第40話 感謝の日

三日後。

俺は城下町の外れにある料理屋の前に立っていた。昼時を少し外したせいか、通りには人通りもまばらで、石畳の上を吹き抜ける風が心地よかった。


木製の看板には「風見亭」と彫られていて、窓からは香ばしい匂いが漂ってくる。腹が鳴りそうになるのを抑えつつ、俺は扉を押した。


中は薄明かりに包まれていて、落ち着いた雰囲気だった。昼間から酔っている客もいなければ、騒ぎ立てる連中もいない。木のテーブルが並び、赤茶のランプが柔らかい光を落としている。鼻をくすぐるのは焼いた肉と香草の香り。思わず深呼吸してしまった。


席に腰を下ろし、しばらく待っていると――


「おう、待たせたな!」


豪快な声と共に現れたのは、眼帯をつけた男だった。ドリー。

この前、飯を一緒に食べることを約束したのだ。


「時間通りに来てやったぜ。ここ、美味いんだよ!今日は奢らせてくれ!」


大きな体を揺らしながらドリーが豪快に笑う。


「いや、奢らなくていい。悪いし……」


俺は慌てて断ろうとするが、彼は片手を振って遮った。


「いいんだ、いいんだ。俺なりの謝罪ってやつだ。気にすんな」


その表情は妙に真剣で、これ以上言っても無駄だと悟る。こいつなりのけじめなのだろう。

俺は肩の力を抜いて「じゃあ、ご馳走になる」とだけ答えた。

 

店内はやはり静かで、周囲の会話も耳障りではない。木の床は磨かれていて、窓際からは昼の光が差し込んでいた。落ち着いた空気に、心なしか緊張も和らぐ。


「よっ! 店長、いつもの!」


ドリーは慣れた調子で声を張る。

奥の男が「はいはい」と返事すると、俺もつられて口を開いた。


「じゃあ……俺も同じので」


声に出した途端、少しだけ安心する。注文が決まっただけなのに、不思議と会話の糸口を掴んだような気がした。

だが、いざ向き合うと話題が見つからない。

沈黙に気まずさを覚えたその時――


「なあ、ネル。この眼帯、気になるか?」


ドリーが不意に笑って問いかけてきた。


「え?」


「隠すつもりもねぇんだよ。これな、この前の戦争でやっちまったんだ」


彼は指先で眼帯を軽く叩いた。


「だが、前の戦争で評価されたらしくてな。俺の強さが認められたのか、中級兵に昇進しちまった!」


誇らしげに腕を組む姿は、どこか子供のようでもあった。


「それは……すごいですね」


思わず口をついて出た言葉に、ドリーは顔をしかめる。


「おいおい、やめろよ。敬語は気持ち悪い」


「あ……わかった」


苦笑いしながら答えると、ドリーの表情がぱっと明るくなった。


「よし! その方がいい」


なんだか、こちらまで少し楽になる。


「お前は下級兵だろ?」


「そうだな」


「なら俺の後輩ってわけだな!」


大声で笑うと、木の天井が震えるかのように響いた。周囲の客がちらりと視線を向けたが、ドリーは気にしない。


話してみると、案外悪い奴じゃなかった。ただ少し自慢が多いだけで、根は素直でわかりやすい。そんな印象を抱いた。

しばらくすると、料理が運ばれてきた。

木製の皿に盛られたのは、香ばしく焼き上げられた肉と野菜の煮込み。それに、焼きたての黒パンと濃厚なスープ。

立ち上る湯気に鼻を近づけただけで、思わず唾を飲み込んでしまう。


「うおー! 待ってました!」


ドリーが両手を叩いた瞬間――


「あっ! やべぇ!!」


彼の叫び声が店内を揺るがした。周囲の客が驚き、振り返る。


「ど、どうしたんだよ!?」


「おい! ネル! 行くぞ!」


ドリーは立ち上がり、俺の腕を掴んだ。


「え? 料理は!?」


「そんなもんどうでもいい!やべぇ、間に合うか…。とにかく行くぞ!」


必死の形相で言うその姿に、困惑する。

ぐいっと腕を引っ張られ、皿に手を伸ばしたが、指先は料理に届かなかった。


(せっかくなら……食べたかった……)


心の中で小さく嘆きながら、引きずられるように店を飛び出す。

走りながら、ドリーは懐から金貨を取り出すと、入口に立つ店主へ投げ渡した。


「これで頼む!!」


「おい! ドリー! 金が――」


「つりはいらねぇ!!」

振り返ることなく叫び、ドリーはさらに加速する。

信じられないほどの速さだった。俺を抱え込むように引っ張りながら、まるで地を蹴るたびに風を切っているようだ。


(人間って、必死になれば、限界を超えて走れるものなのか……?)


目の前が揺れ、石畳が流れる。ドリーの呼吸は荒いが、その背中には必死さと迫力があった。

後ろで店主の怒鳴り声が遠ざかっていく。


「足りねぇんだよ! あいつ、またやりやがった……!」


その言葉を最後に、俺たちの姿は城下町の人混みに飲み込まれて消えた。


**


「ついた……間に合った!!」


ドリーは息を切らしながらそう叫び、胸を大きく叩いて酸素を取り戻すようにしていた。


「どうしたんだよ、わざわざ本拠地になんか来て?」


俺が首をかしげると、ドリーは手を振り払うようにして


「まあいいから、ついてこい。」


とだけ言い、足早に門へ向かった。門番たちの目つきがいつもより鋭い。警戒が高まっているのがわかる。中へ入ると、ドリーは走り出した。俺は後を追い、広間へと吸い込まれていく。


—— 広間は、高い天井から吊るされた無数の燭台が、淡い光を広げ、壁一面に刻まれた紋章を照らしている。赤い絨毯は壇上まで真っすぐに延び、その両脇には槍を携えた兵士たちが無言で立ち並んでいた。


人のざわめきさえ、ここでは妙に小さく聞こえる。石造りの柱が並ぶその空間は、声を放てばすぐ反響し、沈黙がより重くのしかかるようだった。

壇上には一人の老人が立っていた。

白く長い髭を胸元まで伸ばし、濃紺の礼服に金糸の縫い取りを施した装束を纏っている。ただ立っているだけで、周囲を支配するような威厳があった。

老人の声が響いた。


「……アーロン=ヴェルナー。レオナード=カステル。ミリィ=ハーグローヴ」


名前?なぜ名前を読み上げてるんだ?

不思議に思う俺に気づいたのか隣でドリーが小声で説明した。


「今日は一年に一回ある“戦死者への感謝の日”だ。……ま、中級兵以上しか読み上げられねぇけどな」


俺はうなずき、とりあえず席に座った。ドリーは退屈そうに椅子にふんぞり返り、

「死んだやつなんかどうでもいいだろ」と口を尖らせた。


その瞬間だった。

「リヴィア=グレンデル。」

その名が老人の口から響いた瞬間、広間の空気が一瞬止まったように感じた。

胸の奥が強く脈打つ。呼吸が乱れる。

思わず俺は、声にならないほど小さく呟いた。


「……リヴィア……」


隣のドリーがこちらを見やり、眉をひそめる。


「知り合いか?」


「ああ。最高の仲間だった」


自分でも驚くほど低い声が出た。言葉にした途端、胸がずしりと重く沈んでいく。


「まあ、もう帰ろうぜ! 来ただけでもう上官に怒られることはねぇし!」


ドリーが気を使い立ち上がろうとした時だった。

——轟く怒声が広間を震わせた。


「ふざけんなぁぁぁッ!!」


人々が一斉に振り返る。壇上で名を読み上げていた老人が目を見開き、

「何事じゃ! 静粛に!」と声を張った。

怒鳴ったのは一人の男だった。髭を伸ばし、やつれた顔で、隣の青年に必死に押さえられている。顔が角度的に見えない。


「アイツが……あいつが死んでるわけねぇだろうがッ!!!」


会場に緊張が走る。兵士たちが前へ出て制止するが、男は暴れながら叫び続ける。


「……おい、あんなやついるんだな。空気ぶち壊しだろ」


ドリーは呆れ顔で肩をすくめ、


「気にすんな。さ、帰ろうぜ」


と俺の腕を軽く引いた。俺も後ろ髪を引かれつつ広間を後にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る