第14話 別れそして再会

 ユウノの夫鞍人くらひとが来た次の日、摩衣李は口数も少なく大人しくなってしまった。

 なのでいつもは賑やかな朝がまるで火が消えたようになってしまっている。


 摩衣李は間違いなく光属性の少女だ。明るく賑やかで常に場の中心にいる。

 保育園でもそうらしい。

「摩衣李ちゃんがいるとみんなが元気になるんですよ」

 と保育士さんも言ってくれる。


 それが今はその輝きが消えてしまっている。

 摩衣李の光を消してしまった責任は俺にある。

 摩衣李にとって俺がどういう存在なのか、摩衣李がどれだけ俺との結びつきを大切に思ってくれているのか、俺は深く考えていなかった。


(摩衣李の気持ちをしっかり受け止めなきゃだよな)


 とはいえ、ここは無理に話をさせるのもどうかとも思った。

 なので、俺も摩衣李に合わせて静かに接するようにした。


 その日のうちに会社に頼んでしばらくは時短勤務にしてもらった。

 摩衣李と過ごす時間を少しでも増やしたかったのだ。


「明日からしばらくは俺も摩衣李の送り迎えをするからな」

 その日の晩に俺は摩衣李に告げた。

 それを聞いた瞬間、摩衣李の顔がぱぁっと明るくなった。

 だが、すぐに俯き加減になってしまい、

「……うん」

 と、摩衣李は小さく答えた。


 次の日の朝、相変わらず口数は少ないものの、摩衣李にソワソワするような素振りが見られた。

 どうやら少しは気持ちも明るくなり始めたようだ。

 だが油断は禁物だ。ここで無理に話しをしようとすれば、また摩衣李を傷つけてしまうかもしれない。


 俺とユウナに挟まれて歩く摩衣李は足取りも軽そうだ。

 時折摩衣李がチラチラと俺の方を見上げる。

 俺はその度に軽く笑みを返した。

 摩衣李はハッとしたような表情になってすぐに目をそらしてしまう。


 保育士さんに摩衣李を預けると、

「また夕方に迎えに来るからな」

 と摩衣李の目をしっかりと見て俺は言った。

「……うん」

 照れくさそうにしながら摩衣李が答えた。


 夕方に迎えに行くと、一日友達と遊んだからか摩衣李はほぼいつものように明るく元気な表情に戻っていた。

「じゃあ、帰ろうか、摩衣李」

 俺が手を差し出すと、

「うん」

 まだ照れくさそうではあったが摩衣李は笑顔で俺の手を握った。


「……おとうさん」

 歩き始めてしばらくすると摩衣李が小さな声で俺を呼んだ。

「なんだ、摩衣李」

「おとうさん……あたしのこときらいになってない?」

「何を言ってるんだ、俺は摩衣李のことが大好きだぞ!」

「ほんと……?でも……」


(ここはめちゃくちゃ大事なところだ!絶対に間違えるんじゃないぞ、俺っ!!)


 俺は集中力をフルパワーにして、ゆっくりと摩衣李に聞いた。


「でも、なんだ?」

「あたし……たくさんないちゃって……おとうさんをこまらせちゃったから……」


「!!!」

 俺はその場で立ち止まってしまった。


「おとうさん……?」

 摩衣李が呼ぶ声が聞こえる。

 だが俺は摩衣李を見ることができなかった。

 いきなり涙があふれ出てきてしまったからだ。


(なんていい子なんだ……なんて優しくて賢くて情が深い子なんだ……!)


 涙は止まるどころか、なおも奔流となって俺の顔をぐちゃぐちゃにした。


「ご、ごめんな摩衣李、俺も泣いちゃったよ……こ、これじゃ俺が摩衣李に嫌われちゃうなーーはは……」

 俺はハンカチを出して顔を拭いた。横にいるユウノを見ると、彼女も微笑みながらも涙を流していた。

(アンドロイドでも涙が出るんだな……)

 なんてことを泣きながらも思った。


「あたしきらいにならない」

 摩衣李はそう言って俺の手を握った。

「おとうさんがたいすきだから」

 真剣な顔で俺を見上げて摩衣李が言った。


(やばいやばいまた涙がぁああーーーー!)


「あ、ありがとう、摩衣李」

 そう言って、俺は摩衣李を抱き上げた。

「お、俺も摩衣李がだ、大好きだ!」

 涙で顔をぐちゃぐちゃにして鼻をすすりながら俺は言った。


「おとうさんないちゃったからふいてあげる」

 そう言って摩衣李はポケットからハンカチを出して俺の顔を拭いてくれた。

「おお、ありがとうな。でも少し湿ってるな。摩衣李も泣いちゃったのか?」

「ううん、きょうはないてないよ、さっきおはなをちーーんしたの」

「そうかそうか、おはなをちーーんしたのかーーははは!」



 その日の夕食の頃には我が家にいつもの明るさが戻ってきた。

 だが、ユウノ夫婦が摩衣李を引き取る話はまだしないでおいた。


 次の日も朝と夕に摩衣李の送り迎えをした。

 その頃には摩衣李はすっかり元通りの明るく元気な子に戻ってくれた。


「なあ、摩衣李。この前のお話をしてもいいか?」

 俺は夕方の帰り道で摩衣李に問いかけた。

 さりげなく言ったつもりだったが、内心はドキドキである。


 摩衣李は歩みを止めて俺を見上げた。とても不安そうな目で。


「大丈夫だ、摩衣李が嫌ならしないよ」

 俺は安心させようとして言った。


 摩衣李は肯定とも否定ともつかない素振りをした。

 そして、俺に向かって両手を差し出して言った。

「だっこ……」


 俺は摩衣李に笑みを返して抱き上げた。

「お話ししてもいいか?」

 俺は摩衣李に小さな声で問いかけた。

「……うん」

 摩衣李も小さな声で答えた。


 一呼吸置いてから俺は聞いた。

「この前来た男の人に、会ってくれるか?」

「……うん……いいよ」

 躊躇とまどう様子ながらも摩衣李はそう答えてくれた。

「ありがとう、摩衣李」

「うん……」

 摩衣李はそう答えてギュッと俺にしがみついた。


(ありがとう……)


 またしても涙が出てきそうになったので、俺は急いで空を見上げた。



 数日後に再び鞍人がやって来た。

 摩衣李に嫌がっている様子はなかった。

 だが照れくさかったのか、俺の後ろに隠れている。


「こんにちは、摩衣李ちゃん」

 鞍人は屈んで摩衣李に挨拶をした。

「……」

 摩衣李は俺の後ろに隠れたままで答えない。


「摩衣李」

 俺は摩衣李の肩にそっと手を載せて、

「ご挨拶できるか?」

 と、静かに聞いた。

「…………うん」

 摩衣李が小さな声でぽそりと答えた。

「ありがとう、摩衣李ちゃん」

 鞍人が穏やかに微笑んで言った。


 摩衣李は恥ずかしそうにもじもじしながら、

「……こんにちは」

 と、小さく答えた。

 俺はそんな摩衣李の肩を柔らかく、そしてしっかりと抱き寄せた。


(やっぱり摩衣李は最高だ……!)


 その日は話らしい話ができたわけではなかったが、摩衣李と鞍人の心理的距離は近づいたと思う。



 次の日からはユウノと鞍人が摩衣李の送り迎えをするようにした。

 こうやって少しずつ俺が引いていけば鞍人と摩衣李の距離も近づきやすいと思ったからだ。


「摩衣李と鞍人さんは、どうですか?」

 数日してユウノに聞いてみた。

「はい、最初の頃よりも随分と話すようになりました。摩衣李さんも笑うことが多くなりましたし」

「そうですか、それはよかった」

 送り迎えで仲良し作戦はうまくいっているようだ。


 そうしているうちに、ユウノがそれとなく一緒に暮らす話しをしてみたようだ。

「摩衣李さんは「いいよ」と言ってくれました」

 とユウノが話してくれた。


(俺のお役御免の日も近いな……)



 そして摩衣李の引っ越しの日がやってきた。

 その日の朝も摩衣李はいつもどおり元気いっぱいだった。

 直前になってぐずるんじゃないかと心配したが、俺の杞憂だったようだ。


 「住むところは運営会社のすぐそばのマンションの一室を借り上げてもらっています」

 と鞍人が教えてくれた。


 荷物は摩衣李の物だけなので積み込みはすぐに終わった。

 いよいよお見送りの時だ。


(摩衣李、いきなり泣き出したりしないよな……)

 俺は心配でならなかった。


 摩衣李はユウノと手をつないで車に乗ろうとしているところだ。

 摩衣李が振り返った。

 そしてユウノの手を離すと、タッタッタと俺の方へ駆けてきた。


(ダメじゃないか摩衣李、もう出る時間だぞ……)

 俺はこれが最後と思い父親らしく振る舞おうとした。


 駆けてきた摩衣李が俺に抱きついた。

 そして俺を見上げて言った。


「おとうさんあたしがいなくてもないちゃだめだよ」


 妙に大人びた口調だ。


(何を言ってるんだ、摩衣李は……)


「はいハンカチだよ」

 摩衣李が手にしたハンカチを俺に渡してくれた。


(え……?)


 そうなのだ。摩衣李が泣かないか心配だなどと言っておきながら、泣いていたのは俺だったのだ。


「またあそびにくるからなかないで、おとうさん」


 そう言ってもう一度俺にギュッと抱きつくと、摩衣李はユウノと鞍人が待つ車に駆けて行った。


 俺は車が見えなくなるまでずっとその場で動かなかった。

 手に摩衣李が渡してくれたハンカチを握りしめながら。




(なんだか部屋が広く感じるなぁ……)


 一人ぽつんとダイニングにいる寂寥感せきりょうかんがハンパない。


 俺にとって摩衣李の存在がいかに大きかったか、今更ながら思い知った。


 摩衣李が来てからの四年間の出来事が頭に浮かんでくる。

 勿論大変ではあったが、嬉しく楽しいことばかりだった。

 摩衣李が俺に生きる意味を与えてくれていたと言っていい。


(これからはどうすっかねぇ……)


 などと思っていると腹の虫が騒ぎ出した。こんな時でも腹は減るものなのだと改めて実感した。

 窓の外を見るとすっかり暗くなっていた。


(牛丼でも食いに行くか)


 アパートの部屋を出て道に足を踏み出した時、一人の女性が立っているのに気がついた。


(……え?)


 暗さのせいで見間違ったのかと最初は思った。

 だが、その女性はちょうど街灯の明かりが当たる場所に立っている。

 ハッキリと見知った顔が見えた。


 緋之原あけのはら菊菜きくながそこにいた。

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