第34話 声

目を開けると、そこはただ暗かった。

音もない。風もない。どこまでも地平線のように広がる、色も質感もない“地面”。


だが、地面を踏む感覚がない。

立っているはずなのに、立っているという感覚さえない。


「……なんだ、これ」

足元を見た。確かに足はあった。けれど半透明で、そこから下の地面が透けて見えている。

慌てて両腕を広げる。そこにあったはずの腕もまた透け、掴もうとした手のひらの向こうに“空虚”が広がる。


「俺は、あの時……レオンに刺された」

 思い出すだけで胸が鈍く疼く。

「……死んだ、のか? ここがあの世……?」

 

異世界に来てから、ろくでもない環境に叩き込まれた。

だが、アレンやゲイル、ノルと出会い、リヴィアとも――出会えた。

レオンの言葉通り、リヴィアに守ってもらった。それでも俺は……すぐに死んでしまった。


「これから、どうなるんだ……」

半透明の身体は、少しずつ輪郭を失っていくように見えた。

やがて完全に消えてしまうのだろうか。

ミルルは……大丈夫だったのだろうか。逃げられただろうか。

本来関係のないはずの彼女まで、戦場に巻き込んでしまった――。

そう考えていると。


「……なんだ、あれ」

暗闇の彼方に、ぽつりと小さな光が浮かんでいた。

無意識に足が動く。いや、足があったのかも定かでない。けれど近づく。

光の中心には、人影があった。

白い靄に包まれ、顔立ちは見えない。だが全身は黒く塗り潰されたように、輪郭だけが浮かび上がっている。裸のようにも見える、不気味な姿。


「――やあ。久しぶり!」

突然声をかけられ、思わず息を呑んだ。返事をしようとしても、喉が張りつき、絞り出せたのは。


「え……?」


「ネフくん、だよね! 前にも話しかけたことがあるんだけど……覚えてない?」


その声。その響き。

忘れるはずがない。脳裏に焼き付いていた“あの声”。


「……お前……!」

やっと言葉が漏れる。

そうだ、こいつが――あの謎の声の正体。


「リヴィアに……扉を開けさせるなって、言ってたよな。どういう意味だ? 扉を開けたら、俺は刺されたんだぞ!」

 

影の人物は、ひと呼吸置いてから、軽く笑うように言った。


「……ん? ああ、あれね。君に死んでほしかったんだよ」


 ――時が止まったように感じた。

「は?」

「理由は分からない。でも……君を殺した方がいい、そう思ったんだ」

 

頭が真っ白になる。

理由もなく? 俺を?


「お前はそもそも、一体なんなんだ。なんで声を送った……?」


「それも分からない。でもね、“声を送れる”のは僕の――能力さ」


「能力……?」


「そう。タイミングは限られるけど、君にだけ声を送れる。回数制限もあるけどね」

 

影は淡々と説明を続ける。


「ここはどこだ? 俺は……この後どうなる?」


「ここはね。言うならば、君と僕が話すためだけの空間。それ以外は何もできない」


「……なんで俺はここに来た?」


「君が死んだからだよ。だから僕は、こうして話せるようになったんだ」

暗闇に響く声は、妙に楽しそうで、ぞっとするほど軽い。


「それで……この後どうなるかってことだけど――」

 

影は首を傾げ、くつくつと笑った。


「君はこのまま、消滅しちゃうと思うよ。だって、死んだんだから」

 

冷たい言葉が突き刺さる。

胸の奥が凍りつく。やはり、このまま消えてしまうのか。


だが――気になることが一つ。

「前と……喋り方が違わないか? お前。こんな話し方じゃなかったはずだ」


俺が疑うように言うと、影は肩をすくめる。


「そうかな? まあ、喋り方なんてすぐ変わるものだよ」


「……」


「僕はね、少しずつ記憶をなくしちゃうんだ」

靄に包まれたその存在が、妙に楽しげに言葉を紡ぐ。


「でも――もう大丈夫。だって君が死んでくれたから」

心臓が冷たくなる。


「俺が死んだら……お前はどうなる?」

「さあ? でも、きっと幸せになれる気がする」

「何を言ってるんだ」

 幸せ? こいつが? 何を基準に――。


「……あ、もう時間が来る。君とはお別れしなきゃ」


「待て! まだ聞きたいことがある! なんでこれから起こる未来が分かった? お前は何なんだ……想像上の生き物なのか?」


「僕はね、生きてない。でも死んでもいない」


さらりと言い放ち、影は白い靄にかき消されるように消えていった。

同時に、俺の身体もぼろぼろと崩れるように透け、消えていく。


「……これで、消滅するのか」

 そう思った瞬間。


――再び白い靄が目の前に現れた。


「……君、まだ生きてるじゃないか」


半透明だった体が、少しずつ濃さを取り戻していく。


「それは本当か!?」


「うん。誰かが君に回復魔法をかけたみたいだね」

影は爪を噛みながら、苛立たしげに吐き捨てる。


「まったく……うざいやつだよ」


「……」


「じゃあ、今から君は戻る。でも――僕のこと、覚えておいてね。僕から話しかけることは、もうないかもしれないけど……またここで会う時は、その時こそ君が“死んでる”ってことだから」

影は、にやりと笑ったように見えた。


「じゃあね、ネフくん」

手を振る仕草をした瞬間、完全に光が弾け飛ぶ。

意識が、深く沈んでいった。


――そして。

目を覚ますと、見慣れない天井があった。

俺は……ベッドの上に寝かされていた。


――第二章 終

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