再起動とガラス玉

 図書館を出た後、陽介と琴音は、荒蜘蛛との戦いの現場である小机城こづくえじょうの奥地へと向かった。陽介は、バイト先の骨董屋で売り物にならないと言われた傷だらけのスマホを百円で引き取り、壊れたスマホにの自作アプリを移植、簡易的な観測デバイスとして使っていた。CMOSベースで帯域は狭いがあるがカメラユニットのフィルタを剥がして可視光線外の電磁波を多少なり受光できるようにしている、目的は、あの「荒蜘蛛」の残滓から、何か新たなデータが得られないか、というものだった。


「あの荒蜘蛛、本当に消えたんだな……」


 陽介が周囲の可視光線外映像をできるかぎり撮影する。破壊の跡はのこるが、荒蜘蛛の残滓はほとんどなく、空間は平穏を取り戻しているようだった。しかし、彼のスマホのディスプレイに、微弱ながらも奇妙な反応が映し出された。


「琴音さん、見て。なにか、画像に揺らぎがある。荒蜘蛛本体とは違う……微弱な反応だけど」


 陽介が指差す先、荒蜘蛛の胴体があった場所のすぐ近くに、それはあった。

 陽介と琴音が茂みをかき分けると、そこに横たわっていたのは、女性だった。


 複眼ではない。人と同じ二つの眼は閉じられ、ボロボロの着物も長い髪も、まるで彫像のように、真っ白な石と化していた。呼吸もない。

 石に触れてみると意外にザラザラして脆そうな感触だ。


 しかし、陽介のアプリは、その石化した身体から、微弱ながらも確かに想子力場の反応を捉えていた。


「これって……荒蜘蛛の人間だった部分か!?」


 陽介が思わず声を上げた。


「本体は消滅したのに、人間部分だけが石になって残ってる……? なんか、バグったプログラムが、Core吐いたみたいな感じだな……」


 陽介はアプリの映像を食い入るように見つめた。簡易なデバイスなので、あまりはっきりとは映らないが、石化した女性の彫像から発せられる想子力場のパターンは、荒蜘蛛のそれとは異なり、どこか静かで、しかし不可解な法則性を持っていた。


「待てよ……このパターン……どこかで見たことがあるような……」


 陽介の頭の中で、図書館で見た『易経』のページがフラッシュバックする。六十四卦。その中の一つに、このパターンに酷似した卦があったはずだ。


「琴音さん 『地雷復』の卦と、『風山漸』の卦の卦象と意味、教えて。」


 陽介は興奮して琴音に尋ねた。


「え? 『地雷復じらいふく』卦象は底だけがある、こんな。」


 琴音は地面に木の枝で「䷗」の卦象を描く。


「『回復』『再生』を意味する卦よ。一度失ったものが元に戻る、みたいな。」


 次いで「䷴」を描いて説明を続ける。


「で、『風山漸ふうぜんざん』は『漸進』『発展』。ゆっくりと進み、成長していく……で、卦象は凱旋門みたいな。」


 琴音が答えると、陽介の顔に閃きが走った。


「うーん、推定だけどパターンは、『000001』と『110100』がランダムに出てる感じ。連続で複雑に絡み合った状態。 たぶん、この石化した状態は、プログラムが強制終了した後の『休止状態』。この卦流して整理すれば、もしかしたら……再起動できるんじゃないか!?」


 陽介は、興奮を抑えきれない様子で、簡易デバイスのインターフェースに、覚えたての卦のパターンを打ち込み始めた。


「琴音さんも想子力場を流し込んでくれないかな、このデバイスだけじゃ心もとなくて」


「え!? 九条くん、大丈夫なの、アラクモが蘇ったりしない?」


「大丈夫。あいつのパターンとは全く違う。このバグ、デバッグできそう。」


 陽介のただならぬ気迫に、琴音は戸惑いながらも、彼の隣に跪いた。掌を石化した女性の額にかざし、集中する。琴音の全身から、淡い光が溢れ出し、それが女性の身体へと流れ込んでいく。陽介は、デバイスを女性の胸に押し当て、スイッチを入れた。


「地雷復!」「 風山漸!」


 陽介と琴音の声が重なる。


ビシッ


 簡易デバイスの画面に亀裂が走る。


 その瞬間、石化した女性の身体が、微かに震え始めた。白い石の表面に、亀裂が走り、瞬く間に全身に広がり、パリン、と音を立てて砕け散った。

 服だった箇所も含め石化していた表面の破片が散らばる中、そこに横たわっていたのは、完全な裸体の女性だった。

 艶やかな長い黒髪が、雪のように白い肌に張り付き、ふくよかな胸を隠している。その曲線美が陽介の視界を埋め尽くす。


「ふぁ……あ……」


 女性はゆっくりと目を開けた、陽介は間近に見る艶やかな女性の肢体に目を奪われる、視線は女性の顔から首をなぞり、徐々に下に下がっていく。透かしてみたいのはその髪の毛で隠された膨らみの上だ、そして臍からさらに下に視線を動かす。


(う、うわああああああああっ!? 全裸!?)


 心拍数が上がりまばたきもできない。なんて、なんてすごい造形なんだ。

 思春期の少年にとって、あまりにも刺激が強すぎる光景だ。


(なんだなんだ、この生きる彫刻は!?)


 思考は一瞬で臨界点を超え、頭の中のCPUがオーバーヒート寸前だ。慌てて視線を逸らすも、脳裏には焼き付いたかのように、ランダムに配置されたはずのパーツ一つ一つが、黄金比に基づいているかのような錯覚さえ覚える。


 陽介の目は、泳ぎまくる。


「くくく九条くん!! なに見てんのよ!!」


 琴音が悲鳴のような声を上げて、脱いだ制服のブレザーを目覚めた女性の身体に慌ててかぶせた。


「みみみみ 見てない! 全然見てないって! すごくすごいすごさで、ただ、その……目のやり場に困ると言うか……!」


 しかし、ブレザー一枚では、その豊満な身体を完全に隠しきれるはずもない。


 女性は、状況を理解していないのか、ただぼんやりと二人を見つめている。彼女の瞳には、かつての荒蜘蛛のような邪悪な光はなく、ただ純粋な、しかしどこか虚ろな色が宿っていた。


「……ここ、は……あちき、は……?」


 か細い、しかしどこか高貴な響きを持つ声が、森に響く。陽介は、目の前の現実に再び混乱しながらも、咄嗟に頭を働かせた。


「あの、服……。いや、蜘蛛の糸巻き付けてチューブトップとかできないか?」


 陽介が言う、琴音も慌てて付け加えた。


「そうよ! 服! 服が欲しいわよね!? どうしよう、下着とか、緩めのワンピースとか、今すぐ取ってくる!?」


 陽介や琴音の慌ただしさとは対照的に、女性は常に冷静で、まるで騒動の外にいるかのように泰然としていた。ブレザーを脱ぎ少し会釈して琴音に返す。


 再び全裸となった女性は虚ろな瞳を陽介に向け、ゆっくりと細い人差し指を立てた。彼女の指先から、銀色の細い糸が、スルスルと吐き出され始めた。その糸は、彼女の意思に従うかのように絡み合い、あっという間に、彼女の身体を覆うように、薄絹のような着物を編み上げていく。


 その様子を、陽介は呆然と見つめ、琴音は呆れと警戒が入り混じった目で睨んでいた。


「な、なんでもありかよ、妖怪……!」


 陽介の呟きに、夜織は細く白い指先で唇をなぞり、わずかに首を傾げる。その仕草一つが、抗いがたい魅惑を放っていた。


 自らを覆うため、瞬時に蜘蛛の糸で薄絹を編み上げる。その手慣れた、そしてまるで奇跡のような所作は、彼女が自らの力に絶対的な自信を持っている証だった。


「あちきは、はるか昔、妖怪に襲われたのでありんす。そしてそのまま、あやつの中におりました」


 女性は改めて陽介に微笑みかけた。その笑みは、どこか儚げで、そして……妖しくも蠱惑的だった。


「あちきを救うてくださったのですか」と、夜織は問いかける。その言葉には、感謝と同時に、彼を誘い込むような甘い響きがあった。


「あちきの名は夜織よおり。この身は、ぬしさまによって再びこの世に繋がれたもの。ぬしに捧げても惜しうない……ぬしさまのお役に立てるかもしれませぬ」


 夜織と名乗る女の視線が、陽介の全てを見透かすように深く、彼を絡めとるような妖気を放っていた。琴音は警戒するように陽介の腕を掴んだ。

 琴音は、硬い表情で、夜織を部屋に匿うと申し出た。


(陽介くんのところに行かせるのは、ぜったいダメ。)


 夜織はなにか悟ったか、琴音に安心しろと云うように少し微笑む。


「あちきは目覚めたばかりでありんすゆえ、現世うつしよがいかに変わったのかをこの眼で見聞し楽しもうとおもうておりんす。なあに暫くしたらまたここに戻ってまいりんす」


 そう言うと、山の下方に糸を投げた。彼方の岩に粘着した糸を使い、直線的に街のほうへものすごい速度で降っていった。その迷いのない、常識外れの行動は、彼女が人間とは異なる次元に生きる者であることを明確に示した。


 陽介と琴音は唖然としつつ、それを眺めている。


「スパイダーマン?」陽介がつぶやく


          ・


 夜織を「再起動」させた体験は、陽介に決定的な確信を与えた。


(やはり、想子力場はハックできる……! 荒蜘蛛を倒せたのも、偶然じゃなかった!)


 しかし、現状の『簡易デバイス』では、精密な解析も、強力な卦術の発動も不可能だ。彼は、より高度なデバイス、彼の理論を具現化する「符演算機(FUM)」の開発を固く誓った。そのためには、まず資金が必要だ。


 陽介は、数日ぶりにいつもの骨董品店でのバイトに入った。


「よお、陽介! 今日も張り切ってくれよな!」


 店主の気のいいおじさんが声をかけてくる。陽介は慣れた手つきで、埃を被った品々を磨き始めた。


 その日、店に持ち込まれたのは、古い木箱に収められた、くすんだガラス玉だった。特に目立った特徴もなく、埃まみれだ。店主は「たいした価値はなさそうだ」と呟き、陽介に掃除を命じた。


 陽介がその玉を手に取り、軽く磨いてみた、その瞬間だった。


 ドクン、と、陽介の心臓が強く脈打った。


 ガラス玉を凝視する。微かに、そして確かに、淡い光が瞬いた。


 陽介は慌てて、画面にヒビのはいったままの、簡易デバイスのスマホをその玉にかざした。ディスプレイに映し出されたのは、これまで見たことのない、極めて純粋で、そして強大な想子力場の反応だった。まるで、想子力場そのものが凝縮されたかのような、完璧な紫外線の「発光パターン」。


「こ、これ、は……!」


 陽介の手が直感で震える。この玉にはなんかある。彼の構想する「符演算機(FUM)」にとって「コア」となるパーツになりうるかもしれない。


「店長! この玉、いくらで買い取ったんですか!?」


 陽介の異様な剣幕に、店主は目を丸くした。


「ん? ああ、あれか? なんかガラクタ市で出てたやつで、千円もしなかったな。どうした、そんな変な玉に興味でもあるのか?」

「千円……!」


 陽介の顔に、希望の光が宿る。彼は自分のバイト代から、即座に千円を差し出した。


「店長! これ、俺が買います! 今すぐ買います!」

「お、おう。いいのか? そんなガラクタ……」


 店主は困惑しながらも、千円札を受け取った。


 こうして、陽介は、奇しくも「観測珠」を手に入れる。彼の脳内では、壊れたスマホの設計図が、この「観測珠」を組み込んだ、新たな《符演算機(FUM)》の構築へと、急速に再構築されていく。


(これで、オカルトの『バグ』を、デバッグできる……!)


 陽介の目は、新たな解析と創造への情熱に燃え上がっていた。

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