第25話 本当の自分は、正体じゃなくて想いのこと

 白峰と別れたあとも、悠の胸の奥はざわざわと落ち着かなかった。

 秋の夕暮れ、校舎の窓から差し込む光が廊下を長く染める中、彼女の言葉が何度も反芻される。


(……“わたしが先に味方になる”……か)


 そのまま寮に戻るには、まだ気持ちが整理できなかった。


 足が自然と向かったのは――静かな図書室。

 本棚の間に漂う紙の匂いと、かすかなページをめくる音が、さっきまでの緊張を少しだけほどいてくれる。


 やがて、どこからか一冊の本がぱたんと閉じられた音が響いた。

 その音の主――白峰は、夕陽を背に穏やかに微笑んでいた。


「また会ったね、さっき、“秘密”を知っていても、私はあなたを信じる。……そう言ったの、覚えてる?」


 白峰の言葉に、悠の瞳が見開かれる。


「……あのときの言葉、すごく……救われました」

「救うつもりじゃなかったの。ただ、伝えたかっただけ。

 あなたの“嘘”を責めるより、あなたの“本心”を、信じてみたかったから」


(……まっすぐだ。この人はいつだって、怖いくらいまっすぐ。でも、ちゃんとあたたかい)


 しばしの沈黙。

 悠は指先で机の縁をなぞりながら、そっと問いかけた。


「……でも、今でも怖いんです。

 このままみんなに好かれても……“騙してる”みたいで……」

「それなら、嘘をやめればいい」


 樹里の言葉に、悠の瞳が見開かれる。


「えっ……で、でも……わたし、正体を明かすって、そんな……」

「違うの。あなたが“本当の自分”を見せるって、必ずしも“正体”を晒すことじゃないのよ」


「……?」


「“自分がどうありたいか”を、ちゃんと相手に伝えること。嘘を守るんじゃなくて、“想い”を守るの。

 あなたが誰かに、“このままのわたしでいていい”って言えたとき――その時から、あなたは本当に“恋”をしていいのよ」


 その言葉が、悠の胸の奥に、静かに届いた。

 とても、優しくて。

 でも、とても、強い。


(わたし……ずっと、守られるばかりだった。

 でも、本当はずっと、言わなくちゃって……自分で、ちゃんと……)


「……ありがとう、樹里」

「呼び方、変えたわね」

「えっ……あ、無意識で……!」


「“樹里”でいいのよ。もう、あなたは“風紀違反者”じゃないんだから」

 そう言って笑う彼女の横顔は、どこか寂しげで、どこか誇らしげだった。

 まるで、遠い昔に失ったものを、ようやく誰かに手渡せたような。


(――この人の言葉で、わたしは、逃げずに済んだ)


 ◆


 その夜。

 寮のベッドの中、悠はスマホの画面をぼんやりと見つめていた。


「“言いたいこと”を言うって、どうすればいいんだろう……」


 メッセージアプリを開く。

 そこには――打っては消した“未送信の言葉”たちが並んでいた。


 ごめんね、正体を隠してて

 ほんとは、わたし――男の子なんだ

 でも、みんなのこと、ちゃんと好きで……


(……まだ、言えない。だけど、伝えたい気持ちは、本物なんだ)


 そっとスマホを閉じて、目をつむる。

 胸の奥に宿ったあたたかな想いが、ゆっくりと形になっていく。


「……明日、わたしから――ちゃんと、話してみよう」


 思い浮かんだのは――文化祭の舞台で、自分の手を強く引いてくれた、あの人の顔だった。

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