第二章:『海援隊』ならぬ『青風商会』
リョウ・フォン・クライネルトとして目覚めてから、早五年が過ぎた。
俺は十五歳になり、この世界の情勢も、おおよそ把握することができた。
まず、俺の住むエルグランド王国は、貴族たちの権力争いで国力が大きく疲弊している。まるで幕末、各藩が互いに睨み合っていた日本そのものじゃ。特に、我がクライネルト公爵家と、南方を治める武闘派のヴァレンシュタイン侯爵家は犬猿の仲で、王国内を二分する勢力となっていた。
そして、その隙を虎視眈々と狙っているのが、東に位置する軍事大国、ガルバニア帝国だ。国境では小競り合いが絶えず、いつ本格的な侵攻が始まってもおかしくない。
「……どこも、やっとることは変わらんのう」
自室で世界地図を広げながら、俺はため息をついた。状況は、前世の記憶と照らし合わせても、あまりに酷似している。異世界と言えど、人の営み、国の動きに大差はないらしい。
そして、懸念していた姉、カタリナのことだ。
彼女は今年、王立学園に入学した。物語の舞台となる場所じゃ。王太子アルベルトとの関係は、今のところ可もなく不可もなくだが、彼が平民の少女、リリアに興味を示し始めているという噂も耳に入ってきている。
破滅の足音は、確実に近づいていた。
(悠長なことは言うてられん。動くなら、今じゃ)
だが、事を為すには金がいる。これは前世で骨身に染みて分かっていることだ。人を動かすにも、物を買うにも、船を造るにも、すべては金じゃ。
俺は決意を固め、父であるグスタフ・フォン・クライネルト公爵の執務室の扉を叩いた。
「父上、お話がございます」
「リョウか。入れ」
厳格な父は、書類の山から顔を上げた。この五年で、俺の奇行――突然剣術の鍛錬を始めたり、歳に似合わぬ書物を読み漁ったり――にも、父はだいぶ慣れたようだった。それでも、俺がこうして直談判に来るのは初めてのことで、少し驚いた顔をしている。
「して、話とは何だ?」
「単刀直入に申し上げます。私に、新しい商会を一つ、お任せいただけないでしょうか」
「……商会だと?」
父の眉が、ピクリと動いた。貴族の子息が、商売事に手を出すのはあまり感心されたことではない。ましてや、俺はまだ十五歳だ。
「何を考えている。お前はクライネルト家の次男。いずれは騎士団に入るか、領地の代官として私を補佐するのが役目だ」
「その領地を、国を守るためにこそ、金が必要なのです」
俺は臆することなく、父の目をまっすぐに見据えた。
「父上。我がクライネルト領の特産品である薬草『月光草』は、治癒薬の原料として王都でも高く取引されています。しかし、その栽培方法は昔から変わらず、収穫量も安定していません」
「それがどうした。昔からのやり方だ」
「そこに、改善の余地があります」
俺は懐から、数枚の羊皮紙を取り出した。そこには、俺がここ数ヶ月で書き溜めた事業計画書がびっしりと記されている。
「例えば、同じ畑で毎年同じ作物を作るのではなく、別の作物を間に挟む『輪作』という農法。これにより土地が痩せるのを防ぎ、収穫量を安定させることができます。さらに、薬草の成分がより濃くなる土壌の配合を研究し、品質そのものを向上させる。付加価値を付けた『特級月光草』として売り出すのです」
「……輪作?」
父が、初めて聞く言葉に目を見開く。
俺は続けた。
「販路も同じです。現状、王都の決まった商人に卸すだけ。それでは足元を見られます。私が商会を立ち上げ、新たな販路を開拓します。例えば、長年対立している南のヴァレンシュタイン侯爵領。あちらは鉱石資源が豊富ですが、良質な薬草は採れない。彼らとて、喉から手が出るほど欲しいはず。他にも、海を越えた西の小国連合にも販路を広げられます」
「ヴァレンシュタインだと!? 正気か、リョウ。彼らは我々と長年……」
「いがみ合っている場合ですか、父上!」
俺は声を強めた。
「東の帝国が、いつ牙を剥くか分かりません。このまま国内でいがみ合っていれば、共倒れになるのは火を見るより明らか。今は、利をもって彼らと結びつくべきです。商いは、そのための最も有効な布石となり得ます」
前世、薩長という仇敵同士の手を、わしは結ばせた。それに比べれば、貴族同士の喧嘩など児戯に等しい。
俺の熱弁に、父は押し黙った。厳しい顔で俺の計画書に何度も目を通し、深く、長く、息を吐いた。
「……お前は、いつの間にそんなことを考えるようになったのだ」
その声には、戸惑いと、そして微かな期待が滲んでいた。
「私は、ただクライネルト家と……姉上を守りたいだけです」
「……よかろう」
父は、ついに決断した。
「だが、条件がある。最初の資金は出してやる。だが、それで結果を出せなければ、即刻手を引け。いいな?」
「はい! ありがとうございます、父上!」
俺は満面の笑みで頭を下げた。
こうして、俺は父から初期資金を得ることに成功した。
商会の名前は、もう決めている。
『青風(せいふう)商会』。
坂本龍馬が作った『海援隊』は、風を読み、新しい時代の海を渡る船乗りたちの集団じゃった。
この『青風商会』も、異世界に新しい風を吹き込み、時代を動かす集団にしてみせる。
俺の、異世界での『海援隊』が、今、静かに産声を上げたのだった。
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