第38話 それぞれの探し物
空は澄み渡り、風はほんのりと暖かい。緑が一面に広がる野原の向こう、城下町の屋根が小さく点在して見える。貧民街のざわめきは遠く、ここはアルトの言う通りどこからも離れており、自然に囲まれている。
「外に出るの、久しぶりでしょ? ここ、いいところよね」
ミルルが目を輝かせてそう言う。頬に当たるそよ風は乾いていて、草の匂いが鼻に沁みる。
だが――
「ネル、似合ってるよ! わはは、本当に別人みたい!」
こんなに清々しい空の下にいるというのに、俺はメガネをかけ、髭を描かれ、髪型まで変えられていた。鏡で見れば別人としか言いようがない。アルトとミルルが楽しげに仕上げた“変装”の成果だ。
ミルルが指で俺の顎の髭をつんつんして笑う。
名前も変わった。“ネフ”ではなく、今日からは「ネル」だ。
***
数時間前――
アルトはやけにはりきっていた。彼の笑顔が今でも忘れられない。
「変装ですよ、変装! これでネフ君が生きているとはバレません」
アルトの声はまるで子どもの秘密計画のように軽やかだ。ミルルは目を輝かせ、楽しそうに手を動かす。布や化粧道具。俺はおとなしく座られて、二人に弄られるがままだった。
「名前も変えましょう。何かありますかね?」
アルトが訊くと、ミルルがふざけて幾つかの名前を口にする。どれも適当で馬鹿馬鹿しい。
「ミルル、この状況を楽しんでないか? 真面目に考えてくれ」
俺が難癖をつけると、ミルルは目を細めた。
「そうだなー。ネルは?」
「いいですね、それにしましょう」
アルトはすぐに頷き、ミルルは満足げに腕を組む。
こうして、俺は「ネル」と名乗ることになった。
「で、俺はどうすればいいんですかね?」
問いかけると、アルトは真顔に戻る。
「このまま城下町に戻って、レオン君の悪事の証拠を掴むのがいいでしょう」
アルトは静かに提案した。彼の言葉には冷静な計算があって安心感があった。
「悪事?」
ミルルが眉を寄せ、アルトは短く頷く。
「レオン君は敵国に裏切りをしていたのでしょう? 理由は分かりませんが、その証拠を見つければ国外追放か処刑になります」
「でも、今から三人で報告したら――」
「無理でしょうね」アルトは首を振る。
「ネフ君は中級兵にすぎません。対してレオン君は“五強”の一人。しかもお父様のお気に入りです。私も兵士になれなかった落ちこぼれ、ミルルちゃんは貧民街出身。信用されるはずがありません」
「そ、そんな……」ミルルが言葉を失う。
「私も助けた身ですから、バレれば狙われます。ですから出来る限り協力します。二人とも、今からいう話をよく聞いてください」
***
ミルルと貧民街で別れ、俺は歩いて城下町の門までやってきた。ここに来るのはリヴィアとフードの奴を追ったとき以来だ。妙に懐かしい。
アルトの言葉が頭に蘇る。
『ネフ君は“下級兵のネル”として本拠地に戻ってください。下級兵なんて誰も気にしません。私からも新しく兵士に志願すると伝えておきますよ』
いつも通り賑やかな街を抜け、本拠地が見えてきた。前には訓練する兵士たち、奥には剣を振らず佇む者たちの姿もある。
さらにアルトの声が重なる。
『いいですか、ネフ君はザックさんを探してください。十中八九、彼は味方です。彼なら協力してくれるはず。私とミルルちゃんは情報を集めます』
本拠地の門前に立つと、兵士たちがこちらを嗤うように視線を投げた。眼帯の男が一歩前に出る。
「お前、見ない顔だが、何者だ?」
胸の奥で小さく鼓動が跳ねる。だが、声は落ち着いていた。
「ネルです。最近入ったばかりで」
「そうか。まあすぐ死にそうだな。俺様は中級兵だぞ!」
嘲笑を背に受けながら中に入る。
(…なんだあいつ。俺だって本当は中級兵だぞ)
だが今はどうでもいい。
――まずはザックを探す。目標はそれだけだ。
**
一方その頃。
帝都の城下町に停まった馬車から、二人の男がゆっくりと降り立った。
片方は肩に小さな荷を背負い、気楽そうに伸びをしている。もう片方は目に鋭い光を宿したまま周囲を見渡していた。
「――あぁ、久しぶりに来たな。ここ」
気楽そうな男――ノルが、懐かしげに城下町の街並みを見渡しながら呟いた。
帝都は今日も人で溢れ、馬車の往来と商人たちの声で賑わっている。石畳の道に靴音を響かせながら、ノルは横に立つ男へ笑いかけた。
「じゃあゲイル、ネフを探しに行こうぜ!」
呼びかけられたもう一人――ゲイルは、少しだけ考えるように口をつぐんでから、短く答えを返す。
「……俺は会いたい奴がいる」
その声音には、かすかな熱がこもっていた。ノルはそれを感じ取ったのか、苦笑する。
「そうだったな。リヴィア……だっけ? 分かったよ」
名前を出されると、ゲイルはわずかに目を細めるだけで何も言わなかった。
二人は無言のまま視線を交わし、自然に別れる。
「じゃあ俺は、ネフをゆっくり探すとするかな」
そう言って手を軽く振り、二人は人波の中へと溶け込んでいった。
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