第03話 故障 ─止まる空調─
いつ空調が止まったかまでは分からなかった。だが、温度計は32度を示していた。
扇風機を回しつつ、床にへたり込んで額の汗をぬぐいながら、テスが言った。
「あぁ……このままだとやられる……何より私が干からびる……!」
その声を聞きながら、トミーはPCのファン音に意識を集中していた。
「……ヤバいな。このままじゃ、PCが壊れてしまう」
その返事にテスがぴくりと反応した。ジト目のまま、ゆっくりと顔を向けて、
「ちょっと、あんた……なに心配してんのよ? 私よりパソコン優先ってどういうこと!?」
言われて、トミーが真顔で振り返った。
「人間は水飲めば回復するけど、このPCは基板焼けたら復旧不能。データ消えたら任務も飛ぶんですよ」
その返事に、ぐぬぬ……と唸りながら、小声で
「……否定できないのが悔しい……ッ!」
と返した。トミーは内心舌を出した。
(これが「戦闘」担当のノヴァなら、『問答無用』で殴られて、俺の命はないな)
とりあえずトミーは、渋るテスから扇風機を預かり、PCに向け直す。
「これ、風量弱すぎて冷却補助にしかならないな。もうちょい工夫する」
空調の確認に取りかかったトミーが、微かに眉をひそめた。
「冷媒の循環が止まってる……電源は生きてるのに動かない。制御系か、内部漏れか……どっちにしても時間かかるな」
テスは顔をしかめ、額の汗を拭う。
「冷房のない密閉空間って……人間の尊厳が蒸発するのね……」
トミーは冗談交じりのその言葉に少しだけ眉を上げたが、すぐに周囲を見回して目を止めた。
「……あれ、古いデスクトップPC?」
壁際に放置された古びたタワー型PCを指差す。
「ちょっと分解してみる。たぶん、排気ファンが使える」
テスが思わず聞き返した。
「えっ、扇風機代わりにするってこと?」
トミーはすでに工具を手にしていた。
「12センチサイズなら風量もある。USBの5Vじゃ回転数足りないけど、昇圧ケーブルを持ってるから、風量もそこそこ出ると思う」
「昇圧って……そんなの使って大丈夫?」
「大丈夫。USBから電源だけ取って、間に昇圧回路挟む設計。12Vまで持ち上げられる」
外装を手早く外すと、冷却ファンが姿を現す。配線を切り出し、持っていたケーブルと接続をした。
「USBタップある?」
その言葉にテスはバッグをごそごそと探り、1本のケーブルを差し出した。
「これ……香港で買ったUSBタップ。『フリー電源対応』って書いてたけど……ちょっと怪しい」
渡されたのは中華製のUSBコンセント。AC100〜240V対応と書いてあった。
「ファン動かすくらいならこれでいけるっしょ」
少し心配そうに見守るテスにトミーは軽く伝えた。
「万一焦げても、燃え広がる前に外せばいい」
「燃え……ちょっと、待ちなさいよ」
だが、テスの止めるのも聞かずに、昇圧ケーブルをタップに接続し、ファンの羽にそっと手をかざした。
ブゥゥン……という低く柔らかな音とともに、羽が回り始めた。ほんのわずかな風が、湿った空気をかき混ぜる。
「風、出てるな。悪くない。けど、このままじゃ対流しないか」
トミーはすぐに次の段取りに入った。
「風を回すだけじゃ意味がない。排気先を確保しないと空気がこもるからね」
「じゃあ、どこに逃がすの?」
テスが様子を見守りながら尋ねてきた。
トミーは無言でカウンター奥の通路を抜け、かつてのバックヤードへ。酒瓶の空き箱、破れた段ボール、湿気にやられたラックの奥に──見覚えのある通気ダクトを見つけた。
「ここだ。排気用のダクトが生きてれば、空気を逃がせる」
「使えるの? それ」
「元は酒の冷気逃がすための換気口だったけど、今はただの空洞ってとこか。でも、繋げられる」
ツールバッグからアルミテープと、古いポリカ板の切れ端、スパイラルダクトの残材を取り出す。PCファンの背に即席で接続。風向制御用に、棚板の裏材を切って簡易導流板にする。
「よし。これで空気を後方に押し出せる。次は冷却だ」
彼の視線が向いたのは、隅に置かれた業務用製氷機。中の氷は溶けかけているが、冷気はまだ感じられた。
カウンター下の発泡スチロール箱に氷を詰め、天面に吸気口と吹出口をナイフで開ける。先ほどのファンを今度はそこに移設する。
「簡易冷風扇。見た目はアレでも効果はある」
「まるで秘密基地にある自作装置みたい……」
テスが呆れ顔で笑うと、トミーも少しだけ笑った。
冷えた空気が静かに流れ出し、バックヤードを通じて室内を循環し始める。
わずかながら、空気が動いた。熱気が抜けていく。呼吸が楽になる。
「……人間らしさが、少し戻った気がする」
「蒸発しかけた人間性を、ファンで回収したわけだね」
ふたりはしばし無言のまま、その微かな風の音に耳を澄ませた。
「これで部屋の奥から前に風を送りつつ、強制排気。熱だまりを潰せば、温度は徐々に下がる」
流れてきた風に、テスはゆっくりと顔を向けた。地下の密閉空間で、それは確かに“生きた空気”だった。
「……やば、風……文明の風って……こんなに尊いの……」
彼女の目がほんの少し潤んで見えた。トミーは肩をすくめて言った。
「そうだね。これでPCも助かったし」
「……それ、私の後に言う?」
◇
小さな風が回り続ける中、室内の空気がゆるやかに動き始める。汗の乾きが少し早くなってきた。
テスは風を受けながらつぶやいた。
「ほんと、旧型PCと扇風機で空調を作るスパイなんて、聞いたことないわよ……」
トミーは平然と答えた。
「聞かれる前に使い倒すのが俺たちだからな」
「機械」担当のトミーに中ば呆れながらも、
「……この任務終わったら、エアコンのある国に派遣願い出していい?」
と冗談を言った。トミーは依然とぼけた顔のまま
「それより、冷却効果のある素材スーツを試作するのが先かもな」
と返事をすると、テスは笑いながら言った。
「そこは暑さを避けるって発想にはならないんだ」
あはは…と、声を出して笑ったテスにトミーは少しほっとしたのだった。
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