第1章:ブラック企業を辞めた俺、神様からチートスキルを授かる

「――本日をもちまして、一身上の都合により退職いたします。短い間でしたが、お世話になりました」


 誰に聞かせるでもなく、俺、白石悠斗(しらいしゆうと)、二十八歳は、空になったデスクに頭を下げた。過労、パワハラ、鳴り止まない電話。そんな日常に心身ともに削られ、ついに限界が来たのだ。商社マンとしてのキャリアを捨て、しばしの休息を得る。そう、そのはずだった。


 会社を後にし、解放感に浸りながら自宅アパートへの道を歩いていると、足元がおぼつかなくなる。視界がぐにゃりと歪み、強烈な浮遊感に襲われた。

「うわっ……!?」

 貧血か? いや、そんなレベルじゃない。まるで、巨大な掃除機に吸い込まれるような感覚。次に意識が戻った時、俺の目の前に広がっていたのは、見慣れたアスファルトの道ではなく、どこまでも続く広大な原野だった。

「……どこだ、ここ」

 見上げる空は二つの月が浮かび、耳慣れない獣の遠吠えが聞こえる。明らかに、日本じゃない。いや、地球ですらないかもしれない。

 混乱する俺の視界の端で、巨大な狼のような生き物がこちらを睨みつけている。鋭い牙、血走った目。間違いなく、俺を獲物として認識している。

「嘘だろ……」

 退職初日に、異世界で魔物に食われて死ぬのか? 俺の人生、どんだけハードモードなんだ。

 絶望が思考を塗りつぶそうとした、その瞬間。脳内に、直接声が響いた。


 《条件を満たしました。ユニークスキル【次元倉庫】および【往還の門】を付与します》


「は……?」

 次の瞬間、俺の頭の中に、スキルの使い方が流れ込んでくる。

【次元倉庫】:思考したものを格納、取り出しが可能な亜空間。容量はほぼ無限。時間経過は停止する。異世界・現代どちらの物資も格納可能。

【往還の門】:現代日本と異世界を繋ぐゲートを、任意で生成・消滅させることができる。座標は最後に通過した場所が記憶される。


 理解が追いつかない。だが、直感的に分かった。これは、とんでもないチート能力だ。

「グルルルル……!」

 狼が地を蹴り、猛然と突進してくる。時間がない!

 俺は、震える手でポケットを探った。中には、さっきまで会社で使っていたボールペンと、キーホルダー代わりの十円玉。

「スキル、【次元倉庫】! これを、格納!」

 そう念じた瞬間、手の中にあったボールペンと十円玉がフッと消えた。そして、頭の中のイメージとして存在する『倉庫』の中に、それがきっちり収まっているのが分かった。

 成功した! ならば――!

「【往還の門】、起動! 座標、自宅アパート!」

 強く念じると、目の前の空間がぐにゃりと歪み、黒い楕円形のゲートが出現した。ゲートの向こうには、見慣れたフローリングの床と、万年床になっている俺の布団が見える。

「おお……!」

 感動している暇はない。俺は狼に背を向け、ゲートへと飛び込んだ。背後で狼が何かにぶつかる鈍い音と、キャンという悲鳴が聞こえたが、振り返らなかった。


「はぁ……はぁ……はぁ……」

 見慣れた六畳一間のアパートに戻った俺は、その場にへたり込んだ。ゲートは俺が通り抜けると同時に、すうっと消えていた。

 夢じゃない。俺は確かに、異世界に行き、そして戻ってきた。

 汗だくのまま、俺はしばらく呆然としていたが、やがて腹の虫がぐぅ、と鳴った。そうだ、昼から何も食ってない。

 立ち上がり、冷蔵庫を開けるが、中身は空っぽだ。退職を決めてから、自炊なんてする気力もなかった。

 ふと、先ほど手に入れたスキルを思い出す。

 次元倉庫と、往還の門。

 いつでも、どこでも、二つの世界を行き来できる。

 そして、無限に物を運べる。

「……これって」

 元商社マンの血が騒ぐ。物流は、経済の血流だ。その血流を、俺は個人で、完全にコントロールできる。

 コストゼロで、二つの世界の商品を輸送できる。

 現代日本のありふれた品々が、あのファンタジーな世界ではどう受け止められるだろうか?

 逆に、あの世界の珍しい鉱石や魔法の道具は、こちらでどれほどの価値を持つだろうか?

「……これ、最強すぎないか?」

 俺は思わず、乾いた笑みを漏らした。ブラック企業での過酷な日々は、俺から多くのものを奪っていった。だが、その代わりに手に入れたのは、人生を一発逆転させるどころか、二つの世界すら変えかねない、とんでもない切り札だったのだ。

「とりあえず、腹ごしらえだ」

 俺は財布を掴むと、近所のコンビニへと向かった。これから始まるであろう、壮大なビジネスの第一歩は、腹を満たすことから始まるのだ。

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