香炉を辿って

畝澄ヒナ

第1話 神の力

昼間のよくある歓楽街、俺は特に目的もなく、立ち並ぶ店たちを眺めながら、適当にぶらぶらしていた。


「やっぱり昼間だと店は閉まってばっかりだな」


俺はこうやって街を歩くことが多い。店が閉まっている昼間なら、勧誘を受けることもない。ただし、ガラの悪い奴は集まりやすい。


「おい、そこの兄ちゃん。金持ってねえか?」


「いきなりなんですか」


「いやあ、今金欠で困ってんだよねえ。だから、ほら、早く出しな」


いかつい大柄の男が話しかけてきた。全くもって意味が分からない。


「こんな路地裏で、脅しているつもりですか?」


「ちっ、いいから早く出せよ!」


別に俺は喧嘩が強いわけではない。しかし、特別な力を持っている。もちろん、一般人に見せていいものではないが。


「何黙ってんだよ」


俺は深くため息をつき、相手を見つめ直す。


「お前、雨は好きか?」


「は? 意味わかんねえこと言ってんじゃねえぞ!」


「意味は、これから分かるさ」


俺は両手を組み、静かに祈る。強い風が吹き、癖のある茶髪が乱れる。空に黒い雲が広がり始めた。


「お、おい、何してんだよ」


催花雨さいかう


その瞬間、雨が降り始めた。


「急に、雨だと……?」


「さて、しつこい奴には雷でも落としてやろうか」


相手は動揺し、おもむろにナイフを取り出した。


「うるせえ! キモいんだよ!」


刃をこちらに向けて突進してきた。これはさすがにすぐには対応できない。


「俺の脅しは、効かなかったか」


俺は覚悟を決めた。こんなところで、こんなしょうもない死に方をするのは本望ではないけれども。


「あんた、何してんだい」


急に現れたのは、お団子頭にかんざし、狐のような目に赤い口紅、紫色の着物で、煙管きせるを持っている女性だった。


「あん?」


「あたいの言うことをよーく聞きな。このお兄さんと出会ったことは忘れるんだ。あんたは何も見なかった、それで仕舞いさ」


「あ……あ?」


数秒後、相手の態度が急変した。


「あれ、何してたんだっけ。とりあえず、帰るか」


俺たちには見向きもせず、この場を去っていった。


「これは……どういうことだ?」


「お兄さん、災難だったねえ。少しあたいの店に寄っていかないかい? 『神の力』について話そうじゃないか」


俺以外に不思議な能力を持っている奴がいたのか。それにしても『神の力』とは、この人は何か知っているみたいだな。


「わ、分かりました」


俺はその女性に案内され、和風BAR『KO-RO』に足を踏み入れた。




「誰もいないんですね」


「そりゃあ営業時間外だからさ。ああ、手伝いの野郎は二階で寝ているだろうがね」


この店の従業員はこの女性だけではないようだ。


「じゃあ、早速自己紹介だねえ。あたいは三船京子みふねきょうこ、この店のママだよ。あんたは?」


「俺は、佐藤傑さとうすぐるです。三船さんは俺の力を見たんですか」


「そんなかしこまらなくていいんだよ。あたいのことは京子でいい、敬語もやめておくれ。その感じ、あんたはこの力がなんなのか知らないみたいだねえ」


物心ついた時から使えた力、俺以外の家族は使うことが出来ないし、俺がこんな力を使えることすら知らない。


「じゃあ、京子さん。『神の力』って言っていたのは……?」


「そのまんまさ。あれを見る限り、傑は『天気』を操れるみたいだねえ。ちなみにあたいは『記憶』を操れる」


そうか、これは『神の力』と言うのか。ついに、この力がなんなのか判明するんだ。


「じゃあ、さっきのは記憶を?」


「ああ、ちょいと忘れてもらったよ。まあ、制限はあるけれど、基本的に消すことも思い出させることも、覗くことも可能さ」


すごい力だ。俺が出来ることと言ったら……。


「俺はあらゆる天気に変えることが可能だが、抽象的な祈りは適用されない」


「だから『催花雨』ねえ。知らないものは使えない、ということかい」


煙管を吸いながら話す京子さん。


俺の力は、例えば『雨』と祈っただけでは何も起きない。明確に種類を祈らないといけないのだ。今の季節は春。時期外れの天気も適用されないようになっている。


「あとは、『雨』じゃないと『雷』は起こせない、『曇り』じゃないと『雪』や『あられ』は降らすことができない」


「なるほどねえ。回数制限とかはある?」


「特にはないけど、一度変えた天気をまた変える場合、一時間経たないとできない」


改めて言うと、意外と制限が多いが、頻繁に使うわけでもないから支障はない。


「そうかいそうかい、これは使えそうだねえ」


「どういう意味だ」


「ちょいと手伝ってほしいことがあるのさ。もちろん報酬は弾むよ、危険なお願いだからねえ」


危険なお願い? ただ天気を変えるだけの能力が、役に立つというのか。


「そんな、俺に出来ることがあるのか?」


「ああ、この『神の力』があればねえ。あたいと一緒に、命を張ってほしいのさ」


「い、命を張る?」


京子さんには、何か事情があるらしい。


「詳しくは話せないんだけどねえ。今は、目標達成に向けて訓練をしよう、っていうことだよ」


「たった二人で、命を張るなんて、俺には……」


「二人じゃないさ。おーい、降りてきな。盗み聞きなんて、よろしくないよ」


京子さんが二階の方に声を掛けると、一人の男が降りてきた。


「バレてたんすね……」


「何年一緒にいると思ってるんだい。あんたの行動くらい、お見通しさ」


「お、おいらはその男が京子姐さんに何かしないか見張ってたんすよ!」


首筋くらいの黒髪、目元ははっきりしている。京子さんのことを姐さんと呼ぶ、若い男。


「なーに言ってんだい。あたいがお願いしているんだ、傑を悪く言うんじゃないよ」


「例のお願いならおいらがいれば十分っす! こいつ、なんか弱そうっすよ。というか、もう名前で呼んでるんすか?!」


なんとも失礼な奴だ。なんなんだこいつは。


「すまないねえ。この子は桐谷和文きりやかずふみ、あたいは『かず』って呼んでいるけど、好きに呼んでやってくれ」


「姐さん、勝手に名前教えないでくださいよ! おいらはまだ認めたわけじゃないっすからね!」


「悪い奴じゃないんだけどねえ。まあ、許してやってほしい」


なぜか俺はこの桐谷という男に敵視されている。俺は、本当にどうでもいい。


「おいお前、『天気』を操れるって言ってたよな。聞いて驚くなよ? おいらはなあ、『時間』を操れるんだ!」


「かず、失礼な口を利くんじゃないよ。それに、あんたは自慢できるほどの力は持っていないだろう」


「なんてこと言うんすか! この前は一分も時間を戻せるようになったんすよ? 褒めてくれたっていいじゃないっすかあ」


たった一分、いや、されど一分か。


「はあ、傑を見てみな。呆れてものも言えないって顔だよ」


「そ、そんな顔するな……! おいらの力を実感してないからそんな態度になるんすよ」


「別に俺は、何も思ってないが」


桐谷は顔を赤くして、今にも沸騰しそうな勢いだ。


「何か思えよ……!」


「そんなに言うなら、あんたたちで勝負といこうじゃないか」


「それいいっすね! おい、お前もいいよな?」


こればかりは断れなさそうだ。


「『お前』じゃない、『傑』だ」


「お、おう、傑、だな! おいらと勝負だ!」


「ほら、言い合ってないで早く裏庭においで」


言い合っているつもりはなかったのだが、仕方なく俺たちは勝負することになってしまった。しかし、こんな規格外の力で、勝負なんて成立するのだろうか。




裏庭に出た俺たち。


「姐さん、勝負方法は何すか?」


「そうだねえ。先に相手に触ったら勝ち、でどうだい?」


「おお! おいらの力なら一発っすよ!」


とても単純なルールだ。


「傑、異論はないかい?」


「別に構わない」


「じゃあ、始め!」


桐谷はどのように力を使うのだろうか。『時間』を操ることが出来ると言っていたから、考えられる行動は、止める、遅らせる、戻す……。とりあえず出方を伺うしかない。


「ぼさっとしてたら、あっという間に終わっちまうぜ!」


「ああ、いいから来い」


俺が降らせた雨は止んでいて、曇りになっていた。俺は祈り始める。


「ロックオン!」


桐谷は両手で輪っかを作るように指の先を合わせた。


「タイムストップ!」


その時、透明な波動のようなものが見えた。どうやらラグがあるみたいだな。この天気なら、いける。


俺は一言呟いた。


かすみ


その瞬間、周囲は霧に包まれる。


「な、なんだよこれ……! 何も見えねえ……!」


「お前こそ、ぼさっと立っていていいのか?」


「な……!」


俺は桐谷の背後に回り込み、肩をぽんっと叩いた。


今の季節は春。『雨』の後には『霧』が出やすい。やがて日が照り始め、空が晴れていく。はっきりと見えた時には、もう勝負は終わっていた。


「そこまで! 傑の勝ちだねえ」


「そ、そんな! こんなのまぐれっすよ!」


「まぐれでも、勝ちは勝ちさ」


やはり桐谷は時を止めることが出来るようだ。しかし、あまり使いこなせているようには見えない。


「『時間』を操れるのは凄いことだ。でも、お前は操れる段階まで達していないな?」


「お、お前に何が分かるんだよ!」


「仕方ないさ。かずは、力に気づかず最近まで過ごしていてねえ。特訓し始めたのは最近のことなんだよ」


こんな強い力を持ちながら、そんなことがありえるのか?


「姐さんが、上京したてのおいらに色んなことを教えてくれたんだ。昔からあった違和感について話したら、『神の力』だって、おいらを面倒見てくれるようになって……」


「お前、さてはバカなのか?」


「し、失礼なんだよ! あと『お前』じゃない、『和文』だ!」


これは京子さんも苦労してきただろう。


「じゃあ、和文。俺のこともお前って呼ぶんじゃない」


「わ、分かったよ……傑」


「さあ、二人とも仲良くなったみたいだねえ。まあ、こう見えてかずはちゃんとした大学生だから」


う、嘘だろ、俺より年上なのかよ。


「俺は、高校生だ……」


「じゃあ、おいらが先輩ってことだな! 姐さん、おいらにもやっと後輩が出来たっす!」


「やれやれ、どっちが上なんだか」


京子さんは呆れている。俺は、仕方なく後輩というポジションに収まってやることにした。


「敬語、敬語使えよ!」


「調子に乗るんじゃないよ、かず」


和文の頭を思いきり叩く京子さん。


これは、とんでもないことに巻き込まれてしまったみたいだ。

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