第2話 陰鬱な高校生活
卒業式の日、プールサイドで僕の目に焼き付いたあの光景は、僕の心を深く抉った。
家に帰ってからも、莉乃の唇が、佐々木の唇に吸い寄せられていく、あのシーンが頭から離れない。ベッドに横たわっても眠れず、食事も喉を通らない日々が続いた。
両親や妹の
でも、何一つ、大丈夫なことなどなかった。
僕の、春休みは、まるで色を失ったようだった。
外出する気力も湧かず、部屋に閉じこもってただスマホを眺めるばかり。
中学の友人から連絡が来ても、返信する気になれなかった。
このまま時間が止まってしまえばいいのに、と何度願ったか知れない。
◇
あっという間に高校の入学式が訪れた。
新しい制服に袖を通しても、心は全く浮き立たない。
むしろ、これから始まる高校生活への重苦しい予感と、莉乃と同じ学校に通うことへの恐怖が、僕を押し潰しそうだった。
入学式は、中学の卒業式と同じく、僕にとっては感情の伴わない儀式だった。ただ、早く終わってほしいと願うばかりだ。
翌日、初めてのクラス発表。
掲示板の前には、新入生たちがごった返している。僕も人混みをかき分け、自分のクラスを探した。
1年B組のクラス名簿の一番上に自分の名前を見つけ、「よし……」 と呟く。
安堵の息を漏らしたのも束の間、クラス名簿のその下に視線が吸い寄せられた。そこに見慣れた名前が並んでいた。
最悪だ。同じ高校なのは承知していたが、まさか同じクラスだとは。しかも、二人揃って。
僕の胸の奥に、また黒い塊が投げ込まれ、それが波紋のように広がっていく。
教室に入っても、僕の沈んだ気分は晴れなかった。
ロングホームルームでの自己紹介が終わると、クラスメイトたちはすぐに気の合う者同士で集まり、楽しげに談笑し始める。
同じ教室にいるはずの莉乃と佐々木の姿は、他の生徒たちに囲まれていて僕の目に入らなかった。それは、ある意味の救いだった。
僕は相変わらず、誰からも声をかけられず、自分から輪に入ることもできない。
教室の片隅の席で、窓の外をぼんやりと眺めていた。
このまま、何も考えずに、一人、穏やかな時間を……。
そんな僕の願いはかなわなかった。
授業中も、休み時間も、僕の視界の端には常に莉乃と佐々木の姿があった。彼らは、僕の存在など気にも留めないかのように、堂々と親密な様子を見せつける。
休み時間には、机を寄せて顔を近づけ、楽しそうにひそひそと話し合ったり、一つのスマートフォンを覗き込んで笑い合ったりしている。
佐々木が莉乃の髪を軽く触ったり、莉乃が佐々木の腕を叩いてじゃれついたりする姿は、僕の心を容赦なく締め付けた。
教室の喧騒が嘘のように、彼らの周りだけが切り取られた特別な空間に見えた。
その光景を目にするたび、僕の胸には鋭い痛みが走り、まるで心臓が氷漬けにされるような感覚に陥った。
彼らの眩しさが、僕自身の陰りを一層際立たせる。
昼休み。賑やかな廊下を、僕は俯き加減で歩いていた。
食堂へ向かう気にもなれず、屋上で一人で過ごそうかと思っていた、その時だった。
「莉乃、こっち来いよ!」
明るく、少し強引な声が耳に届き、思わず顔を上げた。
廊下の真ん中で、佐々木が莉乃の肩を抱き寄せ、楽しそうに笑っている。まるで、莉乃が自分のものであることを周囲に誇示するかのように。
莉乃も、佐々木の言葉に屈託なく笑い、嬉しそうな顔で佐々木の目を見つめていた。
そして、彼らは、僕の存在に気づくこともなく、そのまま、食堂へと遠ざかっていった。
僕は、その場に立ち尽くすしかなかった。
僕はもう、完全に理解していた。
中学時代、莉乃が僕に見せてくれた、優しさ。僕の中学生活に彩りを与えてくれていた、あの莉乃の優しい顔と、声は、僕だけに向けられていたものではなかったのだ。
莉乃にとって、あれは、「普通」の友人に対する態度でしかなかったのだ。僕が勝手に、特別な意味があると誤解していただけだ。
目の前で、堂々と親密な様子を見せつけられるたびに、僕の心はズタズタに引き裂かれるような痛みに襲われた。
放課後、部活動紹介のポスターが、校内のあちこちに貼り出されている。水泳部のポスターも、もちろんあった。
「水泳部、入部希望者募集!」
水泳は好きだ。
莉乃と出会うきっきになった水泳。
人と接するのが苦手な僕でも、水の中で泳いでいると、なんだか頑張っている気になれた。
そして、水泳部には莉乃がいた。莉乃がいたから、中学でも三年間続けてこれた。
それでも、タイムは伸びず、大会の選手にもなれなかった。水泳部のエースとして、個人メドレーやリレーで結果を残してきた佐々木とは大違いだ。
この高校で、莉乃も佐々木も、きっと水泳部に入部するだろう。
あの二人がいる場所に、僕が再び足を踏み入れる勇気は、どこにも見当たらなかった。
僕は、ただ、その場から逃れるように、下校の道を急いだ。
新しい高校生活は、始まったばかりだというのに、僕の心は、もうすでに深い絶望の淵に沈んでいた。
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