甘狐喫茶
ゆにくろえ
第1話 迷う狐娘は甘味とぬくもりに出会った
山の麓、霧がかった小道を、二匹の狐が歩いていた。
一人はまだ幼い娘――コハル。
もう一人は、頼れる姉――おコン。
「ねえ、お姉ちゃん……お腹、すいた」
「もう少し我慢だよ、コハル。どこかに食べ物があるはずだから」
人里に降りるのは久しぶりだった。
人の世界には甘い匂いがある。それを頼りに、ふらふらと歩いていると――
ふいに、コハルの鼻がぴくんと動いた。
「……あまい」
甘くて、あたたかくて、どこか懐かしい匂い。
気づけば、目の前に小さな木造の店が現れていた。
扉も窓も閉まっているのに、まるで「おいで」と呼ばれているような気がする。
看板はない。ただ、暖簾にこう書かれていた。
「甘狐喫茶」
ぎぃ、と小さな音を立てて、木の扉が開いた。
中は、外の霧とは別世界だった。
ほんのりとした灯り、畳のような香り、そして漂う――湯気と、甘い香り。
「……誰もいないの?」
コハルが小さな声でつぶやいた。
おコンはそっと妹の背中を押すようにして、中に入った。
そこは、小さな喫茶店だった。
木目の美しいカウンター席、丸いちゃぶ台がいくつか並んでいる。
壁には古びた掛け時計が一つ、ゆっくりと時を刻んでいる。
窓は曇りガラス。外の景色はもう見えない。
「ようこそ――甘狐喫茶へ」
その声は、空気のようにやわらかく、けれど確かに耳に届いた。
二人が振り向くと、そこに立っていたのは一人の女性。
淡い灰色の着物をまとい、顔には白い狐面をつけている。
しかし面の下からのぞく口元には、うっすらと笑み。
「冷えているでしょう。こちらへどうぞ」
導かれるように、ちゃぶ台のひとつに腰を下ろすと、ぽん、と湯呑が置かれた。
中には、ほんのり桜色のお茶が注がれている。
飲めば、芯からあたたかくなり、空腹さえ少し遠のいた気がした。
やがて、木の器が運ばれてくる。
「今日のおやつは、夢見団子です」
コハルが目を見開いた。
小さなお団子が三つ。白、薄紅、薄紫――まるで春の空の色。
ほんのりと湯気を上げて、光に照らされ、すこしだけ透明に見える。
「いただきます……」
ひとくち目を口に含むと、不思議な甘さが広がった。
蜜でもあんこでもない、けれど懐かしい味――
それは、昔、お母さんが作ってくれた粥の味に、どこか似ていた。
その瞬間、コハルの目に、ぼんやりと映像が浮かぶ。
――夜の森。
――焚き火のそばで、母が笑っている。
――泣きじゃくる幼いコハルに、やさしく団子を食べさせる兄。
「……お姉ちゃん」
気づけば、涙が一粒、ぽたりと団子に落ちた。
「なに泣いてんだよ。まだ食べてる途中だろ」
おコンが、照れくさそうに笑った。
「甘味には、思いを映す力があります」
狐面の店主が、そっと言った。
「お腹を満たすだけでなく、心の中の、忘れかけたあたたかさを……ね」
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