第29話:西涼の騎兵、白馬王朝に集う
西涼の荒野は、再び静けさを取り戻していた。しかし、その静寂は、先ほどまでの勝負とは全く異なる、新たな緊張感を孕んでいた。趙雲の馬術に敗北した馬超は、その日から趙雲に弟子入りを志願し、趙雲の「鉄鐙騎兵」の技術を学ぶことを決意した。彼の決断は、西涼の騎兵たち、そして父である馬騰の心に、新たな希望の光を灯した。
(俺は、この西涼の誇りを、父上の期待を、二度と裏切れない……!)
馬超の胸中には、趙雲の馬術を前に、自身の常識が砕け散った時の衝撃が、まだ生々しく残っていた。それは、単なる敗北の悔しさだけではない。長年信じてきた「最強の騎馬術」が、実はまだ未完成だったという、根源的な「違和感」だった。その違和感は、今や趙雲への深い「探求心」と、新時代の騎兵術への「渇望」へと変化していた。彼は、この若き将から、真の力を引き出す方法を学びたいと、全身の細胞が叫んでいるのを感じていた。
翌日、趙雲は馬騰軍の騎兵たちを集め、本格的な訓練を開始した。訓練場には、趙雲が設計図を基に作らせた、数百組の鉄鐙と改良鞍が並べられている。それを胡散臭げな目で見る兵士たちもいたが、彼らの中心には、誰よりも早く新しい馬具を装着し、目を輝かせている馬超の姿があった。
「いいか、皆の者!この鐙は、ただの足掛けではない。馬との一体感を高め、騎兵の力を飛躍的に向上させるための、革命的な道具だ!」
馬超は、自身の愛馬に跨り、鐙に足をかけて声を張り上げた。彼の声には、西涼の将としての威厳と、新時代の技術を伝えようとする熱意が満ちていた。
「子龍殿に教わった通り、鐙に体重を預けることで、馬の揺れを完璧に吸収できる。重心が安定するから、長距離の行軍でも疲労が少ない。そして何より、馬の背に立って槍を突き出すことも、弓を射ることも可能になるのだ!」
馬超は、趙雲から教わったばかりの技術を、自身の言葉で、力強く兵士たちに語りかけた。その熱弁は、兵士たちの心に、次第に「好奇心」と「期待」という感情の波紋を広げていった。
趙雲は、その様子を静かに見守っていた。彼の心の中には、かつて自分が白馬義従の兵士たちに「違和感」を突きつけ、そして「納得させた」時の記憶が蘇る。馬超は、まさにあの時の自分と同じ道を歩もうとしている。ただ知識を伝えるだけでなく、自らの身体を通してその「真実」を証明し、周囲の「思想」を変えていく。その姿に、趙雲は深い共感と、そして同志を得たことへの確かな喜びを感じていた。
「よし、ではまず、荒野を疾走してみよう!」
馬超の号令と共に、馬騰軍の騎兵たちが一斉に馬を駆った。彼らの足元には、見慣れない鉄の輪が装着されている。最初は戸惑いを隠せない者もいたが、数分後には、彼らの顔に驚きの表情が浮かび始めた。
「な、なんだこれは……!馬の背が、全く揺れん!」
「これなら、何時間でも馬に乗っていられるぞ!」
「まるで、馬と俺の身体が、一つの生き物になったかのようだ……!」
兵士たちの口々に、驚きと興奮の声が漏れ始める。彼らは、長年培ってきた西涼の騎兵術に、新たな、そして決定的な力が加わったことを肌で感じ取ったのだ。それは、もはや「違和感」ではない。これこそが、自分たちが追い求めてきた「究極の騎兵術」だという、根源的な「必然性」だった。
馬騰は、その様子を満足げに見ていた。
「子龍殿。貴公の技術は、我ら西涼の騎兵を、さらに高みへと導いてくれた。心より感謝する」
趙雲は、馬騰の言葉に静かに首を振った。
「馬騰様。これは、我ら白馬王朝の、そしてこの乱世を終わらせるための、必然の一歩です。この技術を、一日も早く軍全体に広めるべきです」
趙雲の言葉は、ただの技術革新を意味するものではなかった。それは、兵制改革、そして新たな時代の秩序を創り出すための、壮大な計画の始まりを示唆していた。
その日の夜、諸葛亮の元に、馬騰軍への「鉄鐙騎兵」の導入に関する報告書が届けられた。報告書を読み終えた諸葛亮は、静かに目を閉じ、扇を軽く叩いた。
(子龍殿は、単なる戦術家ではない。彼は、この乱世に、新たな「思想」と「技術」という二つの歯車を同時に回し、歴史を加速させようとしている……)
諸葛亮の瞳には、趙雲がもたらした馬具という「道具」が、やがて全軍に波及し、そして新たな軍事制度の「礎」となる未来の光景が浮かんでいた。彼の頭脳は、既にこの新たな力を、いかにして白馬王朝の天下統一戦略に組み込んでいくか、その青写真を練り始めていた。
中原の平定は、まだ始まったばかり。しかし、この西涼の地で誕生した「最強騎兵団」の存在は、やがて来る曹操との決戦で、決定的な役割を果たすことになるだろう。
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