第15話 消えた目標、芽吹く決意
アレンと別れて、一週間が過ぎた。
それは同時に、俺から「守るべき目標」が消えた一週間でもあった。
この世界に来てから、何をすればいいのか分からないまま流されるように日々を送ってきた。
だが、アレンを守るという一点だけは、自分の意思で選んだ目標だった。
その目標がなくなった今、俺の中はぽっかりと穴が開いたように空っぽだ。
朝からゲイルの訓練場に立っていても、体が勝手に動くだけで、気持ちはどこか遠くにあった。
木剣がぶつかる音だけが、虚しく耳に響く。
「……なぁ、ネフ」
脇のベンチに腰を下ろしていたノルが、片手で日差しを避けながら俺を見た。
「最近さ、お前……なんか元気ねぇよな?」
「……そんなことない」
即答したつもりだったが、声は力なく空気に溶けた。
「ま、いいけどよ。人間、燃え尽きた後は灰になるもんだ。でもな――」
そこでノルはニヤリと笑った。
「灰ってのは、火種になるんだぜ?」
意味を問い返そうとしたが、その時ゲイルが訓練を止めた。
「そういえばネフ、お前、本拠地から呼ばれてたぞ」
「……は?」
「忘れてた」
短くそう言うと、もう一度木剣を構える。
説明は以上、らしい。
(おいおい……説明が足りなすぎるだろ)
「本拠地って、どこに?」
ふと気になって、俺はゲイルに尋ねた。
「首都だ。王城の真下に広がる城下町だな」
「え、ここが城下町じゃないのか?」
思わず首をかしげる。俺たちが今いるこの街も、城壁や市場があって、城下町っぽく見える。
横からノルが笑いながら口を挟んだ。
「ここは地方都市だよ。俺たちが初めて会った時も、ここだったろ? 本拠地があるのは首都の城下町。王城を中心にして、国で一番大きな街だ」
「ああ……そういうことか」
俺はようやく納得する。城下町だと思っていたが、王城のある首都のものだけを指すらしい。
「……じゃあ行ってこい」
ゲイルの短い一言に促され、俺は支度を整え、一人で地方都市の門を抜けた。
やがて馬車が地平線の向こうに差し掛かったとき、巨大な影が現れた。
近づくにつれ、その城壁の高さに息を呑む。地方都市の倍はある。
門前の広場だけで、昨日まで俺がいた町の市場よりも広かった。
そして人、人、人。
人間だけではない。獣の耳を持つ商人、長い尾を揺らす獣人の子どもたち。――人と獣族が行き交い、色とりどりの服や香辛料の匂いが入り混じる。
「……すげぇ獣族なんかいたんだ……」
思わず声が漏れる。
前の世界ではテレビや映画でしか見たことのないほどの人混みと、活気と、喧騒だった。
通りを歩けば、俺の腰ほどもある肉塊を肩に担ぐ男や、見たことのない四足獣を散歩させる女がすれ違う。
建物は三階建てや四階建てが当たり前で、窓からは香ばしい匂いが漂ってくる。
通りの端では大道芸人が剣を回し、子どもたちが歓声を上げていた。
もっと見ていたい――そう思った矢先、本拠地の入り口が見えてきた。
王城の外周に沿って建つ巨大な建物。白い石造りの壁と、紋章の入った旗が風に揺れている。
中に入ると、すでに多くの兵士たちが集まっていた。鎧の音と、足音と、低い話し声が交差する。
そのとき、近くの席から聞こえてきた兵士同士の会話が耳に入る。
「おい、昇級式が始まるぞ」
「急げ、もうすぐだ」
「は? 昇給式? 俺、そんな話――」
そんな俺の心の声など無視するように、人混みは進んでいく。
その時だった。
「――あっ! やっぱりネフじゃん!! 生きてたんだな!」
振り向くと、見覚えのない女剣士が駆け寄ってくる。
日に焼けた褐色の肌に、短く切った銀髪。
鎧はところどころ傷だらけで、腕や太ももには古い傷跡がいくつも走っている。
腰には長剣が下げられ、肩幅の広さと引き締まった筋肉が、日々の鍛錬を物語っていた。
白いシャツの上から羽織った赤いサッシュが、褐色の肌を一層際立たせている。
動くたび、銀髪がきらりと光り、健康的な笑みがこちらに向けられる。
……だが、俺はこの人に会った覚えがない。
「……誰だ?」
「えーっ!? 忘れたのか!? まぁいいや!」
大雑把な笑顔とともに、勢いよく肩を叩かれた。
その力強さに、俺は一歩よろける。
なぜ俺を知っているのか。
その疑問が、喧騒の中で静かに膨らんでいった。
「でもよかった、生きてて! 前の戦争で死体置き場に送られたって聞いて、ずっと心配してたんだぞ!」
その言葉に、俺の背筋が一瞬冷たくなる。
(……この体の前の持ち主――ネフ=アシュトン。俺が転生する前に、この人と知り合いだったのか)
「それにな、お前んちの家賃、いない間ずっと私が払ってやってたんだからな! 今度なんか美味い飯でも奢れよ!」
ニッと笑ってそう言うと、女剣士は手をひらひらと振り、「じゃあな!」とだけ告げて人混みに消えていった。
「……名前も聞いてないんだが」
残された俺は、ぽつりと呟く。
そのとき、広間の奥から声が響いた。
「昇級式が始まるぞ!」
俺は慌てて声のする方――大広間へ駆け込む。
そこは天井が高く、光を反射する白い柱が整然と並び、どこか神秘的な雰囲気を漂わせていた。
壇上には、軍服を着た高官たちがずらりと並び、前には兵士たちが整列している。
一人、また一人と名前が呼ばれ、
「下級兵から中級兵になることを認める」
「中級兵から上級兵になることを認める」
と、次々に告げられていく。
「……なんだそれ」
俺が小声で呟くと、隣に立っていた黒髪で眼鏡の男が、待ってましたと言わんばかりに口を開いた。
「
「
「
「……なるほど」
説明を聞いて納得すると、眼鏡の男はふふんと鼻を鳴らし、いかにも得意げだ。
やがて、俺の番が来た。
「――ネフ=アシュトン下級兵を、中級兵とすることを認める」
その言葉が広間に響くと、場の空気が少しだけ重みを帯びた。
俺は前に出て、軽く敬礼し、静かに列へ戻った。
昇級式が終わり、人の波が大広間から外へ流れ出していく。
俺もそれに混じって歩きながら、ふと立ち止まった。
(……さて、これから俺は何をすればいいんだ?)
アレンを守る――その目標はもうない。
訓練を受けることはできるが、それだけじゃ心は満たされない。
そのとき、不意に女剣士の笑顔と声が頭に浮かんだ。
『お前んちの家賃、いない間ずっと私が払ってやってたんだからな!』
(……そういえば、家があるって言ってたな)
ネフ=アシュトン――俺が転生する前、この体を持っていた男。
そいつがどんな人間だったのか、俺はほとんど知らない。
「……行ってみるか」
小さく呟き、俺は歩き出した。
――第一章 終
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます