2. 一人目のイヴ

 可愛らしい音楽と共に、噴水の水が踊るように動き出す。正月三が日の00分になるごとに行われる音楽と水のショーに、老婦人に声をかけた男の子、純が他の子供達と一緒になって歓声を上げている。

「で、ここはどこ?」

 うるさそうにそちらを見た後、質問した老婦人に、父親の瓜生雅彦と彼が手に持ったリュックの中のロボット、バインは目とカメラアイを見合わせた。

「……富士見ふじみだいら一丁目ですけれど……」

 首を傾げながら雅彦が取り敢えず、この自然公園の住所を告げる。

 だが……。

「はあ? だから、どこだと聞いているの!?」

 期待していた答えが返ってこなかったのか、老婦人が苛ついた声を出す。バインがカメラアイの色を一瞬、準警戒色の黄色に変えた後、パキパキと詳細に答えた。

「天の川銀河系ペルセウス腕、恒星レント系、第四惑星カイナックの第八コロニー、宇宙駅『神田』、北区富士見平一丁目八―十六です。で、貴女はどなたですか?」

 どうやら、先程からの彼女の態度から、あまり純には接触させたくない相手だと判断したのだろう。いつもの、のほほんとした口調では無くなり、若干音声にトゲがある。

 生まれたときから大切にお守りをしている純に、少しでも悪影響を与えそうな人物と見ると、この子守ロボットは途端に態度を硬化する。彼を睨む、気位の高そうな青い瞳のコーカソイド系の老婦人に、雅彦はオロオロと尋ねた。

「見たところ、観光客の方のようですが、迷われましたか?」

 案内をしろというのはそういうことではなかろうか? そう推測して尋ねると「恒星レント? 聞いたことないわねぇ……」老婦人は腕を組んだ。

「まあ、そんなところよ。だから、私にこの街を案内しなさい」

 居丈高な命令口調にバインのカメラアイが、今度は警戒色の赤色に瞬く。

「まだ、先程の質問には答えて頂いていませんが?」

 見事に慇懃無礼な音声で返すロボットのスピーカーを、雅彦が慌てて押さえた。

「私は太陽系の地球から来た、エヴァというの」

 ふんと鼻を鳴らして、彼女が答える。

 雅彦はくるりと背を向けると、リュックを持つ腕を上げて、バインの集音機に囁いた。

「今、地球にいるのは高価な地球の土地を所有できる富裕層か、地球から出る金もない貧困層だ。ここにいることや、身なりからして裕福な御婦人なんだろう」

「裕福な御婦人にしては言葉遣いや態度に品が無いと推察しますが?」

 バインは妻の父母から息子が誕生したときにプレゼントとして贈られた、義父母製作のオリジナルロボットだ。どういう作意で義父母が作ったかは知らないが、彼にはメーカー製のロボットのような闇雲な従順性は無い。それが子育て新米父母には頼もしくもある反面、こういうときは非常にややこしい。

「と、言っても関わった以上、ここで放っておくわけにもいかないだろう? それこそ純の教育に悪い」

 どう見ても世間知らずのまま歳をとった女性だ。あの態度では『神田』にもいる観光客目当ての客引き達のカモになってしまう。うむ。バインはカメラアイの下で二本の蔓を絡めた。彼は純を盾にすると弱い。

「でしたら、街を案内するふりをして、宇宙駅か、駅前交番にお預け致しましょう」

 ふむふむとカメラアイを上下に動かす。

 そのとき「おばあちゃん、どこに行きたい?」可愛らしい声が後ろから聞こえた。

「そうねぇ、どこか楽しいところが良いわ」

「じゃあ、商店街に行こうよ。皆、『神田』に来るとあそこに遊びに行くんだよ」

「商店街?」

「うん! 食べ物やお洋服やお店がいっぱい並んでいるんだ。本屋さんやカフェもあるんだよ」

「そこが良いわね。案内なさい」

「こっちだよ」

 いつの間に噴水のショーが終わったのか、純がにこにことエヴァと話している。楽しげに彼女の手を取り、商店街に続く公園の出口に向かって歩き出す。

「ちょ……純、待ちなさい!」

「純様ぁ~! バインを置いて行ってはダメですぅ~!」

 雅彦は慌ててバインを手に、二人を追いかけた。


 外観は通りのレトロな雰囲気に合わせた、和洋折衷の図書館のような外装、中に入るとずらりとサーバーが並び、新刊の予告ムービーや、パネルに次々と宣伝ポスターが映る勝山かつやま書店の店内を

「まるで、研究所のサーバー室みたい……」

 エヴァが見回している。

 正月三日の午後ということもあって、店のサーバーの周りに置かれた椅子やソファは、タブレットや万能多機能カード、バリーカード、通称バリカで本を読む人達で埋まっていた。

「あ、瓜生さん、いらっしゃい」

 店内パネルの調整していた副店長の青年が雅彦に声をかける。

まなぶ様~、純様にオススメはありますか~?」

 バインの声に副店長、勝山学は微笑んで頷いた。

「ジャステリオンの新しい絵本があるよ」

「わ~い」

 喜ぶ純の背中にバインの入ったリュックを戻す。空いている席に座ると、バインは蔓を伸ばし、書店の閲覧用のタブレットを取ってサーバーに繋ぎ、絵本にアクセスする。

「タダで読めるの?」

「まさか」

 雅彦が首を振る。

「レンタルするんです。うちは一家でここのファミリーパックに入っているので、家族の誰でも、いつでもサーバーに繋いで、本を読んで良いんです」

 今にもバインのマネをして、勝手にタブレットをいじりそうなエヴァに注意すると、雅彦は学に尋ねた。

「ちょっと、この人が探して欲しいマンガがあるというのですが……」

 ここに来る道の途中、まず本屋に行きたいと彼女は主張した。

『私の友人が大好きで、彼女の人生を変えたマンガをもう一度読みたいの』

「大手電書会社では扱ってないマンガなんです」

「ああ、大手は入れ替えが激しいですからね」

 学は店員用のタブレットを手にした。

「閲覧数が少しでも下がると、直ぐに新書と入れ替えてしまうんですよ。まあ、銀河中の本を扱うんで仕方がないといえば仕方がないんですけど」

 そこで、こういった中小個人経営の本屋は、入れ替えられた本の中からまだ売れそうなものを買い取り販売するのだ。言わば宇宙時代以前の古本屋に近い。

「うちは古くても良作はずっと置いていますから」

 どんなマンガですか? 訊かれてエヴァは口元に指を当てた。

「……難病を抱えて入院生活を送っている少女と研究医の恋愛話だったわ。細い繊細な絵の少女マンガだった」

「マンガ家さんの名前とか、題名、出版社は?」

 エヴァが解らないというように肩をすくめる。

「いつ頃読まれました?」

「五十年ほど前ね」

 学が

「見つかるかな……」

 眉を潜めながら、条件を入力し検索ボタンを押す。出てきた三桁の該当数に雅彦が思わず「うわっ」と声を上げた。

「割とよくあるストーリーですからね……」

「見せて」

 三人の下から声がする。

「純?」

 ソファに座って新作絵本を見ていたはずの息子がそこにいる。

 純はエヴァの右肩の後ろあたりを見、頷くと学が彼の目の前に持ってきたタブレットをタップした。ちょん、ちょんと小さな指でページを繰り、出てきた四角いアイコンを指す。

「これだよ。ね?」

 またエヴァの右肩の後ろを見、にこりと笑い、スタスタと座っていた席に戻っていった。

「え……」

 学と雅彦が顔を合わす。エヴァがアイコンをタップして画面を開き「このマンガだわ……」と驚く。

「ああ、それはちょっと絵柄が古いもので、初動が悪かったせいか直ぐに大手からは下げられたんですけど、ファンの多い作品ですよ」

 学が横から見て頷く。

「丁寧なストーリー運びに、物語に使われる医学の知識もしっかりしていて、未だに年に十数件、うちに問い合わせがきて、中にはデータを買い取られる方もいらっしゃいますから」

「じゃあ、これを彼女に。料金はうちの毎月の支払いと一緒にして下さい」

「いつもありがとうございます」

 学が閲覧用タブレットでさっきのマンガにアクセスし、エヴァに渡す。いそいそと空いたソファに座る彼女を見送って

「……純、何か『視た』な……」

 オカルト大好き男、雅彦は息子の奇妙な行動に当たりをつけると、バリカのメモ用のテキストエディタを開き、こちらも話を聞きに向かった。


『貴方が愛しているは病に冒された私なの? 私が健康なら愛してくれなかったの?』

 彼女が何度も読み返し、好きだと言っていた台詞が飛び込んでくる。

『エヴァ、彼が私のプロポーズを受けてくれたの。私、人類への貢献ではなく、彼の遺伝子を残す為に、この卵を使うわ』

 下腹部を撫でて笑っていた彼女。

「その大切な卵から成長した彼の子の顔を見ることはなかったけど、貴女は幸せだったのかしら?」

 そう呟いたときエヴァの右の耳元で誰かが優しく笑った気がした。


 * * * * *


 三人のイヴが二十代になったころ、一人のイヴが研究員と恋に落ち、子を宿して研究所を出た。彼女はその後、出産時の大量出血で保存血液が足りず、子の顔を見ることなく死亡した。


 * * * * *

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