第一部

第1話 仲良くしようよ小出さん!

 時が経つのは本当に早い。


 この前、高校生になったばかりだと思っていたら、カレンダーはあっという間の十一月。今では制服の下にセーターを着込まなければならない程、すっかり寒さが厳しくなってきた。


 そして、当たり前のことだけど、来月は十二月。ということは、つまり、今年もあのイベントがやって来るんだ。僕にとっては苦い経験しかない、あの冬の一大イベントが、ついに。


 僕だけに限るわけじゃなくて、この時期になるとクラスメイト達の様子に若干の変化が見られるようになる。妙にそわそわしだす。これはもう、お決まりみたいなもの。


 それは何故かって? 答えはとても簡単、かつシンプル。そのイベントを意識し始めているということ。


 そう。あの魅惑のイベント、クリスマスを。


 クリスマス。それは、恋人のいる人にとってはまさに『夢の時間』だ。愛し愛されの大切な人と、特別な時間――ある意味、非日常の時間と空間の中で、愛を育み合う日。それがクリスマスというものだ。


 クリスマスに恋人同士の二人は、いつもより固く手を繋ぎ、指を絡ませ、気持ちを込めたプレゼントを贈り合い、愛を語らい合い、そして体を温め合ったりするのだ。そんなドキドキに満ち溢れた、サイコーのイベントなんだ。


 いや、僕の想像でしかないんだけどね。どうして想像でしかないのかって? それは僕に彼女がいないから。いたことがないから。僕は人生で一度も恋人がいたことがないんだ。


 なのにさ。知ったような口を利いてたら、なんだか虚しくなってきちゃった。


「はあ……なんだか寂しな」


 授業中の教室内で一人、溜息まじりの小さな声で独りごちる。


 でも、溜息も出るよ。周りが恋人と一緒にクリスマスを過ごす中、僕はいつだってソロプレイだったから。悲しさのあまりにしくしく枕を濡らした日もあったっけ。もう、そんな思いをするのは嫌。絶対に嫌。


 だから僕も、今年こそは彼女を作るためにいい加減行動をしなきゃダメだと思ってる。少しでも自分を変えていかないと。


 変わらなきゃ、現状は何も変わらない。そんなことを思いながら、机に頬杖をつきながら思案する今時分。


「彼女、かあ」


 せっかく高校生になったんだ。ぜひともこの絶好の時期を生かして、今年こそ恋人と一緒に、この一大イベントを楽しみたい。そう思ってる。


 と、いうことで。考えた僕は一念発起して、ずっと好きだった女の子に告白をしようと決意した。僕の想いを届けるのだと、強く心に誓った。


 小出千佳こいでちか。それが、僕が密かに恋心を抱いている女の子の名前。


 小出さんは僕のクラスメイト。どんな性格をしているのかというと、彼女はかなりの引っ込み思案な性格で、いつもおどおど。なぜかそわそわ。どこかキョロキョロしている。そんな、ちょっと不思議な女の子。


 いや、ちょっとどころじゃないか。


 だって小出さんは、いわゆる『コミュ症』だから。そんなことを言ったりしたら失礼極まりないんだけどね。でも、それが一番分かりやすいんだから仕方がない。小出さんが他のクラスメイトと話しているところなんて一度も見たことがないし。いつも一人ボッチだし。


 しかし、僕はそんな彼女に恋をしている。一度も喋ったこともないのに恋をする、というのもおかしな話かもしれない。だけど、それが事実なんだ。だってさ、恋なんて理屈やら理由やらで語れるものではないんだから。 と、恋愛未経験の僕が言ってもなんの説得力もないか。


 小出さんを一目見た瞬間、好きになった。いわゆる、一目惚れ。


 入学式の時に彼女の姿を見て、一瞬で恋に落ちた。それに小出さんを見ていると、不思議と心が落ち着くし。そして何より、心の底から彼女のことを守ってあげたくなる。これが父性というものなのかな? いや、保護欲かな?


 うん、まあいいや。分からないや。


 で、一目惚れした理由なんだけど、小出さんの外見はまさに僕の理想なんだ。ハムスターみたい――と言ったら、小出さんの見た目が一番伝わりやすいかもしれない。


 背が小さくて、頬っぺたはぷっくりしていて、小学生と見紛うほどの童顔で、クリクリお目目で、髪型は短めのボブカット。全体的に小動物のような可愛らしさに溢れ、可愛らしさに横溢している。


 そして、恋の女神様は僕に味方してくれた。先日の席替えで、僕は小出さんと隣同士になることができたんだ。これは紛うことなきチャンスだ。ついに僕は、彼女と会話をするシチュエーションを手にすることができたんだ。


 だから今日、登校する際に、僕は初めて小出さんに話しかけることに決めた。本当に僅かしかない、なけなしの勇気をかき集め、振り絞って。


 僕は隣の席に座る小出さんを横目でちらりと見やる。ちょっと眠たげな目をしながらも、真面目に先生の授業に耳を傾けているようだった。


 ちなみに。小出さんは、いつも休み時間になると、必ず机から本を取り出し、読書を始める。それはそれは熱心に読み耽る。常に一人で本と睨めっこをしている本大好きっ子。それが小出さん。


 ――よし、決めた。


 それを足掛かりにしよう。小出さんとの会話の種にしよう。 どういうことかと言うと、つまりこんな感じ。


『小出さん、何読んでるの?』


 ここから始めよう。僕と小出さんのコミュニケーションを。


 まずは彼女と普通に話せる間柄にまでステップアップしてみせる。多少時間はかかるかもしれないけど、それを僕の当面の目標にしよう。


『キーンコーンカーンコーン――』


 僕が授業そっちのけで考え事をしていると、終わりを知らせるチャイムが教室に鳴り渡った。数学の先生は来週の小テストを予告すると、いつも通りの気怠い様子で、ガラガラと教室の前扉を開けて出て行った。


 さあ、休み時間に突入だ。僕は一度深呼吸をし、気持ちを落ち着かせる。そして改めて覚悟を決め直した。


 決め直したのはいいんだけど……。うん、めちゃくちゃ緊張してきた。


 だって僕、恋愛感情を抱いている女子に話しかけるのなんて初めてだから。そもそも、女子に話しかけること自体が苦手だし。


 いや、そんなことを考えてる場合じゃない。休み時間はたった十分しかないんだ。躊躇なんてしていたらあっという間に休み時間が終わっちゃう。


(でも、どうしよう……)


 ちらりと小出さんを見やった。


 やっぱり彼女は休み時間になると机の中から文庫本サイズの本を取り出したみたいで、今は栞を挟んでおいたページを開いて、さっそく読み始めようとしている。


 本にはカバーがかけられていて、小出さんが何のジャンルの本を読んでいるのかは分からない。それが分かれば会話の糸口にもなるんだけどなあ。


 いや、構うものか。そんなの関係ない。


 こうなったら、当たって砕けろの精神だ。僕はドキドキしながら、一度唾をごくりと飲み込んで、もう一度、深呼吸をひとつ。それからちょっとだけ身を乗り出し、隣に座る小出さんに初めて声をかけた。


「こ、こ、小出さん、ちょっといい……かな? な、何の本読んでるの?」


「ひゃっ! そ、園川そのかわくん! な、な、何? ど、どうしたの、いきなり?」


 僕が声をかけたその瞬間、小出さんは椅子から飛び上がらんばかりにビクリとし、お尻を浮かせて大きく驚いた。そして、ただでさえ小さな体なのに、より小さく縮こまって僕の顔を怖々として見ている。


 うん。正直ショックを禁じ得ないね。そりゃそうだよね。小出さんが初めて僕に発してくれた言葉、それは『ひゃっ!』だったんだから。


 あー、これは今夜も、僕は枕を涙で濡らすことになるかもしれないな。それに加えてお風呂の中で小さくすすり泣いてしまうかもしれない。


 でも、くじけない。こんなことで諦めてどうする! と、自分に言い聞かせてるけど、やっぱりショックなものはショックなんだよね。


 だけど僕はショックを顔に出さず、平静を装い、どうにかして会話を続けようと頭をフル回転させてこう答えた。


「う、うん。小出さんって、いつも何の本を読んでいるのかなって。じ、実はさ、僕もこれからは本を読むようにしようと思ってたんだ。やっぱり趣味は持った方が良いなと思って。そ、それでね、小出さん。よ、良かったら、参考に本のタイトル教えてくれない……かな?」


 嘘ではなかった。


 小出さんと仲良くなるために、僕も本を読むようにしなければならないと、そう考えていたんだ。やっぱり共通の趣味を持っていた方が、小出さんとの心の距離も近くなるだろうし。


「ええ!! た、タイトルですか!? え、えと、えと……しょ、小説……です。タイトルは……内緒です」


 小出さんは目を右へ左へキョロキョロさせ、かなりの動揺を見せた。な、何故? 僕はただ、小出さんと仲良くなりたいから、読んでいる本のタイトルを知りたいだけなんだけど。


「え? ど、どうして? どうして内緒なの? 内緒にされると余計気になっちゃう」


「えと、は、恥ずかしいから……です。はい……」


 小出さんは持っていた本を隠すようにして抱きかかえ、小さな声でそう言った。


 なんで恥ずかしいんだろう? もしかして小出さんが読んでる小説って、R18的なやつ? だから、僕にタイトルを教えることができないんじゃないだろうか。いや、それはないか。


 ということは、もしかして僕、小出さんに本のタイトルすら教えてもらえない人間なのかな? そんな価値すらない男なのかな? だとしたらちょっと、いや、かなり深く落ち込むね。


 そんなわけで、僕はあまりのショックにがくりと肩を落とした。ああ、知りたかったな、小出さんが読んでる本のタイトル……。


「え!? あ、あの、園川くん!? どうしたの!?」


 僕の落胆した様子を見て、小出さんはあたふたしだした。そして、どうしたら良いのか悩み始めてしまった。


「うーん……どうしよ……うーん……うーーん……」


 そして、恐々と。 小出さんは、僕に話を小さな声で切り出した。


「だ……誰にも言いませんか?」


 その言葉を聞いた瞬間、落ち込んでいた僕の目に光が戻った。良かった! タイトルを教えてもらえる! これで小出さんと同じ本を読んで、心の距離を近付けることができる!


「もちろん! 誰にも小出さんが読んでる本のタイトルのことは言わないよ! 僕、口だけは堅いから!」


 それを聞いて、小出さんはちょっとだけ安心した様子。そして僕にひそひそ話をするように、僕の耳にそっと顔を近付けた。彼女の吐息が耳にかかる。


 が、僕はこの後、思いっきり困惑することに。


「……異世界に飛ばされたオッサンは防具をつけないで常に裸で戦います。だけど葉っぱ一枚じゃただの変態だよ!……です」


 ……え? 今のは何? あらすじ?


 あれ? 確か僕はさっき、本のタイトルを教えてほしいと訊いたはずなんだけど。しかし、小出さんは今、本のあらすじを僕に伝えてきたわけで。これは一体……。


 ああ、そうか。小出さん、勘違いしちゃったんだ。僕があらすじを知りたいと勘違いしちゃったんだ。うっかり屋さんだなあ。


 でも、『タイトル』と『あらすじ』を間違えることなんてあり得る……のかな?


 んーー? 何だこれ。僕は何か試されているのではないだろうか。


 はたまた、これは小出さんなりの、渾身のギャグなのではないのだろうか。だとしたら、僕はここで一発、ツッコミをれるべきなんだろうか。


 ……ないな。それはないな。


「こ、小出さん! 今のって、本のあら──」


 すると、僕にタイムアップを知らせるように、始業のチャイムが教室に鳴り響いた。そして小出さんはあわあわと、本を机の中に急いでしまい込んだのである。


「小出さん! もう一度、僕に本のタイトルを──」


「もう訊かないでーー!!」


 ──それから。


 僕は授業中、小出さんの先程の言葉を、脳内で何度もリピートしていた。オッサンがどうとか言っていたな……。小出さんは一体、何の本を読んでいるんだろうか。


 僕の頭の中は、『オッサン』という単語でいっぱいに。ぐるぐると『オッサン』が回り巡った。というか、今の僕の頭の中、オッサンだらけになっちゃってるんですけど……。


 もちろん、英語の授業の内容なんて、まるで僕の頭に入って来なかったのは言うまでもない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る