輝いていたんだ

あおきひび

💡

 入社3年目の俺のいる部署に、中途採用で入ってきた新人がいる。

 そいつは三十路のおっさんで、まあとにかく要領が悪いみたいだった。ミスは多いわ書類はぶちまけるわお茶はこぼすわで、始終謝っているイメージしかない。上司に目をつけられ、毎日可哀そうなくらいに絡まれ、いびられている。それも仕方ない。あまりにミスが多すぎるし、何より、そいつの見た目は、ある一点で「普通じゃない」から。

 そいつの頭は、電球だった。スーツの襟から銀の口金が生え、その上にあの特徴的な形のガラス球、透けて見える中には光を発するためのフィラメント。それだけ。目とか鼻とか口とか、人間の頭についているものは何一つない。なのに、そいつは見て、会話し、生きている。不思議なもんだ。でも別に、珍しいことではない。

 ここ最近この国に広がっている『異頭症』の症状だ。何でも、突然普通の人の頭部が何らかの「モノ」に変わってしまい、元に戻らなくなる例が増えてきているらしい。事実俺の大学時代の友人の一人も、頭がラジカセだった。専門家たちはその原因を調査していて、排気ガスのせいだとか、環境の変化による突然変異だとか、世界崩壊の前触れだとか、好き勝手に騒ぎ立てている。

 勝手にやっとけって話だ。別に頭が人間と違ったからって、会話も成り立てば仕事もできる。この職場にもそうして働いている異頭症のやつらは何人かいる。要は使えれば何でもいいって訳だ。

 だが、あの電球頭は可哀そうなことに、「使えない」のだった。上司世代なんて頭の固い奴ばかりだから、当然異質なものに対する風当たりも強い。特に課長は事あるごとにあいつのデスクに来ては、ネチネチと小言を吐いていく。そのたびにあいつは委縮してうつむくのだ。

 別に、あの電球頭のおっさんが心配なわけじゃない。あの頭が特徴的だから、いやでも目に入る、それだけだ。とにかく俺は、そんなそいつの様子を対岸から眺め、可哀そうだな、でも俺には関係ないし、なんてことを考えていた。

 そんなある時のこと。


 デスクで書類仕事をしていると、後ろから声がかかった。課長だ。しかもやけに上機嫌。なんか嫌な予感がする。

 椅子を立ち振り向くと、メタボの課長の横で、あの電球頭が縮こまって立っている。課長がこともなげに、

「君、今日からこの電球の教育係ね。じゃ、よろしく」

 そう言い残して悠々と去っていった。

「は、はあ……」

 その背中を情けない声を出しながら見送る俺。

 面倒なことになった。教育係、というのが何を指すのかはよく分からないが、要は仕事を教えろということなんだろう。だがこのおっさんの仕事の出来なさ具合は、遠くから見ていただけでもよく分かる。これは当分俺まで残業続きだ……はあ。

 とりあえず、依然縮こまったままの電球頭に向き直った。

 ちらりと相手の様子を見る。遠くから見ていただけだと分からなかったが、意外に背が高い。180は超えている。そして細い。体力がなさそう。それだけ確認したところで、口を開いた。

「山口です。今日からよろしくお願いします」

 そいつは慌てて返した。

「よ、よろしくお願いします、あ、み、光浦です……」

 挨拶すらなってない有様。思った以上にひどい。これからどうなることやら。ため息をなんとか抑えて、問いかける。

「私に何を教われと言われました?」

「は、はい、えっと、基本的なことから、と……お茶くみやコピー取りからやり直せって」

 案の定だった。

「……じゃあ、お茶の出し方から始めましょうか」

「はい、す、すみません」

 給湯室までそいつを連れて歩く道中、部署内の人々の視線を感じた。その大半はきっと、厄介ごとを押し付けられた俺への同情の目線だろう。後ろのそいつに聞こえないように、俺は小さくため息をついた。


 その日から、電球頭のおっさん、光浦との仕事が始まった。

 仕事と言っても、ごく初歩的なコピー取りやらから教えなければならなかったので、俺は新入社員のころに戻ったような気分だった。だがもはや俺は新入社員ではなく、別の「新入社員」に教える立場だ。気を抜いてはいられない。こいつがミスすれば、俺にも責任が問われるかもしれない。

 光浦は今日もコピーの部数を間違えた。大量に吐き出される廃紙を前に、申し訳なさそうにそいつが言う。

「すみません……やっぱり私、向いてないですね」

「そんなことないですよ、慣れれば誰だって、出来るようになります」

 俺は努めて明るい声を出した。こうでも言って励まさなければ、こいつが使い物になる日は遠い。そうなれば、俺の仕事が増える。

「あ、ありがとうございます! 頑張りますね」

 だから、励ましたくて励ましてるわけじゃねえんだよ。俺は胸中で毒づきながらも、

「一緒に頑張りましょうね」

 そう言ってなんとか笑顔を作った。


 しかし光浦は一向に使えるようにならない。

 とにかく不器用で、ミスが多かった。伝票の数字を書き間違える、表計算ソフトの入力欄をずらす、書類に誤変換を作る、電話の取次ぎ先を誤る……日々新しいミスの話には事欠かなかった。そんなミスのたびに俺は光浦のフォローをして回った。あいつと一緒に頭を下げるはめにもなった。結果、自分の仕事にまで手が回らず、毎日のように残業した。


 その日自分のアパートに帰り着いたのは23時ごろ。電気をつけ、部屋着に着替え、買ってきたコンビニの総菜を小さなテーブルに広げる。一人暮らしのしんとした部屋で、もそもそと食べるからあげは湿気て、味がしない。俺は部屋の隅に立てかけてあるエレキギターを遠い目で見つめながら、ただただ食物を口に運ぶ。

 こう忙しくては楽器を触る暇も無くて、高校生のころ奮発して買ったレスポールはホコリをかぶっている。入社以降、一回も使っていない。

 食事を終えて、ベッドに寝転んでスマホをいじっていると、メッセージアプリに通知が来た。起き上がりつつ見ると、高校時代の友人からだった。そいつは俺がいた軽音楽部の友人で、頭がラジカセだ。高校卒業後もバンドを続けている。そのバンドが今度初ワンマンライブをするらしく、お前もぜひ来いと誘われた。

 俺は「行けたら行くよ」とだけ返信して、そのままベッドに倒れこんだ。

 もしあのとき就職せず、夢を追いかけていたら? そう考えることもある。そのたびに必死で思考を頭の外に追いやる。「仕方がなかった」「俺には才能がなかったんだ」「もしバンドを続けてても、成功なんてできなかったさ」そう自分に言い聞かせる。

 にしても、ここまで社会人に暇がないとは思わなかった。これでは趣味程度にギターを弾くことも、バンドの新譜を聴くことすらおぼつかない。音楽を生きがいに過ごしてきた俺には、それは相当のストレスだった。

 明日も仕事があるから、早めに休まなければならない。あの電球頭はいつになったら仕事を覚えてくれるのだろう。そろそろ残業続きの日々は嫌になってきたところだった。


 職場のトイレから出てオフィスに戻ると、部署のブース内がやけにしんとしていた。どうしたのだろう。

 客間のドアの前に課長と光浦が向かい合っている。頭を下げている電球頭に、課長が大声で怒鳴りつけた。かと思うと、課長は手にしていた湯飲みの中身を、頭を下げている電球頭に向かってぶちまける。そのまま何か捨て台詞を吐き捨てて、大股で去っていった。

 またなにかやらかしたのか。俺はタオルと雑巾を持って光浦の元に行った。そうしなきゃいけないような空気を感じたから。

 光浦はその場で立ち尽くしたままだ。俺がタオルと雑巾を差し出すと、はっとしたようにこちらを見て、ありがとうございますと受け取った。

 タオルで濡れた頭の電球を拭きつつ、しゃがんで床を雑巾がけする光浦。その拭き方一つさえ、要領を得ない。まったくこいつは、いつになったら使い物になってくれるのだろう。残業続きのこっちの身にもなってくれよ。そう思うと、ふつふつといら立ちがこみあげてきて、俺は目の前のおっさんにイヤみの一つでも吐かないと気が済まなくなった。床にかがみこむ背中に、平静を装って言葉をぶつける。

「あんな毎回毎回怒られて、よく平気でいられますね。なんかコツでもあるんですか」

 要するに、平気でミスを重ねて改善しようとしない根性を揶揄した、つもりだったが、

「えっと、平常心でいるコツですか? そうですね……」

 電球頭はイヤみに全く気づかなかった。

 その上、こんなことまで言ってきた。

「……昔、自分が一番『輝いていた』時のことを思い出すんです。そうすれば、大抵のことは頑張って乗り切れますね」

 どこか遠くの方を見つめながら、そいつは独りごちる。俺はあっけにとられてそれを聞いた。

 電球頭はタオルと雑巾を片付けに行った。俺もデスクに戻ったが、あいつの言ったことを思うと、だんだん腹が立ってきた。

 『輝いていた』って? ああそうかよく分かった。要するにあいつは「懐古厨」なんだな。うだつのあがらない現状に目を背けて、上手くいってた時のことを夢想して現実逃避している。輝いていたんだか何だか知らないが、どうせその上手くいってたこととやらも、学生時代優秀だったとか、女にもてたとか、そんなとこだろう。ちっぽけな過去の栄光にすがってる暇があったら、さっさと仕事覚えろよ。

 そんな鬱屈した気持ちを抱えたまま、その日の仕事は終わった。


 例のインディーズバンドをしている友人が、CDを送り付けてきた。何でもファーストアルバムらしい。そのうち強制的に感想を聞かれるのは分かっていたので、仕方なしにパソコンにCDをセットする。今までの俺なら、音楽と聞けば何でも喜んで聴くのが常だったが、今はそんな気力も失せてしまっている。タスクを消化するかのごとく再生ボタンをクリックした。

 ところがこれが、案外良かった。

 今流行りの四つ打ちロックをベースに、ソリッドなギターサウンドを奏で、キャッチ―かつ少しシニカルな歌詞をのせる。グルーブ感も申し分ない。なんだ。あいつのくせにやるじゃないか、と、嬉しいやら悔しいやらの複雑な気持ちが起こる。

 あいつ、元気でやってるだろうか。友人のバンド名をスマホで検索すると、SNSのページがヒットした。漫然と画面をスクロールし、過去の投稿へとさかのぼって見ていく。ライブの告知やら物販情報などが並ぶ、代わり映えしない投稿の数々。まだサイトの運営にまではそこまで手が回ってないんだな、なんて、気楽に画面を眺めていた。

 そんな俺の前に、突然それは現れた。

 ふと目に留まったのは、友人バンドと別のバンド複数が集まって合同ライブをした、その集合写真だった。友人バンドの投稿コメントはこうだ。

「偉大なる先輩バンドの解散ライブでした! ありがとう、ELECTRON!」

 ELECTRON、というのが解散したバンドの名前だろう。そしておそらく、写真中央に4人集まって映っているのが、そのバンドのメンバーだ。4人で肩を組んで笑っている、その中の一人に、否応も無く、見覚えがあった。

 背の高い、電球頭の男。

 人違いかもしれないと思った。堂々とステージ上に立つその姿は、職場でのあいつのイメージとはかけ離れていたから。でも、もしかすると。

 俺の手は勝手に、検索窓に「ELECTRON」の文字を打ち込んでいた。一番上に出てきたミュージックビデオを再生する。

 そのまま一曲聞き終わって、俺は次々と別の曲を再生していった。

 ひとしきり聞き終わって、思った。

 青臭い。高校生のやるバンドのようで、メロディーもリフもあか抜けない。ヘンにかっこつけてて、正直時代遅れだ。 だけどどこまでも純粋で、まっすぐで……。

 サイコーに『ロック』だった。

 関連動画の中に一つだけ、ライブの様子をダイジェストで映したものがあった。

 まず映ったのは、照明の落ちた真っ暗なライブハウス。開演前のざわめきの中、闇のなかに、不意に光がともる。金色に輝く、電球の明かり。その光に歓声が沸きおこる。

 映像は演奏中の場面に切り替わる。電球頭はベースを弾いている。正確に低音を刻み、バンドの音を下から堅実に支えている。かと思えば、華麗なスラップを決めたりなんかもする。曲中の自分の弾かないパートでは、ビートに合わせて拳を掲げ、客を盛り上げている。サビに入ると、頭の電球をフルパワーで点灯させ、ステージの照明に負けないほどの光を放つ。

 何もかも、普段見ているあいつの様子とは違った。堂々とステージに立つその姿は、雑巾で床を拭くあいつの背中とは、どうしても重ならない。俺はまだどこかで、このベーシストは光浦とは別人なんじゃないかと思っていた。

 場面が切り替わり、MCの様子が映し出された。ギターボーカルがフランクな調子でファンへの感謝を述べ、突然ベーシストに話を振った。電球頭は少したじろいだようにその頭を点滅させ、やがてためらいがちにマイクを握った。

「えー……なんていえばいいのか……その、みなさん、ありがとうございます、今日のこの瞬間は、僕にとっては……うん、すごく、幸せな時間です」

 不器用に言葉を連ねるそいつ、その声や話し方には、確かに聞き覚えがあった。

 ああ、やっぱりそうなのか。光浦、あいつは。

「今、この瞬間、僕は人生で一番、輝いている。それは間違いありません。だから、その……ほんとに感謝してます。これからも、僕らを応援していてください」

 MCが終わり、ライブハウスにあたたかな拍手が起こる。そこで映像は終わった。

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