、誰にも讃えてもらえなくても。
誰かの涙を、悲しみを消すために、人々が幸せでありますようにと…。
この世界から、悲劇がすべて消えるその日まで。
いつまでも、いつまでも……
これは、世界から悲劇をなくした、一人の少女の物語。
誰にも知られず、誰にも覚えられず──
けれど、たしかにこの世界を救い続けた少女の物語。
これにて、おしまい。
めでたし……めでたし。
……どこからか、拍手の音が鳴り響きました。
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