第45話:魔女と湖の決戦

 轟音が水源のるつぼを揺るがし、泡立つ湖面から魔獣がその姿を現した。

 水柱を割って飛び出した影は、黒き背びれを幾重にも並べた巨躯。濡れた鱗が陽光を呑み込み、深い眼孔がぎらりと光を返す。

 その一瞬にして、冒険者たちの全身から戦意が爆ぜた。


「来るぞ、構えろ!」

「一斉に撃ち込め!」


 最前に立つ二人――鎧をまとった大男と、影のように身を沈めた女が声を張る。

 仲間たちが呼応し、矢が放たれ、詠唱の光が走った。槍の穂先が水飛沫を裂き、火球が魔獣の背を叩く。

 轟音と共に水が弾ける。魔獣は水柱を盾のように操ったが、それでも体の一部に深い傷が刻まれていく。


「……善戦していますね」


 私は静かに息を吐き、隣のノアに視線を向ける。

 彼女はすでに一歩踏み出しかけていたが、私の目を見て、はっと足を止めた。


「……いまは彼らに任せましょう」


「……でも……!」


「あの魔獣、どこか力を温存しているようです。何か仕掛けてくるかもしれません。今は彼らを見守っているべきです」


 その声に、彼女はしばし逡巡したが、やがて静かに頷く。

 瞳には不安と焦燥が宿っていたが、それでも私の言葉を信じるように、彼女は私の傍らに立ち、待機の構えを取った。


 戦場では、冒険者たちが息を合わせて陣形を組み直す。

 盾が打ち込まれ、剣が閃き、魔法の光が水柱を裂く。

 その結束は強く、決して退かぬ気迫に満ちていた。


(……よい連携です。恐怖に呑まれず、街を守ろうとする意思が確かにある)


 私は湖霧の向こうに揺らめく火と矢の光を眺め、胸の奥で静かに頷いた。



 * * *

 


 戦場は、冒険者たちの奮戦で激しさを増していた。

 水柱を幾重にも操る魔獣も、冒険者たちの攻撃を完全には受けきれず、鱗に裂傷を刻まれていった。

 血混じりの水飛沫が霧となって舞い、戦場に鉄の匂いが漂う。


「よし、押しているぞ!」

「畳みかけろ!」


 誰かの叫びに呼応し、声が連鎖する。

 隊列は乱れることなく前へ出て、剣が閃き、雷撃が湖面を走った。魔獣の咆哮が響くたびに地が揺れたが、誰一人として退く気配はない。


 ――しかし。


 私はその動きを見逃さなかった。

 魔獣の背びれが一瞬、鈍い光を帯びる。水柱の動きが乱れ、周囲の水面が不自然に渦を描きはじめていた。


(……何か仕掛けてきますね)


 胸の奥で小さく息を詰めた瞬間、巨大な影がうねる。

 水柱が崩れ、今度は湖底から無数の気泡が立ち昇った。水源全体が不気味に膨れ上がり、冒険者たちの間に動揺が走る。


「……っ、水が……空へ……?」


 誰かの声が震える。

 次の瞬間、頭上に巨大な渦が形を成しはじめた。湖そのものを巻き取ったかのような渦潮が空中に浮かび、その中心には深い闇が穿たれている。

 轟音と共に、渦の回転は加速していく。


「な……なんだ、あれは……!」

「街ごと呑み込む気か……!?」


 冒険者たちの結束が揺らぎ、ざわめきが広がる。

 それは明らかに、これまでの攻防とは次元の違う何か。


(……これが、この魔獣の本当の脅威ですか……)


 私は湧き上がる水の奔流を見上げ、静かに息を呑んだ。

 魔獣の咆哮と共に、空へと舞い上がった巨大な渦潮。

 湖の水面がごっそりと削ぎ取られたように沈み、黒き渦が天を呑み込まんばかりの勢いで膨らんでいく。


「ル、ルシアさん! どうすれば……っ?!」


 焦燥に満ちたノアの声。

 私はその魔力の揺らぎを一瞬で見抜く。


「……あなた、水魔法が得意ですね」


「えっ、急に……? な、なんで分かるんですか……!」


「魔力の質や流れを見れば……おのずと分かります」

 

(……それに、この子の波長は、どこか私と似ていますね……)


 私は渦を仰ぎ見たまま、わずかに口元に笑みを浮かべる。


「……あの渦に対抗するには、同じだけの質量の渦をぶつけるのが一番です」


「え……同じ渦を……ぶつける……?!」


「ええ。しかも逆回転の流れを与えれば、互いを相殺できるはずです」


 あまりに単純な答えに、彼女は呆気にとられたように目を瞬かせる。

 だが私は真剣だった。自然の理を逆手に取るその発想に、脳裏には勝算が見えていた。

 

「今の渦潮を打ち消すには、大きな力が必要です。あなたの水魔法で形を作ってください。……私が流れを与えます」


 彼女は一瞬、戸惑ったように視線を揺らした。けれど次の瞬間、両の手を胸の前に広げると、周囲の空気が張り詰める。

 水の気配が彼女の周囲に集まり、やがて青白い光を孕んで膨れ上がった。


(……っ、これほどの魔力を……)


 私は驚きを隠せなかった。彼女の内に眠る水の力は、若さに似合わぬほど豊かで澄んでいる。

 彼女が必死に両腕を押し広げるたび、透明な水塊は空を覆う渦潮に匹敵する規模へと育っていく。

 けれど、その水塊はまだ足りなかった。

 空の渦とぶつけるには、まだ大きさが足りない。


(……よくやりましたね。でも、まだ――ここからです)


 私は静かに彼女の背後に歩み寄り、伸ばした手を、そっと彼女の手の上に重ねた。


「えっ……ル、ルシアさん……!?」


 彼女の肩がびくりと震える。

 指先を通して、私の魔力が彼女の魔力の流れに滑り込んでいく。

 瞬間、世界の空気が震えた。

 水塊が膨れ上がる。

 彼女が作った渦が、私の魔力を吸い上げるようにして一気に拡張し、青白い光が空を裂いた。

 それはもはやひとりの力では作れない規模――天を穿つ水の奔流だった。


「な、なんですかこれ……! わたしの魔法じゃないみたいです……!」


 私は彼女の手に添えたまま、わずかに微笑んだ。


「いいえ、あなたが形を作ったからですよ。私は、少し広げただけです」


 指先を滑らせ、流れを操る。

 轟と地を震わせる音と共に、水塊は一気に渦を巻き、逆回転の奔流となって唸りを上げる。


「――行きます!」


 二つの渦が、空で激突した。

 衝突の瞬間、空気が震え、凄まじい衝撃波が戦場を貫いた。

 渦と渦が互いの回転を噛み砕くようにぶつかり合い、轟音とともに水の奔流が四方へと弾け飛ぶ。

 圧縮された力が一気に解き放たれ、鋭い飛沫が無数の刃となって周囲を薙ぎ払った。


 巨大な水塊は、完全な相殺ではなく、衝突によって構造そのものが崩壊していった。

 天を覆っていた渦は形を保てず、回転軸がずれ、幾筋もの流れへと裂けて空へ散る。

 その轟音は、まるで天空そのものが砕けたかのようだった。

 最後には白い霧になって散り、戦場に一瞬だけ不気味な静寂を残した。

 冒険者たちは一瞬、呆然と立ち尽くしていた。

 私はその隙を逃さず、声を張り上げる。


「――いまです!」


 その一声が、張り詰めていた空気を震わせた。

 鎧の男が大剣を振りかぶり素早く駆ける。


「いけぇっ!」

「決めろ、いまだ!」


 声が連鎖し、戦場が一斉に動き出す。

 炎が奔り、矢が雨のように降り注ぎ、雷光が水飛沫を貫いた。魔獣の鱗が次々と裂け、苦悶の咆哮が水源を揺らす。

 鎧の男の剣が巨躯の胸を貫き、影の女の短剣が眼窩を裂いた。

 その瞬間、後方からの魔法の奔流が一斉に叩き込まれ、黒き背びれを吹き飛ばす。


 水柱を操っていた巨躯は、もはや抵抗する力を失っていた。

 咆哮ひとつ、振り上げかけた首が震え、やがて重々しく崩れ落ちる。

 轟音と共に湖面が揺れ、濁流が岸を打ち、巨大な影は静かに沈んでいった。

 一瞬の静寂。

 そして次の瞬間、爆ぜるような歓声が戦場を包んだ。


「やったぞ!」

「倒した……! 俺たちが……!」

「街は守られたんだ!」


 冒険者たちは武器を掲げ、互いに抱き合い、叫び合った。

 その声は水飛沫に反響して、森と湖全体にこだました。

 ノアも肩で息をつきながら、私に視線を向ける。

 その顔に浮かんでいたのは、安堵と喜びの色だった。


「……勝てましたね、ルシアさん」


 私は小さく頷き、静かに微笑む。


「ええ。みなさんの力で、街は守られました」

 

 余韻を抱えたまま、私は湖の静けさを見つめていた

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