第35話:疑心暗鬼、曹操陣営の亀裂
趙雲が仕向けた「逆スパイ」の朱恒は、再び曹操の陣営へと戻っていた。彼の任務は、趙雲から与えられた情報を巧みに流布させ、曹操の「疑心と猜疑」を増幅させること。そして、白馬王朝の思惑通りに曹操を動かすための、「智の矢」として機能することだった。
朱恒が持ち帰った報告は、奇襲部隊が壊滅したという痛ましい真実と、そこに趙雲軍の新たな戦力が加わったという、曹操が「信じたい」と願う微かな希望が混在したものだった。
「ほう……鐙の量産は困難を極めているか。そして、趙子龍の主力は北の要衝を抑えるために動いていると……」
曹操は、朱恒の報告に耳を傾けながら、不敵な笑みを浮かべていた。しかし、その瞳には深い疑念の色を宿らせていた。朱恒という男が、かつて袁紹に仕え、そして自分に寝返った経歴を持つ、裏切り者であることを曹操は忘れていなかった。
(この男の言葉をどこまで信じるべきか……だが、奴が嘘をついているのなら、その裏には趙子龍の罠があるはずだ。ならば、その罠を逆に利用してくれよう!)
曹操の胸には、朱恒という男を「利用する」ことで、趙雲の策略を看破できるという、歪んだ確信が芽生え始めていた。
しかし、その日の軍議で、朱恒が趙雲とのやり取りをすべて正直に報告し、その言葉の一つひとつに、趙雲の「包摂と転化」の思想を巧みに織り交ぜていくと、曹操の胸に、激しい苛立ちと、そして不快な違和感が湧き上がった。
「子龍様は、私を『裏切り者』とは呼ばれませんでした。ただ、『己の道を探していただけだ』と……。そして、私に新たな生きる道を与えてくださいました……」
朱恒の言葉に、曹操の胸に、かつてないほどの怒りが込み上げてきた。彼は、人の心を「利用」し、恐怖で支配してきた。しかし、趙雲は、人を「包摂」し、共感によって人心を掌握している。それは、彼の覇道とは真逆の、そして彼が最も理解し難い「思想」だった。
(趙子龍め……私のやり方を否定し、私の兵を奪うか……!このままでは、私の軍が、趙子龍の思想に侵食されてしまうのではないか……!)
曹操の胸に、趙雲への憎悪と、そしてこのままでは自身の軍が趙雲の思想に侵食されてしまうのではないかという、根源的な「恐れ」が肥大化していく。彼は、自分の軍の将兵が、趙雲の「信じる力」に魅了され、自らを裏切るのではないかという妄想に囚われ始めていた。
その頃、趙雲の本陣では、諸葛亮が朱恒からの定期報告に目を通していた。
「朱恒からの報告によれば、曹操様は我々の偽情報に食いついたようです。軍議では、荀彧殿がこの情報に疑念を抱いておられるようですが、郭嘉殿は我々の罠にはまり、曹操様を煽っている……」
諸葛亮は、静かに扇を閉じ、趙雲に告げた。
「趙子龍殿。今こそ、次の布石を打つ時です。馬騰・馬超両将軍の騎兵を、北の要衝へと向かわせてください。そして、その情報を、朱恒を通じて曹操様に流すのです」
趙雲は静かに頷いた。彼の胸には、諸葛亮の策の意図が明確に見えている。北の要衝へと騎兵を向かわせることで、曹操は、白馬王朝が北からの侵攻を警戒していると信じるだろう。しかし、その裏で、趙雲は別の部隊を動かし、曹操の意表を突く奇襲を仕掛けるつもりなのだ。
「なるほど、曹操は、馬騰・馬超の騎兵に注意を向け、その隙に、我々が本命の奇襲を仕掛ける……」
鳳統が、諸葛亮の策の巧妙さに感嘆の声を上げた。これは、単なる武力衝突ではない。これは、情報と心理を操り、敵の思考を誘導する、高度な「知略の戦い」だった。
その頃、北の要衝へと向かう馬超と馬騰の騎兵部隊は、新たな訓練に励んでいた。彼らの足元には、趙雲がもたらした鐙が装着されている。馬超は、その鐙に力を込めるたび、趙雲の言葉を思い出していた。
「この鐙は、ただの道具ではない。馬と人が、互いを信じ、支え合うための『思想』だ」
馬超の心の中には、趙雲への深い尊敬と、そして趙雲が目指す「平穏な世」への、強い信念が宿っていた。彼は、この鐙という「道具」を通して、趙雲という存在が、自分たちの誇りを尊重し、新たな時代へと導いてくれる光だと確信していた。
中原の風は、白馬王朝の勝利を告げると同時に、新たな戦乱の序曲を奏で始めていた。趙雲と曹操、二人の英傑による、見えざる戦いの火蓋が、今、切って落とされようとしていた。しかし、その戦いは、既に趙雲の思惑通りに進み始めていた。曹操は、自らが操っていると信じている朱恒という「智の矢」によって、深まる疑念の迷路へと誘い込まれていたのだ。
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