第23話 もし敵なら
朝焼けを過ぎた頃。俺たちは王都の石畳を踏みしめながら、城下町の大通りへと戻ってきていた。
遠くに王城の尖塔がそびえ、通りには屋台の声、楽師の笛の音、焼き立てのパンの匂いが漂う。
昨日までの貧民街の湿った空気が嘘のように明るい。
俺は肩越しにその景色を眺めながら、思わずつぶやいた。
「……何度来ても、ここはすごいな」
大通りには笑顔が満ち、馬車の車輪が石を弾き、子どもたちのはしゃぐ声が響く。
戦いや拷問、血の臭いなんてここには存在しないかのようだ。
「ふんふん~♪」
そんな中、ミルルは軽快なステップで両手を広げ、スキップしていた。
「……なんだか楽しそうだな」
俺は苦笑しつつ問いかける。
「ミルル、貧民街で暮らしてたんだろ? ここも慣れてるのか?」
「当たり前じゃない!」彼女は胸を張って振り返る。
「私は情報屋よ! この国のすべてが私の庭と言っても過言じゃないんだから!」
「庭って……おい。この国、結構広いんだぞ?」
俺の突っ込みに、彼女はむふんと鼻を鳴らす。
そのやり取りを、リヴィアが豪快に笑い飛ばした。
「はっはっは! お前ら、楽しそうだな! もしかして気が合うんじゃないのか?」
彼女の肩には、ぐったりした二人の男――昨日捕らえた連中――が抱えられている。縄で縛られ、もう声を出す力もない。
水しか与えられていない彼らは、半ば意識を失い、死人のように揺れていた。
「そ、そんなわけないでしょ!」ミルルは頬を赤らめて抗議する。
「ははは、悪かった悪かった!」
リヴィアは大声で笑い、肩をすくめて謝る。
そのやり取りを見ていると、思わず言ってしまった。
「お前らは本物の姉妹みたいだ」
「おっ!そりゃいい!私は妹が欲しかったんだ!」
リヴィアは目を輝かせる。
その言葉に、ミルルの顔が一瞬陰った様に見えた。だがすぐに無理やり笑顔を作り、軽い声で言った。
「じゃあ……これからも“姉さん”って呼ぶわ」
その笑みはどこか寂しげで、俺の胸に小さな棘のように刺さった。
**
やがて、目の前に巨大な建物が現れる。
王城の外周に沿って建つ、白い石造りの要塞のような場所、本拠地だ。壁面には王家の紋章を染め抜いた旗がはためき、武装した兵士が警備に立っている。
俺は思わず口を開いた。
「……なあ、リヴィア。牢屋なんてどこにあるんだ?」
「まあ、着いてくればわかる」
中に入り、ひんやりとした石の回廊を抜け、目の前に現れたのは──深い地下へと続く階段だった。
鉄の燭台が壁に等間隔で取り付けられ、炎が薄暗い影を揺らしている。
「ちょっと、ミルルはここで待っててくれるか?」
リヴィアが振り返った。
「ここは兵士以外、入れないんだ」
「わかったわ」
ミルルは頷き、入り口近くの椅子に腰を下ろす。
地下へ降りるにつれ、冷たい空気と鉄の匂いが強くなる。やがて見えてきたのは鉄格子に囲まれた牢獄だった。
中には痩せ細った囚人が呻き、気が狂った男が両手で砂をすくっては落とし、また拾うことを繰り返している。
ここは地上の華やかな城下町とは正反対の、腐った影そのものだった。
リヴィアは空いている牢に、二人の捕虜を無造作に投げ捨てる。
管理兵に軽く合図し、俺に向かって言った。
「よし、もう行くぞ」
慌てて後を追いながら、リヴィアは低くつぶやいた。
「……こんなところ、何回来ても慣れないな」
やがて階段を登り、光が差し込む地上へ戻る。
耳に入ってきたのは、ミルルの弾むような声だった。
「──うん、そうよ!」
俺とリヴィアが顔を見合わせる。
階段を上がりきると、椅子に腰かけたミルルが手を振った。
「あ、おかえり!」
「……誰と話してたんだ?」
俺は眉をひそめる。
──その瞬間だった。
肩にふわりと手がかかる。温かいのに、背筋が氷で締め上げられるような感覚。
「君、リヴィアと仲がいいんだね。お友達かな?」
耳元に柔らかな声が落ちた。
全く気づかなかった。気配を読めなかった。俺は愕然とする。
本能が告げる。こいつは“とんでもない存在”だ。
「兄ちゃん! やめろ!」
リヴィアが駆け寄り、俺の肩からその手を引き剥がす。
振り返った俺の目に映ったのは、銀髪の青年だった。リヴィアとよく似た髪色を持ちながら、肌は白い。
整った顔立ち、爽やかな笑み。誰が見ても、イケメンだと答えるだろう。
「いやだなぁ、リヴィア」
彼は肩をすくめて笑う。
「ただ、リヴィアの友達とお喋りしていただけじゃないか」
リヴィアは歯噛みしながら俺を庇うように立ち、低く言った。
「……兄ちゃん」
青年は軽やかに片手を上げ、俺に向き直る。
「自己紹介が遅れたね。僕はレオン。リヴィアの兄であり──この国の“五強”の一人さ」
にこやかな笑みを浮かべたまま、レオンは俺をまっすぐ見た。
その眼差しに射抜かれ、思わず息を詰める。まるで逃げ道を塞がれるような圧だった。
「あれ、リヴィア。この人が“ゲイル”だっけ?」
「違う!」リヴィアが即座に首を振る。
「ネフは私の命の恩人だ! ……兄ちゃん、なんでここにいるんだよ?」
「ははっ」レオンは軽く笑った。
「やっとさっき、戦場から帰ってこられたんだ。まあ……またすぐに行くことになるんだけどね」
軽く言ってのける口調とは裏腹に、そこには血の匂いが染み付いているように思えた。
鍛え上げられた体をしているわけでもなく、鎧を着ているわけでもない。
だが一歩近づかれるだけで、喉が詰まり、心臓が勝手に跳ねる。
──もし、こいつが敵だったら。
俺は、声を出す間もなく殺されている。
強いかどうか、そんな次元じゃない。
存在そのものが周囲の空気を支配している。
その威圧感を前に、俺は無意識に息を殺していた。
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