アリアドネ編

アリアドネの糸



 リョウは携帯端末に表示されている文面を何度もスワイプした。




【最重要会議招集】


下記対象者に対し、次段階の戦略に関する協議を開始する。受領後二十分以内に、作戦会議室へ出頭せよ。


(対象:神崎ミコト少尉、杉浦咲少尉、宗像リョウ整備班長)




 一条彩少佐からの、電子召集令状。


 背後を振り返れば、同じく呼び出された神崎ミコトと杉浦咲が、それぞれ異なる表情でこちらを見ていた。


「緊急招集とは……一体、何が始まるんでしょうか」


 リョウの呟きに、隣に立ったミコトが肩をすくめる。


「さあな。でも、一条司令が直々にってことは、ろくなことじゃねえだろ!」


 リョウは頷き、作戦会議室の重厚な扉のパネルにIDカードを当てる。

 音もなく扉が滑るように開く。室内に満ちていたのは、管制室特有のオゾンの匂いが混じった、冷たい空気。

 巨大なホログラムスクリーンが淡い光を放つ薄暗がりの中、三人の視線は一点に吸い寄せられ、そして、思考は完全に凍り付いた。


 司令席に座る一条司令。その隣に立つエマ少尉。そこまではいい。問題は、その二人に挟まれるようにして直立不動の姿勢をとる、三人目の人物だった。


 佐倉ユイ。


 プレゼンター用のポインターを、両手で祈るように握りしめている。だが、リョウの知る彼女はそこにはいなかった。

 黒いフリルが幾重にも重なった、過剰な装飾のドレス。

 胸元で存在を主張する巨大なリボン。

 普段は実直に編み込まれているはずの茶色い髪は、縦ロールのツインテールとなって頭の両サイドで跳ねている。

 泣き腫らした跡を隠すかのように施された濃いメイクが、その痛々しさを一層際立たせていた。


「…………は」


 リョウの口から漏れたのは、知性の欠片もない、ただの呼気だった。

 張り詰めていた沈黙は、隣で起きた爆発によって破られる。


「ぶはっ! あはははは! ユイ、お前、どうしたんだよその格好! エデンのライブにでも行くのか!」


 ミコトが腹を抱えて爆笑する。その無遠慮な声が、薄暗い会議室に木霊した。


「ユイちゃん……」


 咲が心配そうに眉を寄せる。


 リョウは、顔を真っ赤にしたまま、普段とは全く違う後輩の姿から目を逸らせずにいた。

 その混乱の渦に、エマがまるで自慢げな戦果でも語るように、あっけらかんとした声で追い打ちをかける。


「どう? すっごく可愛いと思わない? 私がコーディネートしてあげたんだ!」


 エマはリョウの隣に歩み寄り、誇らしげに胸を張った。


「き、如月少尉が……!」


「うん。ユイちゃん、素材はいいから、磨けば光ると思ってね」


 あっけらかんと言い放つエマの横で、一条少佐は、もはや怒鳴る気力も失ったのか、こめかみを押さえたまま、重いため息をついた。


「……嘆かわしい。我々が酷使しすぎたせいで、うちの整備士が一人、壊れてしまったようだ。……だが、報告は待ったなしだ。始めろ、佐倉」


「は、はいぃ……!」


 ユイの返事は、もはや言葉ではなく、屈辱に耐える悲鳴だった。

 彼女は震える手でコンソールを操作し、スクリーンの前へと進み出る。

 背中のフリルが、軍事基地を背景に、皮肉なほどに可憐に揺れた。


 スクリーンには周辺宙域の戦術マップが映し出される。


「こ、これより、現宙域における新たな脅威に関する戦術報告を開始します!」


 ユイが語り始めたのは、ここ数週間で急増している原因不明の友軍被害に関する報告だった。


「現在、哨戒任務中の味方機が、深刻なセンサーエラーや通信障害に見舞われる事例が多発しています。三日前には第7哨戒艦隊が、同士討ち寸前の混乱に陥り、中破した機体を2機出すという被害が出ています」


 スクリーンに、無残にひしゃげた友軍機の映像が映し出される。

 その痛ましい姿に、ミコトの顔から笑みが消えた。


「調査の結果、これらの事象が発生する宙域には、必ず、所属不明の特殊な宇宙怪獣が存在していることが判明しました。コードネーム、『セイレーン』です」


 震える声で、ユイは続ける。


「セイレーンは、自らは攻撃を行いません。しかし、その存在自体が強力な電子戦域を形成し、ゴーストの発生、通信妨害を引き起こします。結論として、セイレーンは、他の宇宙怪獣の攻撃を補助するための『盾』、あるいは『煙幕』として機能している、極めて厄介な戦略的脅威です」


 ユイは一度言葉を切り、そして、明確な恐怖の色を声に滲ませて、言葉を継いだ。


「最も憂慮すべきは、このセイレーンの背後に、脅威度Sクラスの宇宙怪獣『ファントム』の存在が推測されることです」


 その名が出た瞬間、リョウは反射的に自分の手のひらを握りしめる。

 隣に座る咲とミコトの肩が、微かに震えるのが視界の隅で確認できた。


「ファントムの脅威を再確認します。あらゆるセンサーを無効化する『完全ステルス』能力。そして、パイロットの神経系に直接干渉し、幻覚を見せる『精神干渉』能力。現在までに、アヴァロン基地所属部隊による撃破記録は一度もありません」


 スクリーンに映し出されたのは、過去の戦闘でファントムがパイロットたちに見せた、ありもしない攻撃や、幻覚による味方機の誤射、そして生体武装による奇襲で次々と撃墜されていく人型兵器たちの映像だった。


「ファントムは一ヶ月前、神崎ミコト少尉のアストライアと相討ちになり離脱。その後は確認されていませんが、どこかで回復を待っている可能性は十分にあります」


 ユイは最後の力を振り絞り、報告を締めくくった。


「以上が、現状の脅威分析です! このままでは、我々はファントムの掌の上で、じわじわと消耗させられていくだけです!」


 ユイの悲痛な報告が終わり、作戦会議室は、ゴスロリ姿の少女が突きつけた絶望的な現実に、誰もが言葉を失い、重い沈黙に包まれた。


 その静寂を、待ちかねていたかのようにエマが破った。


「……というわけで、私から、この状況を打開するための作戦を提案します。名付けて、逆探知システム『アリアドネの糸』作戦」


 ユイと入れ替わるように颯爽と前に出ると、エマは手元のコンソールを操作する。

 スクリーンに、複雑なシステム概念図が浮かび上がった。


「セイレーンを破壊するのは簡単です。でも、それはトカゲの尻尾切りに過ぎません。本体であるファントムがいる限り、セイレーンは無限に現れる。これでは、ただの消耗戦です」


 ゲームの攻略法を語るように、彼女は楽しげに続ける。


「でも、セイレーンはファントムと繋がっている。その繋がりこそが、奴らの唯一の弱点。この『アリアドネの糸』は、その繋がり……制御信号を逆探知して、ファントム本体の位置を特定するための電子兵装です。迷宮に隠れた怪物を引きずり出すための、ただ一本の糸、というわけ」


 エマの作戦に、ミコトが食ってかかる。


「本当にセイレーンはファントムとつながってんのか!」


 エマは肩をすくめる。


「セイレーンがなにか信号を送受信してるのは間違いない。その先にいるのはファントムかもしれないし、ほかの排除すべき宇宙怪獣かもしれないし、待機状態の古代兵器かもしれない。何が言いたいかわかる? ――どうでもいいってこと。何が待ち構えていようが調べれば分かる。どうするかはそのあと考えればいいってわけ」


「――そうかよ」


 ミコトはエマの言葉を睨みつけるように受け止めた。

 理屈は通っている。だが、目の前の脅威を放置するわけにはいかない。


 一条司令は、全員の顔を見渡した後、静かに問うた。


「皆に意見を聞こう。セイレーンを即時殲滅すべきか、それとも如月少尉の案に乗り逆探知を試みるべきか」


 ミコトは、まるで火薬に引火したように、最初に叫んだ。


「決まってんだろ! 目の前の敵は、ぶっ潰す! ごちゃごちゃ理屈こねてる間に、また誰かが死ぬかもしれねえんだぞ!」


 咲もまた、静かだが強い意志を込めた声で続けた。彼女の心には、もう誰も失いたくないという、過去のトラウマからくる強烈な使命感が燃えていた。


「神崎少尉の言う通りです。前線のパイロットを危険に晒す脅威は、一刻も早く排除すべきです」


 その二人の意見に対し、リョウは静かに反論した。


「……いえ。技術者としては、根本原因を叩くべきだと考えます。目先の脅威を取り除き続けても、消耗していくだけです。逆探知案を支持します」


 全員の意見を聞き終えた一条司令は、一瞬だけ目を閉じた。

 それは、アヴァロン基地の、そして人類の未来を左右する重い決断を下す直前の、静謐な間だった。

 瞳を開いた時、彼女の目には揺るぎない決意が宿っていた。


「――我々は、これまでファントムに対し、常に対応が後手に回ってきた。奴のステルス能力、精神干渉、生体武装。その全てが、我々の想定を上回っていた。その結果が、これまでの夥しい損害だ」


 一条司令は、全員を見据える。


「神崎少尉の言う通り、セイレーンを叩けば、一時的な安全は確保できるだろう。だが、それは『現状維持』にすぎん。ファントムという見えざる脅威に怯え、消耗し続けるという、この膠着状態を受け入れることに他ならない」


 彼女は、スクリーンに映るファントムのデータを射抜くような目で見据えた。


「だが、如月少尉の案は違う。リスクは高い。しかし、成功すれば、我々は初めてファントムに対し、『先手』を打つことができる。これは、守りから攻めに転じる、唯一の好機だ。……私は、この好機に賭ける」


 司令官の決断が、会議室に響き渡る。


「――逆探知案を採択する」


 咲とミコトの顔に、不満と焦りの色が浮かぶ。だが、一条はその反応を意にも介さず、淡々と人員配置を告げた。


「『アリアドネの糸』の開発は、如月エマ少尉を主任、宗像リョウ整備班長を責任者とし、佐倉ユイ整備士もこれを補助せよ。期間は一ヶ月。総力を挙げて完遂させろ」


「はっ!」


 エマ、リョウ、そして涙目のユイが敬礼する。

 リョウの胸には、技術的な高揚感が満ちていた。

 この困難なシステムの開発責任者という役割に、彼の技術者としての魂が燃え上がったのだ。


 その光景を、咲は胸が締め付けられるような思いで見つめていた。


(宗像整備班長と、如月少尉が、共同任務……)


 咲の胸の奥で、何かが音を立てて灼けつくような感覚があった。

 視界が狭まる。

 宗像整備班長と、如月少尉。

 その二人だけの世界が、網膜に焼き付くように見える気がした。


 一条は、最後に咲へと視線を向け、非情な命令を下す。


「杉浦少尉。貴官のヘカテは、作戦の露払い及び、アタッカー兼護衛を担当してもらう。……神崎少尉は、アストライアが復旧するまで待機だ。以上、解散!」


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