ブリーフィング


 冷たい人工光が、アヴァロン基地のブリーフィングルームを白々と照らし出していた。

 空気は張り詰め、パイロットスーツが身体に密着する微かな音さえも響くほどの静寂が支配している。

 正面のホログラムディスプレイに投影された青い光が、集められた三人のパイロットの顔に複雑な陰影を落としていた。


「これより、ステルス宇宙怪獣、コードネーム『ファントム』の迎撃作戦に関するブリーフィングを開始する」


 一条彩の声は、室温をさらに数度下げるかのように冷徹だった。

 作戦指揮官である彼女の瞳は、ディスプレイの戦術マップを見据えたまま、一度も揺らがない。

 感情というフィルターを一切通さない、純粋な情報だけがその唇から紡がれていく。


「対象の生態、攻撃パターンについては、これまでの交戦データからある程度の予測が立っている。最大の特徴は、あらゆるセンサーを欺瞞する高度なステルス性能。そして、こちらの最も脆い部分を的確に突いてくる、知能的な攻撃性だ」


 ディスプレイに、これまでにファントムと交戦し、撃墜された友軍機のリストが音もなく表示される。

 ただ、無機質な識別番号の羅列が、その脅威を雄弁に物語っていた。


「数週間前、第7哨戒艦隊が対象と接触。結果は、艦隊の7割が大破、パイロットの大半が未帰還となった。救援信号を発する間もなく、僚機が背後から『喰われた』との報告が複数上がっている」


 一条は指先一つで、ホログラムを次のページへと切り替えた。

 そこに映し出されたのは、無残にも機体を大破させ、宇宙の藻屑と消えた僚機の残骸だった。

 彼女は淡々と説明を続ける。


「この個体は極めて狡猾だ。通常の光学迷彩とは異なり、周囲の空間そのものを歪曲させることで視認性をゼロにしている。過去、我々の部隊は幾度となくこの個体と交戦し、その度に煮え湯を飲まされてきた。そして……」


 一条の視線が、一瞬だけ咲に留まる。その眼差しは、厳しく、同時に何かを試すようでもあった。

 咲は、その視線から逃れるように俯いた。

 彼女の脳裏には、過去の失敗の光景がまざまざと蘇る。

 あの時、あと一歩まで追いつめたはずだった。

 だが、最後の最後でファントムは煙のように消え、その隙に僚機が犠牲になった。

 ――私の、せいだ。

 心臓を抉られるような自責の念が、彼女の胸を締め付ける。

 あの時、私がもう少し慎重に動いていれば。無駄に焦らず、冷静に状況を判断できていれば。そうすれば、仲間は死なずに済んだ。

 過去の自分が、今の自分を責め立てる。その重圧に、彼女の肩は震えていた。

 一方、鳴海志帆は、そんな咲の様子を一瞥すると、不敵な笑みを浮かべた。

 ホログラムのファントムを食い入るように見つめる彼女の瞳は、獲物を前にした獰猛な獣のようだった。


 ――ふうん、ステルス宇宙怪獣、ね。面白いじゃん。


 志帆の心は高揚していた。これまでの敵は、所詮はただの的だった。

 しかし、このファントムは違う。見えない敵を、己の全感覚を研ぎ澄ませて狩る。

 これこそが、彼女が求めていた「ゲーム」だ。

 その唇から、かすかな嘲笑が漏れる。


「見えねえ敵に、何もできずにやられっぱなしなんて、もうごめんだ……!」


 神崎ミコトは怒りを露わに、拳を固く握りしめた。

 彼女の脳裏には、戦死した仲間たちの顔が次々と浮かんでくる。つい先日まで共に笑い、語り合った「家族」たち。

 彼らの命を奪ったファントムという存在への、静かで、しかし沸々と燃え盛る怒り。


「あたしが、あたしの実力で、あいつをぶっ飛ばしてやる」


 言葉の端々に、ファントムへの強い敵意がにじみ出ていた。

 一条は、そんな三者三様の反応を冷静に見つめながら、次の説明へと移行する。


「ファントムは、こちらが最も嫌がる戦術を徹底的に選択してくる。それは、我々の五感と理性を欺くダーティな戦法だ」


 ミコトは、その言葉に再び反応する。


「コソコソ隠れやがって……! いざとなったら正面から堂々と勝負しろっつーの!」

「コソコソ隠れる……それってさ、もしかして杉浦のこと?」


 志帆が、挑発的な笑みを浮かべてミコトをからかう。

 その言葉は、まるで咲の心に刺さった棘を、さらに奥へと押し込むかのようだった。


「ちげーよ! バカ! ……咲はそんなことしない!」


 ミコトは激昂して言い返す。咲はただ黙って俯くばかりだった。

 志帆の言葉が、彼女の罪悪感を再び刺激する。

 あの時、私は確かに怯み、隠れるように逃げた。

 ミコトの必死な擁護が、かえって咲の心を深く傷つけた。

 その場の空気が凍り付く中、一条の冷たい声が響く。


「おふざけもいい加減にしろ。ここは茶番劇の舞台ではない。貴様らの無駄話が、作戦の成否を分けるかもしれないということを自覚しろ」


 一条の言葉に、ミコトは悔しそうに口を引き結び、引き下がった。

 一方の志帆は、ただ冷笑を浮かべるだけだった。

 彼女にとって、上官の言葉も、ミコトの激情も、すべては取るに足らないゲームの一環に過ぎなかった。


「……今は、どうすればファントムを倒せるか、それだけを考えなければ」


 咲が、震える声でそう呟いた。

 その声は小さく、しかし確かな決意を秘めていた。

 ミコトが、彼女の言葉に力強く頷く。


「見えない敵をどう斬ればいいんです、少佐?」


 ミコトが一条に問いかける。

 その問いは、彼女の怒りが冷静な闘志へと変化したことを示していた。

 一条は、ホログラムに投影されたファントムの画像を拡大する。


「ファントムは、常に人間が最も嫌がる手段を選ぶ。ならば、その心理を逆手に取れ。奴が最も得意とする、背後や頭上直下といった死角を狙われたところを、カウンターで撃破するのだ。その瞬間、奴は最も無防備になる」


「倒せるなら、何をしてもいいってことか?」


 志帆がにやりと笑い、一条に問いかける。

 彼女の視線の先には、常に彼女の行動を制限してきた上官の姿があった。


「好きにしろ。ただし、任務は必ず遂行しろ」


 一条の言葉に、志帆は満足げに不敵な笑みを浮かべた。

 彼女の頬に浮かんだ笑みは、まるでこれから始まる破壊と殺戮の宴に、心から期待を寄せているかのようだった。


「いいか。今回の作戦は、奴らにとって致命的な打撃となる。三人が連携し、必ずやファントムを討滅せよ。以上でブリーフィングを終了する。各員、直ちに機体に乗り込め」


「「「はっ!」」」


 一条の号令に、三人は一斉に敬礼した。

 ブリーフィングが終わり、張り詰めていた空気がわずかに緩む。

 格納庫へ向かう途中で、ミコトは「今度こそ、あいつらに負けた奴らの仇を取ってやるんだからな!」と独り言を呟きながら、決意に満ちた表情で自機アストライアに乗り込んだ。

 その背中を見送り、志帆は咲へと顔を向ける。


「なあ、杉浦。もし、あんたが足を引っ張るような真似をしたら、あたしが撃墜してやるから、そのつもりでいろよ」


 ミコトには聞こえない、不穏な挑発。志帆の声は静かだが、その目は本気だった。

 咲は、その言葉に小さく口答えする。


「そんなことしたら、軍法会議モノですよ……」


「はっ、軍法会議? どうでもいいね。あたしは強い奴と戦えればそれでいい。足枷は必要ないんだ」


 志帆は鼻で笑うと、背中を向けて自機アレスへと乗り込んでいった。


 その背中を見つめながら、咲は疑問を抱く。

 なぜ、彼女は命を軽んじるのだろうか。自分や、他者の命を。

 彼女の戦闘に対する純粋な欲望が、咲にはどうしても理解できなかった。


 ふと、彼女は周りを見回した。

 いつものおまじないをしてもらうために、整備班長の宗像リョウの姿を探して。

 彼の姿は、少し離れた場所にあった。

 他の整備士に囲まれ、身振り手振りを交えながら、何やら深刻な顔で指示を飛ばしている。

 その真剣な横顔は、とても声をかけられるような雰囲気ではなかった。


(……忙しそう)


 出撃前の、いつもの儀式。

 彼に「おまじない」を頼むこと。

 それが、死の恐怖に震える自分の心をかろうじて繋ぎとめる、唯一の拠り所だった。

 しかし、今の彼に、そんな子供じみた甘えをぶつけることはできなかった。

 いつものように背中を押してくれる彼の言葉がないことに、わずかな心細さを感じながらも、咲は諦めて前を向いた。


 彼女の目の前に鎮座するのは、格納庫の薄暗闇の中で鈍く光る、漆黒の機体ヘカテ。

 その流線型のフォルムは、まるで獲物を狙う猛禽類のようであり、精密に設計された関節部は、どんな動きにも対応できることを示唆していた。

 彼女は、この機体の操縦桿を握るたびに、自分がこの機体と一体化し、空を自由に舞う鳥になったかのような錯覚を覚える。


 ――この機体は、私の逃げ場所だ。


 脳裏に、初めてヘカテに搭乗した日の記憶が蘇る。

 あの時、ただ生き残るために、私はこの機体を選んだ。そして、この機体はいつも、死の淵から私を連れ帰ってくれた。

 しかし、今は違う。

 ヘカテに守られているだけでは、ファントムは倒せない。

 過去の過ちを償うためには、この逃げ場所を、自ら進んで戦場へと向かうための「剣」に変えなければならない。


 タラップを上がり、コックピットに滑り込む。

 ハッチが閉まると、外界の喧騒が嘘のように遠ざかり、静寂が訪れた。

 一人きりの空間。

 そこは、絶対的な孤独と、死が最も身近になる場所。

 咲は、ゆっくりと操縦桿を握った。

 冷たい金属の感触が、汗ばんだ掌に伝わる。

 計器類の淡い光が、不安げに揺れる彼女の瞳を映し出す。

 過去の失敗と、犠牲になった仲間たちの顔が、走馬灯のように頭の中を駆け巡る。

 手汗で湿った操縦桿は、まるで彼女の恐怖そのものを握りしめているかのようだった。

 しかし、その恐怖の奥底には、仲間を、そして宗像リョウを守りたいという強い決意が、燃え盛る炎のように灯っていた。

 彼女は、一度目を閉じ、そして再び開く。

 その瞳には、もはや恐怖の色はなかった。


(今度こそ……今度こそ、私が)


怯えながらも、彼女は固く誓う。


(この手で、終わらせる)


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