誉無きイヴ ~さまよいジャック外伝~
いぐあな
さまよいジャック外伝
魔の森 ~ジャックと死神の出会い編~・前
「しかし、面白い話を聞いたのお」
冥王城からレテの大河が囲む、森の中のお屋敷へと帰る馬車の中で、冥界の二柱の神の御一柱、死と再生を司どる蛇神ウロボロス様が笑った。
「カボチャ頭の男の子の幽霊が、現世でさまよう霊を冥界に送っているとは……」
そんな死神のマネをするような霊は、今まで聞いたことが無い。感心したように、首をゆるりと振られる。
先ほどまで、私、二柱直属の死神とウロボロス様は、もう御一柱、この冥界の主である冥王様の城に会食に訪れていた。
死者に安息をもたらす神である冥王様は、とても穏やかなお方で、食事もお互いの近況の報告を交え、なごやかに行われていた。
その話の中で『カボチャ頭の男の子の幽霊』の話が出てきたのだ。
曰く、現世の祭り、万聖節の前夜を象徴するカボチャのランタンにそっくりの頭部を持ち、カボチャの精霊を使役している。
曰く、見た目も中身もほぼ幼い男の子で、幽霊とは思えないくらい陽気な性格である。
曰く、『Trick or Treat!!』と騒いでは、お菓子をねだる食いしん坊である。
そんなおかしな幽霊に、さまよっているところを助けられ、冥界に送られた死者の霊が、ここ百年ほどの間に、ぽつぽつと出てきているという。
「現世をさまよう死者の霊は、現世にしがみつくあまり、悪霊になる者も多いというのにのお……」
ウロボロス様は興味深げに、つぶらな瞳を輝かせた。
「一度会ってみたいのお。もし、現世で見かけたら儂の屋敷に連れてきておくれ」
「はい。承知しました」
馬車の座席に優雅にとぐろを巻いて、ウロボロス様が笑む。私は深々と磨き上げた乳白色の頭蓋骨を下げた。
霧が白く立ち込めている。その中を灰色のシルエットになった木立が延々と山まで続いている。私は現世で『魔の森』と呼ばれている、山越えの街道を包む深い森にいた。
黒のフロックコートの前を合わせ、シルクハットのつばを上げ、慎重に辺りを伺う。
この森の道を通る人や狩りに入った者が、行方不明になっている。生死は不明。死んでいると仮定した場合、その魂も行方不明。周辺を担当している死神によると、森に生息しているはずの動物の魂も一昨年の春以降、森から外に出ていない。
朝日が上空に射してくる。しかし、霧はいっこうに晴れる気配が無い。近くの山村の人々の話だと、三年前からこの森はずっと晴れない霧に覆われている。
「……なるほど……」
街道から木立の中に入る。濡れた草の中に細い獣道を見つけ、私はそれに沿って、山裾の方へと向かった。
そんな不気味な現象が起こる中、ようやく森から冥界に一人の男の魂がやってきた。
この森には三年前から子供の悪霊が住みつき、次々と森や森に入ってきた生き物を取り殺して、悪霊に仕立て上げ、封じ込めているというのだ。
淡い春の若草を踏みながら、木々の間をうねうねと曲がる道を進む。
冥界の重要な役目の一つが、死者の魂を生者の魂に還す『生き返りの輪』の管理だ。もし、このまま子供の悪霊が勝手に天命を曲げて、人や動物の寿命を奪い、魂を現世に捕らえ続ければ、いずれは『生き返りの輪』の魂の数に支障をきたす。
故に私は二柱の神の命を受けて、この森の調査と事態の解決にやってきた。
奥へ奥へと進んで行く。ねっとりとした邪気が漂い始める。
森の悪霊のものだろうか? 何者かは解らないが、ここに『魔』がいるのは間違い無い。
私が愛用の武器の麦刈り鎌を呼び出そうと、手をかざしたとき、とてとてとて……軽い足音が聞こえてきた。
音は目の前、数歩先の木立の右手の方からしている。と、同時に微かな霊気が漂ってくる。
森に住む子供の悪霊か?
私は側の木の後ろに身を隠すと様子をうかがった。
とてとてとてとて……。
更に足音が近づく。霧の中から獣道に小さな影が現れる。
その姿を見た途端、思わず全身の力が抜けた。
オレンジ色の不格好なカボチャ頭が歩いている。背丈は私の腿ほどもない、五歳くらいの子供のようだ。元は白だろうが泥がこびり着き、まだらに変色しているシャツを着、こちらも泥だらけで、あちらこちらが破れたズボンを履いている。
「こコには、イナいネェ~」
甲高い壊れた玩具のような声を上げて、大きな頭を左右にぶんぶん振って、周囲を見回す。
……ああ、足下が悪いのに、そんなに頭を振り回したら……。
ボテン!! 案の定、男の子はすっ転んだ。顔から地面に打ち付け、動かなくなる。
…………。
ぴくりともしない様子に助けようか……と迷い始めたとき、ザワザワザワザワ……、側から緑のカボチャの蔓が湧いてきた。
蔓は、男の子を包み『よいしょ』とばかりに起こす。大きな葉で、顔に着いた土を払ってやる。
男の子は打った顔を押さえると、ケタケタ笑い出した。
「アリがトウ。転ンじゃッタヨォ~」
カボチャの蔓に礼を言い、何がおかしいのか、ケタケタ、ケタケタ、愉快そうに腹を抱えて笑い転げる。
その様子にあっけにとられていると、突然、男の子はバッ!! とこちらを向いた。
慌てて、木の後ろに身を縮める。
フンフンフンフン……。子犬のように鼻を鳴らす音がする。
「強イ『死』の匂イがするネェ~」
……見た目より相当古い、世慣れた霊らしい。気配を最小限に押さえている私の『死』の匂いを嗅ぎ取るとは、なかなかのものだ。
やはり悪霊か……? 麦刈り鎌を出し、握り締める。が……。
「まっ、イッかぁ~」
ケタケタと、また笑い声が聞こえる。立ち上がる気配がした。パンパン! 泥だらけの服をはたく音がする。
「さァ、マた間ニ合うウチに『戻す』ヨォ~」
とてとてとて……。軽い足音が通り過ぎ、やがて霊気が左手の方に消える。
「……なんだったんだ……アレは……」
私は唖然と小柄な影を見送った。
霧がますます濃くなる。いくつもの獣道を通り、森の奥、山に向かって地面が上り始める傾斜に差し掛かったところで、私は辺りに立ち込める臭気に、穴だけになった鼻を押さえた。
濃いミルク色の霧に覆われた森の木が、いくつも不自然にでこぼこしている。その内の一本に近づき、うっと息を飲んだ。
私より少し背の低い骸骨が木の幹にはりつけになっている。多分それが致命傷になったのだろう。心臓の位置には木の枝が朽ちかけてボロボロになった状態で刺さっていた。
ギ……。重いモノが揺れる音がして見上げる。額に無いはずの汗腺から冷たい汗が噴き出す。
そこには枝から、何かの太い蔓にくくられた死体がぶら下がっていた。
「……これは……」
私は木の間を歩き回った。不自然なでこぼこは、どれも人や動物の死体が幹にはりつけられたシルエットだ。まるで子供が適当に作った昆虫採集のように無惨な姿で放置されている。そして、上空の木の枝々には、いくつもの死体が蓑虫のようにぶら下がり、あるかなしかの風に揺れていた。
……
古い中世の伝奇の森を彷彿とさせる光景が、霧の中には広がっていた。
「……これは例の子供の悪霊とやらの仕業か……」
残酷な死を与え、遺体を放置すると、宿っていた魂は悪霊化しやすい。
『取り殺して、悪霊に仕立て上げる』
冥界で聞いた男の霊の証言のとおりだ。ここはこの森を支配する霊の悪霊作りの場らしい。
ふむ……。私は麦刈り鎌を構え、更に気配を探った。左手の方に小さな霊の気配がある。
「誰かいるのか?」
声を掛ける。ふわり、霧が渦巻き、そこから一人の少年の霊が出てくる。
年の頃、十歳くらい。金髪の巻き毛に緑色の瞳の可憐な少年の霊は、私を見上げて目の縁からぽろりと涙を落とした。
「……皆を助けて下さい……」
「実はもう三年も、この森はカボチャ頭のおかしな悪霊に支配されているのです」
私が冥界から来た死神だと聞くと、少年はぽろりぽろりと泣きながら事情を話した。
「それはここに来る途中で見た、小さな男の子の霊か?」
「はい。ここにいる人達は皆、奴に操られた蔓や森の木で殺されたんです」
そして悪霊になると、どこか奴の作った空間に押し込められ、手先として使われているらしい。
「そう言えば、ここに来る途中に見た奴にはカボチャの蔓がついていたな」
「そいつです! 間違いありません!」
少年は可愛らしい顔に怯えを乗せて、ぶるりと身を震わせた。
「僕も友達と野いちごを摘みに森に入ったときに、捕まって殺されたんです」
少年が右側の太い木を指す。そこには二人の少年と思われる骸骨が重なるように太い枝で串刺しにされていた。
「でも、僕は何とか悪霊になる前に、奴から逃げ出して……。ようやく少し力が付いたので、奴に悪霊にされた人や動物を助けて、冥界に送っていたのです」
いずれ、彼等が冥界に、この森のことを訴えてくれることを願って。その願いがようやく叶った。少年は安堵の息をついた。
「なるほど……」
確かにあの霊の男は、もう一人の子供の霊に助けられて、冥界に来たのだと言っていた。何が何だか解らないまま、森を支配する悪霊に使われていたところを、不思議な子供の霊に元の自分に戻してもらったと。
「それが君か……」
少年が頷く。私は麦刈り鎌を握り直すと、彼を促した。
「では、私がそのカボチャ頭を退治しよう。すまんが森を案内してくれないか?」
「はい!」
涙を拭いて、嬉しそうな輝く笑顔で私を見上げる。
それでは、と歩き出そうとしたとき、少年は
「ちょっと待って下さい」
足下の小さな白い花を摘んだ。
「行く前に、友達に『これから仇を討つよ』という挨拶とお花を供えたいのですが……」
自分達の遺体がはりつけられた木を振り返る。
「ああ、構わん。ここで待っていよう」
「ありがとうございます」
少年は花を手に、くるりと背を向けると走り出した。
グルルルル……。
木の影に黒い大きな犬が現れる。
「いいか。アイツの居場所を探してこい」
冷たい声が命じる。
……ふむ。
映し鏡の術を解除すると、私は白い顎を摘んだ。
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