第三京浜編・4・アドレナリン
比丘尼師匠への報告を終え、陽介と朽木は、プリウスで第三京浜道路へと戻るため、横浜新道に入った。夜織は往路と同じくRZ-250Rで追走。
横浜新道上り車線。FUMをオペレーションしていた陽介が、異常に強い想子力場の変動に気づく。
「朽木さん、なんか妙に強い反応が前方にあります。」
「怪しいな、追いついてみる」
アクセルを踏むが肉眼ではまだ目視できない。
そのとき、朽木が突如、強烈な精神干渉の波に襲われる。
「う、ぐっ……!」
彼の脳裏に、高速で疾走する車の破片、悲鳴、そしてアドレナリンが沸騰するような、死へと誘う狂おしい衝動がフラッシュバックする。視界が歪み、左手で握るハンドルに力が入りすぎる。
(くそ……これが、例の……!私の精神にまで……!)
霊的な感覚で、相手の存在を感知し、見据える。
そのとき、むき出しのアメリカンV8エンジンが脈打ち、禍々しい炎を宿した巨大な光の車輪が回転し、半壊した車体の一部が浮遊する妖怪の本体が姿をみせた。
エンジンからは咆哮のような轟音が響き、周囲に焦げ臭い熱波を撒き散らしている。
(あれは……『
鳥山石燕の妖怪画にも描かれた、人の魂を喰らうという『
朽木はあえて念を込め、己の存在感を、
朽木の脳裏に、若き日の記憶が鮮明に蘇える。
――それは、深夜の東名高速。まだ健常な肉体を持っていた朽木が、チューニングされた愛車を駆り、仲間と共に「バンザイラン」と称される公道レースに興じていた日々だ。エンジンの唸り、タイヤの軋み、そして死と隣り合わせの興奮。アドレナリンが全身を駆け巡り、恐怖すら快感に変わるあの感覚。
羅刹輪が放つ精神干渉は、まさにその「狂気的な興奮」を思い出させるものだった。朽木はその波に呑まれるのではなく、久々の喜びを携えて自らその波に乗った。
「ふっ……くくく……はっはっはっは!」
朽木は、狂気に満ちた、しかしどこか楽しげな笑い声を上げた。
(まさか、こんな形で「あの頃」を思い出させられるとはな……! よかろう、望み通り、相手をしてやるぞ、羅刹輪!)
「朽木さんっ!?」
助手席の陽介が、その異変に気づき叫んだ。朽木の運転は、常識を逸脱していた。
彼の目には、もう狂気も混乱もない。あるのは、若き日の「走り屋」としての本能と、怪異を「駆逐する」モノノフの冷静な意志の融合だった。
プリウスの速度計は法定速度を優に超えた。
車内は急激に焦げ臭い匂いが漂い始める。羅刹輪の霊的な影響が、電気系統にも及んでいるのだ。
羅刹輪は、朽木のプリウスに並びかけると、強烈な精神干渉の波を叩きつけた。
(……お前ならわかるだろう、魂を燃やせ! ぬるく惰性で生きるお前など、死んでしまえ!)
脳内に直接響く声。それは、無数の怨念が混じり合ったものだが、その核には、かつて「最速」を求めていた者の狂気が宿っていた。
メーターの針は、見たこともない速度を指し、車内は電気系統がショートする焦げた匂いと、タイヤが焼けるゴム臭さで充満する。
視界の端には、煌々と輝く羅刹輪の光の車輪。それはまるで、地獄へと誘う門のようだった。
(もっとだ! もっと速く! 俺が到達した高みへ、お前も来い!)
――陽介の隣で、朽木は羅刹輪の精神干渉をはねのけながら、巧みなハンドル捌きでプリウスを操っていた。羅刹輪は、プリウスが自分から逃げようとしないことに驚いたかのように、より強い精神干渉を送り続ける。
「なんだ、このイメージ」
陽介はFUMに表示される羅刹輪の想子力波形と、朽木の身体から発せられる霊力の波形を分析していたが、羅刹輪が放つ精神干渉が助手席の陽介にも波及し、はるか過去の出来事、メーターが307.69km/hを記録する幻影、そして事故の瞬間の破滅的な衝動を見る。
「……最速に魅入られた者の執念が、この妖怪の核となっている」
朽木が呟いた。彼の目は、羅刹輪の本体を見据えている。
朽木の脳裏に、もう一つのイメージがフラッシュバックした。それは、戦国時代の小机城。敗走する兵士たちの怨嗟の声、そして無念の死を遂げた者たちの魂が、地に深く沈んでいく光景だ。
「…ッ! そうか……貴様は小机城址での過去の戦いの怨念をも吸収し、その『破滅への加速』を求めていたのだな……!」
羅刹輪は、高速道路を走るEVのドライバーを精神操作し、エコカーという「遅い」存在を、自らが到達した破滅の領域へと引きずり込もうとしていた。そして、その根底には、「速さへの執着」だけでなく、この地に宿る「過去の戦いにおける、目的を達せず死んでいった未練と無念の魂」までもが溶け込んでいるのだ。
羅刹輪は、さらに咆哮を上げた。呪いを受けたようにプリウスの制御系統に異常が生じいくつもの警告が画面に表示される。
「ぐぅ……!」
プリウスはタイヤをロックさせ、制御を失い、路肩へと突っ込む。ガードレールとこすれ金属が軋む嫌な音。車体がスピンし浮き上がる。
「朽木さんっ!」
陽介の叫びが響く中、朽木が逆ハンドルを切る。
後方から黒い糸が何本も射出され、網のようにプリウスの車体のそこかしこに粘りついた。ガードレールや高架の柱に無造作に絡められた糸は、引きちぎられながらも車体の衝撃を和らげる。プリウスは後方を向き、路肩に停止した。
羅刹輪は嘲笑うかのような情念を朽木に残し、走り去っていった。
後ろの黒いライダースーツの女性――夜織が、RZ-250Rにまたがりつつ怒鳴る。
「危ねえじゃありんせんか、枯れ木ジジイ! 陽介まで巻き込んだら許さねえからね!」
夜織の廓言葉が、緊急事態の緊張感を一瞬だけ和らげる。
プリウスはあちこち車体を破損させていたが、朽木と陽介は夜織の糸のおかげでことなきを得た。
朽木は、羅刹輪が去っていった高速道路を睨みつけた。
「まさか、ここまでやられるとはな……。だが、奴の正体は掴んだ。あの男の執念が核となって羅刹輪を動かしている」
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