第4話:魔女と初依頼

「依頼を一件、申請します。こちらの遺跡調査補助で」


 私は受付カウンターにて、端末を掲げながらそう伝えた。

 受付にいた若い女性は、すぐに端末を確認し、落ち着いた声で対応する。


「はい、仮登録のルシア・フェーン様ですね。……確認しました。遺跡調査補助依頼、現在も有効です。仮登録者でも受注可能案件となっておりますので、そのまま手続き可能です」


 ぱちりと端末にスタンプのような処理がなされ、情報が私の端末にも転送された。


「今回の依頼ですが……失礼ながら、少しご注意を」


 女性は声をやや落とし、真剣な表情を見せた。


「この案件、依頼そのものは危険度が低めとされていますが──実は、これまでの受注者の大半が途中離脱や報告なしの未完了扱いになっていまして。ギルド内でも受ける人がいなく、長らく放置されているんです」


「……つまり、誰も最後まで終えられなかったと?」


「ええ、そうなります。正式登録の冒険者でも戻ってこなかった例がありまして……」


 彼女はほんの少し間を置いて、言った。


「ルシア様の魔力量からすれば、おそらく問題なく遂行できるとは思います。ですが、くれぐれも無理はなさらないよう、お気をつけください」


「……承知しました。ありがとうございます」


 私は微笑んで応じた。

 端末に表示された新たな情報を確認する。


 《調査依頼:アルマ=リード第七遺跡・封鎖区画補助作業》

 《依頼形式:個人受注(仮登録受注可)》

 《位置情報:端末追跡により目的地自動誘導》


(ふむ……集合場所や時間は明記されていないのですね)


 この時代では、冒険者というのは依頼ごとに端末から追跡される仕組みなのだろう。

 目的地までの道のりも、必要な情報も、自動で更新されていく。

 それゆえに、個人から受ける直接依頼や合同依頼でなければ時間や地図、誰かの指示に頼る必要はない。


(合理的、ですが……個の責任も重そうですね)


 私は軽く息をついた。

 しかし、迷いはない。


「それでは、向かいます」


「お気をつけて。無事のお戻りを、お祈りしております」


 女性の声に背を押されるようにして、私はギルドをあとにした。


 

 * * *



 冒険者ギルドを出た私は、地図端末の表示に従って、街の南端へと歩を進めていた。

 目的地は、市街地の外れにあるとされる「第七遺跡」。

 小高い丘を越え、舗装の消えた土道をしばらく行くと、空気の匂いがわずかに変わった。

 草木の湿り気が強まり、風が冷たくなる。都市の喧騒は遠のき、代わりに虫の声が耳に届いた。

 それは、まるで時代の境目に足を踏み入れるような感覚だった。


(……思ったより、整備されていないのですね)


 道はあくまで案内上のルートに過ぎず、歩きやすいとは言いがたい。

 だが、都市からそう遠くない距離に、こんな場所があるとは、少し意外だった。

 途中、小さな案内標が立てられていた。

 《第七遺跡 調査指定区画:立ち入り制限対象外》

 そして、その下にはもう一枚、古びた警告文が掲げられている。


【注意事項】

本遺跡は現時点において魔力反応・魔物出現などの脅威は観測されておりません。

よって「低危険度区域」として扱われ、冒険者ギルド仮登録者でも調査依頼を受けることが可能です。

ただし、過去に複数の依頼失敗例が存在します。突発的な術式暴走・視覚的異常・精神的不安定などの報告あり。

自己責任のもとで調査にあたることを推奨します。

        ──アルマ=リード支部冒険者ギルド


「……なるほど」


 私はその文を指でなぞるように見つめた。


(形式上の注意ですね。責任は取らないと……上層部の保身という点は昔から変わっていないのですね)


 調査の対象としては扱われている。だが、重要ではない。

 都市からも近く、安全圏として長らく指定されている。

 過去の調査者の報告に信頼性が乏しく、魔法学的にも研究対象外とされて久しいのだろう。


(つまりは、表向きは安全……ということですか)


 けれど、誰も解明できていないものが、ここに眠っているというのは確かだ。

 私のような仮登録の冒険者でも、気軽に踏み込めてしまうこと自体──


「……放棄された知識というのは、時に最も厄介なものですから」


 私は軽く息を吐き、目の前の下り坂へと視線を落とした。

 木々の合間から、苔むした石造りの建造物が、その輪郭を覗かせていた。

 それは、地中に埋もれるように建っている。

 円形の塔を半分沈めたような構造。かつて何らかの用途で使われていた地下施設のようだ。


(軍用施設跡、ですか……)


 この時代では忘れられた、魔法戦争期の残骸のように見える。

 

(私の時代にも、似たようなものはありました。……けれど)


 私はゆっくりと歩を進める。

 魔力の気配は、感じられない。

 扉も罠もない。ただ沈黙だけが、入口を支配していた。

 けれど、どこか……引っかかる。

 足元の空気がわずかに重く、視界の端が、ぼやけるような錯覚。


(……何か、ある。けれど、今すぐではない)


 私はゆっくりと息を吸い込む。

 魔力探知を行おうかとも思ったが──この遺跡には、妙な静けさがあった。

 無理に力を注ぎ込むより、まずは目で見える範囲から確かめた方が良い。

 そんな判断だった。


「……さて、では、お邪魔します」


 静かに、独りごちる。

 そして、私は遺跡の内部へと、歩みを進めた。

 

 遺跡内部は、思いのほか静かだった。

 外観こそ崩れかけていたが、内部の構造はしっかりと保たれており、天井や壁面の素材も魔法的加工が施されていると見える。


(やはり、軍用施設……いえ、もっと古い可能性も)


 照明はない。だが、わずかな自然光と、自ら起動した光糸ルミネ・スレッドの術式で視界は確保できた。

 魔法の糸が空中に漂い、周囲を淡く照らす。


(……この程度の術式でも、光源としては十分。この時代の冒険者たちが使わなかったとも思えませんが……)


 通路は一本道。壁には古びた案内板があるが、すでに読めない文字で書かれていた。

 ただ、その構造や区画番号の残り方から、おそらく当時の施設内ルートに従って作られていることがわかる。


(それにしても、妙な静けさです。生物の気配も、魔力の残滓も、まるで……)


 ──死んだ空間。


 私は無意識に足を止めた。

 空気が、妙に乾いているような気がしたのだ。

 それは温度や湿度の問題ではなく、空間に満ちるべき生の感覚が、ごっそりと抜け落ちているような。


(……自然死滅、というより……吸われた?)


 魔力が枯渇した区域では、似たような感覚を覚えることがある。

 ただし、ここは地下でありながら地表に近く、魔力の流れも安定していたはずだ。

 それが、内部に踏み込んだ途端に一変した。


(警告文にあった精神的不安定……そういう類の影響も含まれている?)


 私は術式で微弱な探知を行った。

 反応はあった。だが、それは歪で、何かが混じっている。

 まるで、空間そのものがわずかにずれているような、そんな不可解な感覚。


「……これは、構造異常の可能性も考慮した方がよさそうですね」


 呟いた声が、わずかに遅れて反響した。

 ほんの一瞬だが、反響が二重にずれたように聞こえた。


(……空間干渉?)


 今の時代に使われている術式基盤と、私の知る術式の波長が異なっているのかもしれない。

 あるいは、遺跡そのものが時空構造の乱れを抱えているか。

 私は一歩、また一歩と進みながら、慎重に足元と壁の感触を確かめていった。

 意識を集中させすぎず、しかし観察を怠らないように。

 

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