第十五話 清い関係

「一体、何だったんでしょうね?」

「さぁ、何を考えているのか、わかりそうでわからない不思議な人ですね」


 感情がすべて表情に出ているように見えたが、明子が何を考えているかは、この時点で雪衣も藤路も分からなかった。

 お互いに顔を見合わせ、不思議に思っていると、雪衣は不意に藤路と目が合っていることに気がついて、さっと、顔をそむける。


「……雪衣さんも、わからないです。やっぱり僕の顔は見苦しくて見たくないなら、面をつけましょうか? 今はちょうど、おばあ様も出かけていますし」

「いや、その、そういうことじゃないのよ」

「じゃぁ、なんで目をそらすんですか?」

「それは……その……」


 はっきり言ってやろうと、意を決して藤路の方へ向き直ると、いつの間にかぐっと藤路の顔が寄っていて、「ひゃ!!」と、短く悲鳴を上げてしまった。

 やはり近くで見ると綺麗すぎて、びっくりしていしまう。


「ほら、やっぱり僕の顔は……」

「違うんです!! その、あまりに綺麗すぎて、慣れなくて…………し、心臓に悪いのよ」

「……綺麗すぎるのに、心臓に悪いんですか?」


 藤路はきょとんとした顔をしている。

 本当に、まったく自分の顔がいかに人の心をかき乱すか、自覚がないのである。

 宵桜結婚相談所が繁盛している要因の一つに、この顔も含まれているというのに……


「藤路さん、いい加減自分がものすごく綺麗な顔をしているって自覚してくれませんか? あなたが素顔で店頭に立つようになったおかげで、相談件数が倍になったんですよ? 『あんなに美しい顔の旦那様と私も巡り会いたい!』って……中には、さっきの明子さんのように、藤路さんに色目を使う人だっているんですから」

「色目……? え? そうなんですか?」

「ほんとにもう、だから、その何にもわからない、きょとんとした可愛らしい表情やめてください。私の気がおかしくなりそうです」

「雪衣さんは、本当に僕のこの顔が好きなんですね」


 にこにこと微笑まれて、さらに心臓がぎゅううっとなる。

 もし顔に火傷の痕が何一つ残っていなかったら――――と考えると、末恐ろしい。

 おそらく、藤路は男女問わずその美貌で虜にしていたに違いないと雪衣は思った。


「そうです。好きです、顔が!! 悪ですか!?」

「悪くないですよ。どうして怒ってるんですか?」

「怒ってないです!!」

「じゃぁ、顔以外も好きになってもらえるように頑張りますね」

「何を!?」

「冗談ですよ、ふふふ」


 耳まで真っ赤になっている雪衣を残して、藤路は掃除の続きをしてきますと外に出た。


 何を考えているかよくわからないという点では、藤路だって明子と同じだ。

 これは契約結婚だと言っておきながら、雪衣に対して本当に彼は優しく、それまで聞いたこともない甘いセリフを何度も浴びせられて……本気で口説かれているのかとこちらがその気になりそうになると、今みたいにさっと身を引く。

 揶揄われているだけなのか、どこまで本気なのか、わからない。

 そう雪衣は思ったが、すぐに首を横に振って、自分の考えを否定した。


「――――いや、わかりきっていることじゃない。たとえ私があなたを好きになっても、あなたは私の事を好きになったりしないくせに……」


 そうつぶやいた独り言は、すぐそばにいた小松の耳にも聞こえないほど、とても小さかった。



 * * *



 次に雪衣が明子の姿を見たのは、十二月三十一日の大晦日だった。

 この数日前に明子と京一は見合いをして、お互いを気に入ったようで、年が明けて、早ければ来年の春には結婚式を挙げるらしい。

 明子は京一の婚約者という立場で、年末の挨拶をしているといい、京一と二人で宵桜家を訪ねてきたのである。


「へぇ、ここがお前たち夫婦の部屋か」


 宵桜家の屋敷に京一が上がったのは、この日が初めてのことだった。

 京一は藤路のことなんて全く興味も関心もなかったはずなのに、茶を飲むなり早々に「藤路がどんな暮らしをしているのか見たい」といって、雪衣と藤路が使っている寝室を見せろと要求してきたのである。


 一応夫婦の寝室ということになってはいるが、夜は衝立で区切られている。

 あくまで、この二人を結婚させるための契約結婚の夫婦だ。

 同じ部屋に布団を並べて寝てはいるが、藤路が衝立を越えてくることはない。

 男女の関係は一切なく、衝立越しに話をすることはあるけれど、それだけの清い関係である。

 このことを知っているのは小松だけで、雪衣は小松に先回りさせ、衝立を片付けさせた。

 偽物の夫婦であることがバレないように、取り繕うしかない。


「まぁ、今日もそのお面をしていらっしゃるのぉ? せっかくの素敵なお顔がもったいないわぁ」


 相変わらず間延びした猫なで声で話す明子は、婚約者の京一がいるというのに藤路に興味津々だった。

 京一は京一でまったく気にしていないのか、寝室の隅に置いてある福引で当てた洋服ダンスをまじまじと見つめている。


「このタンス、中々値が張るものだっただろう?」

「え? いや、その福引で当てたものなので値段までは……」

「福引?」

「ええ、そこの商店街の」

「雪衣さんはこの頃、くじや懸賞に当たるんですよ。居間に置いてあった蓄音機も、雪衣さんが当てたもので」

「ふうん……そうか」


 京一はぐるりと寝室を一周見渡すと、今度は勝手に押し入れを開けた。


「ちょ……ちょっと!」


 何を勝手に開けているんだと思ったが、押し入れに入っているのは布団くらいだ。

 見られて恥ずかしいものは特にない。

 だが、その布団を何か確かめるように何度もべたべたと京一は触っている。


「兄さん、何か探しているの?」

「いや、気にするな。ちょっと確かめただけだ。お前はこの家に来て、随分といい暮らしをしているようだな」


 京一はにやにやと不敵な笑みを浮かべながら、雪衣の方を見る。


「お前がこの家に幸福をもたらしたとは思えないが、お前がいなくなって色々と月好の方で不幸が重なっているのは事実だ。だから、俺も運気が良くなると評判の縁結びの神様にあやかろうと、明子との縁談を決めたわけだが……」


 頭の先からつま先まで、舐めまわすように見られて、なんだかとても嫌な感じがする雪衣。

 一体、何を言い出すつもりだろうと身構えていると、口を開いたのは明子だった。


「だからねぇ、私たち家族になったら、仲良くしましょうって話をしにきたのよ。お互いの家を行き来したり。家族なるんですから、なんでもわけあうべきだと思うの」


 予想通り、とんでもないことを言い出した。


「そうだ。俺も明子をお前に貸してやる。だから、お前もこの女を使わせるべきだろう? 結婚したら一人の女しか抱けないなんて、俺には耐えられないからな」


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