第2話 感情なき少年と、魂を繋ぐ指輪

 入学式が終わり、新入生たちはそれぞれのクラスへと案内された。


 ヒカルが配属されたのは、予科一組。教室に入ると、すでにほとんどの席が埋まっていた。皆、似たような緊張と期待の入り混じった顔をしている。


 ヒカルは、その他者とのコミュニケーションに意味を見出せなかったので、一番後ろの空いていた席に無言で腰を下ろした。


 これから始まる訓練は、主に三種類に大別される。

 一つ、座学。フォンテ理論、境界外存在の生態、機構の歴史などを学ぶ。

 一つ、身体訓練。戦士としての基礎体力を向上させるための、過酷なトレーニング。

 そして、最も重要なのが、実技訓練。自分専用のリングギアを使い、自身のフォンテを制御し、マテリアライズ・アームズ(物質化兵器)を形成する訓練だ。


(……合理的だ)


 ヒカルは、カリキュラムの内容に静かに満足していた。無駄がない。すべては、効率的に戦士を育成するためのシステムとして最適化されている。


 仲間、友情、絆。そういった非論理的な要素を差し引いても、この訓練校はヒカルにとって最高の研究環境だった。


 彼は、これから始まるであろう退屈な自己紹介の時間を、脳内でのフォンテシミュレーションに充てることに決めて、静かに目を閉じた。


 隣の席の生徒が、おずおずとこちらを窺っていることにも、もちろん気づかずに。


 ◆


 ヒカルが脳内シミュレーションに没入して数分後、教室の前方ドアが静かに開いた。

 すっと入ってきた人物に、それまでわずかにざわついていた教室の空気が、自然と静まっていく。


 そこに立っていたのは、一人の女性だった。

 髪色は、柔らかなショコラベージュの内巻きボブで、肩につかないくらいの長さ。


 セカンド部隊の制式な戦闘服をきちんと着こなしている。その佇まいからは、人を威圧するような硬さは感じられない。


 むしろ、その優しい目元と、ふわりと纏う柔らかいオーラが、教室全体の緊張を優しく包み込むようだった。年の頃は20代前半 。


 彼女の後ろから、もう一人、長身の男性が入ってくる。右目には眼帯がかけられ、その下の表情は窺い知れないが、星風隊出身という経歴が納得できるような、端正な容貌とどこか儚げな雰囲気を纏っていた。


 彼は何も言わずに教室の隅に静かに立つ。予科生担当教官補佐の大空カナタだ 。


「予科一組の皆さん、入学おめでとうございます。私が皆さんの担当教官を務める、セカンド部隊・舞姫班の舞姫まいひめコトです。一年間、よろしくお願いしますね」


 穏やかで、聞き取りやすい声だった。

 彼女が手にした端末を操作すると、教室の前方から自動でトレイが一つずつ生徒たちの机へと運ばれてくる。トレイの上には、マットな黒色の小さな指輪が一つだけ静かに置かれていた。


「まずは、それを利き手の人差し指にはめてみてください。入学前の身体測定で、皆さん一人ひとりのために調整された、専用の《リングギア》です」


 クラスのあちこちから、ごくり、と喉を鳴らす音が聞こえる。

 ヒカルも、目の前に置かれた小さな指輪をつまみ上げた。彼は左利きなので、左手の人差し指にはめる 。入学前に計測されたデータ通り、寸分の狂いもなく彼の人差し指にぴったりと収まった。


「皆さんがこれから扱う力は、自身の内にある魂のエネルギー――《フォンテ》に由来します 。でも、フォンテは本来、形のない純粋なエネルギー。それだけでは、戦うための力にはなりません」


 舞姫は、一人ひとりの顔を見ながら、ゆっくりと丁寧に説明を続ける。その指導に長けた様子は、若手隊員からの信頼が厚いという彼女の評判を裏付けていた 。


「このリングギアは、皆さんのフォンテを戦闘に利用可能な形へと変換するための、大切なパートナーです 。皆さんの魂と、世界を繋ぐ、唯一無二の鍵だと思ってください」


 彼女の言葉は、ヒカルにとって既知の理論の再確認でしかなかった。だが、他の生徒たちは、まるで魔法のアイテムを授けられたかのように、目を輝かせて自分の指輪を眺めている。


「フォンテには、色や量、性質といった個人差があります 。それは、皆さんの魂が、一人ひとり違う形をしているのと同じこと。リングギアを通して、まずは自分のフォンテがどんな色をしていて、どんな風に感じるのか、じっくり向き合ってみることから始めましょう。基礎が、何よりも大切ですから」


 舞姫がそう言うと、彼女自身の右手の人差し指にはめられたリングギアから、ふわり、と淡い桜色の光が溢れ、美しい蝶の形となってひらひらと宙を舞い、やがて消えた。


「おお……」と、感嘆の声が漏れる。


「このように、フォンテは使用者の特性を色濃く反映します 。これから皆さんは、自分のフォンテを正確に制御し、剣や盾、銃といった《マテリアライズ・アームズ》を形作る訓練を積んでいきます。――厳しい道のりになると思います。でも、皆さんにはその素質がある。だからこそ、ここにいるのですから。私が、責任を持って皆さんを導きます」


 舞姫はそこで一度言葉を切り、クラス全員の顔を慈しむように見渡した。


「皆さんの中には、まだ不安や戸惑いを抱えている人もいるでしょう。でも安心してください。――戦場を知る私たちが、必ずあなたたちを守ります。だから、最初の一歩を信じて踏み出してみましょう。」


 最後に、一番後ろの席で、ただ一人、何の感情も見せずに指輪を観察しているヒカルの姿を、ほんの一瞬だけ興味深そうに見つめていた。


 その視線にヒカルも気づいていた。

 だが、彼にとって重要なのは教官の評価ではない。


(……これが、僕のフォンテと世界を繋ぐもの)


 彼はただ、事実としてそれを受け止める。

 そして、指輪をはめた左手の人差し指に、意識を集中させた。

 指輪が、彼のフォンテの波長を読み取り、微かに、そして温かく脈動する。


 他の生徒が、フォンテの「色」や「形」という現象に心を奪われている中、ヒカルはすでに、その根本原理の本質に指先を触れさせていた。


 彼の特異な才能がそのベールを脱ぐまで、あとわずかの時間しか必要なかった。

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