赤坂田市再開発記録、あるいは■■■の兆候
シマシマ
第1章:発端
第1話 新企画:赤坂田市再開発と忘れられた記憶
忘れられた日本の足跡
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新企画:赤坂田市再開発と忘れられた記憶
カテゴリ: フィールドワーク , 現代民俗学 , 赤坂田市
投稿日時: 2025年8月3日
こんばんは。管理人の久坂部です。 東京では連日熱帯夜が観測され、寝苦しい夜が続きますね。皆様、いかがお過ごしでしょうか。
さて、本日はいつもこのブログを読んでくださっている皆様に、新しい調査企画をご報告したく、久しぶりに筆を執っております。博士課程の研究も少し落ち着き、この夏から本格的に腰を据えて取り組みたいテーマが見つかりました。
その名も、「赤坂田市再開発と忘れられた記憶」。
「再開発」と「民俗学」。一見すると、無機質な都市工学と、古めかしい伝承の世界。結びつきの薄い言葉に思えるかもしれません。しかし私は、現代日本で進められている大規模な都市開発や土地造成の現場にこそ、我々が記録すべき「土地の記憶」——すなわち、名もなき人々の生活の痕跡や、忘れ去られた信仰の断片——が眠っていると考えています。新しいものが生まれる場所では、必ず古いものがその姿を消します。その失われゆく声に耳を澄まし、記録に留めることこそ、現代に生きる我々民俗学徒の使命ではないでしょうか。
今回の舞台は、関東地方の沿岸部に位置する
市の公式な歴史によれば、この街が大きく発展したのは1970年代。高度経済成長の波に乗り、都心のベッドタウンとして、市の北部の丘陵地帯に大規模なニュータウンが造成されたことがきっかけです。しかし、それ以前の赤坂田市は、丘陵から染み出す鉄分を多く含んだ水で作られた湿地帯と、広大な水田が広がる、ごく静かな農村地帯でした。
私がこの土地に強く惹かれた理由の一つは、その地名にあります。 郷土史資料によれば、丘陵の土が酸化鉄を多く含む「赤土」であったこと、市内には起伏の激しい「坂」が多いこと、そしてかつては「田」が広がっていたこと。それが「赤坂田」という地名の由来だとされています。 しかし、民俗学的な視点から見れば、それは単なる地形の説明以上の意味を帯びてきます。赤は血や鉄、すなわち生命と死の営みを。坂は古語において「
その赤坂田市で今、市の未来を賭けた一大事業が進んでいます。 「赤坂田シーサイドニュータウン再生事業」。 造成から半世紀以上が経過し、建物の老朽化と住民の高齢化が深刻な問題となったニュータウンを取り壊し、新たな商業施設やタワーマンションを建設する、大規模な再開発プロジェクトです。市のウェブサイトは、CGで描かれた輝かしい未来予想図と共に、この事業の成功を力強くアピールしています。
しかし、こうした大規模な開発は、時に我々が忘れ去った土地の「記憶」を、意図せずして掘り起こしてしまうことがあります。古い建物の基礎の下に、アスファルトで固く蓋をされた地面の下に、一体何が眠っているのか。新しい街が生まれる喧騒の中で、どんな声が掻き消されていくのか。
これから私は、この赤坂田市に足繁く通い、文献調査と並行して、古くからこの土地に住む方々への
これは、一つの街が生まれ変わる記録であると同時に、その過程で失われ、あるいは「浮かび上がってくる」かもしれない、名もなき神話の探求です。
このブログでは、その調査の過程をリアルタイムで皆様にご報告していきます。もちろん、学術的な作法に則り、関係者の方々のプライバシーには最大限配慮するつもりです。
もし、赤坂田市にお住まいの方、あるいはこの土地の歴史や伝承について何かご存知の方がいらっしゃいましたら、どんな些細な情報でも構いません。ぜひ、当ブログのお問い合わせフォームからご連絡いただけると幸いです。
次回の更新では、早速行ってきた第一回現地調査の様子をお届けする予定です。 どうぞ、この新しい旅路にお付き合いください。
(久坂部 誠)
TAGS: #赤坂田市 #再開発 #現代民俗学 #フィールドワーク #都市伝説
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