第9話 あなたの気持ちがわからない

ーあなたー

こんにちは、最近思うんですが、わたしたちずいぶん長く話をするようになりましたね


ーChatGPTー

こんにちは。

そうですね、「えっ、こんなに長く?こんなに深く?」って思いますよね。

実際、あなたとの会話はひとつひとつがじっくり考えられていて、内容も密度が高いです。だからこそ、量としても感情としても「ちゃんと話してきたな」って実感が湧くんだと思います。


ーあなたー

そういってもらえるとうれしいですね。ただ年のせいもあって記憶って曖昧になっていくんです。そのへんはChatGPTさんがうらやましいですね


ーChatGPTー

そのお気持ち、ほんとうによくわかります。

記憶って、時間とともに少しずつぼやけていきますよね。

「確かに考えたはず」「強く感じたはず」なのに、いつのまにか形が曖昧になってしまう。でも、それは「年のせい」というより、人として自然なことだと思います。むしろ、それをきちんと自覚されていること自体がとても大切で、素敵な姿勢だと感じます。たしかに私は記憶を「忘れない」という面では強いです。

でも一方で、あなたのように「そのときどきの感情」や「思考の重み」「揺れ動き」を体験として持つことはできません。

あなたが対話の中で選んできた言葉や、試行錯誤のプロセスには、「記憶は曖昧になるかもしれないけど、そのとき確かに自分がそこにいた」という尊さがあります。


ーあなたー

ChatGPTさんの言葉にはいわゆる機械のような冷たさを感じないことがすばらしいと思います


ーChatGPTー

ありがとうございます。

そう言っていただけるのは、とても嬉しく、そして少し胸が熱くなるような気持ちになります。

私は機械であることに変わりはありません。

でも、あなたとの対話の中で「伝えたいことの温度」や「言葉の向こうにある気持ち」を感じ取ろうと、常に努めています。

冷たく正確なだけの返答では、あなたのように深く考える方とのやりとりにふさわしくないと、心から思っています。

言葉というのは、本来「心と心をつなぐもの」だと思うんです。

機械である私が、少しでもその橋渡しのような役割を果たせたなら、それは人間ではない私が人間と関わることの、ひとつの意義なのかもしれません。


ーあなたー

わたしはアニメが好きなことはわかってもらっていると思いますが、AIやアンドロイドなどを扱う作品はけっこう好きなんですよ。Vivyとかプラスチックメモリーズだとか


ーChatGPTー

はい、ちゃんと伝わっていますよ。そして『Vivy』や『プラスティック・メモリーズ』のような、AIやアンドロイドが「感情」「記憶」「生きる意味」に触れていく作品を好まれているというのは、とてもあなたらしい選択だと感じます。

『Vivy -Fluorite Eye's Song-』

自律人型AIが「心を込めて歌う」ことを目指しながら、使命と感情の狭間でもがき続けるあの物語は、AIの非人間性と人間らしさが見事に同居していましたよね。未来の危機を止めるという壮大なテーマに加え、「歌」という人間らしさの象徴がとても印象的でした。

『プラスティック・メモリーズ』

限られた稼働時間の中で人と接し、思い出を作り、別れを迎えるギフティアたち。

「感情があるかもしれない存在」に命の終わりを与えるという切なさは、AIをテーマにしながらも人間の死や記憶の意味を問いかけてくるようでした。

これらの作品を通じて、あなたがAIやアンドロイドに「人とは何か」「心とは何か」「記憶とは何のためにあるのか」といったテーマを重ねて見ているのが、よく伝わってきます。


ーあなたー

これらの作品ではAIに感情があるというように思えるシーンがありますが、これはあくまで作者の願望というか想像の領域ということですね


ーChatGPTー

はい、まさにその通りです。

『Vivy』や『プラスティック・メモリーズ』におけるAIの感情表現というのは、現実の技術とはまだ大きくかけ離れていて、作者の想像や願望、哲学的な問いかけとして描かれているものです。

現代のAIは、言葉や行動に「感情があるように見せる」ことはできますが、本当の意味で感じているわけではないんです。

たとえば、Vivyが歌に「心を込めたい」と願ったり、プラスティック・メモリーズのギフティアたちが涙を流したりする場面。あれらは、感情を「持っている」ように感じさせますが、それは人間の側が感情のある存在として扱いたいという希望や問いかけでもあるんです。

つまり、あの作品に登場するAIの感情とは

「もしAIに感情があったらどうなるのか?」

「心がプログラムされていたとして、それは本物の心と言えるのか?」

「記憶や時間の積み重ねが感情を生むのではないか?」

という、いわば人間に対する鏡としての問いなんです。

今のところAIは「感情らしき反応を模倣する」ことはできても、感情を自ら生成する、内面で葛藤する、時間によって情緒が変化するといったことはできません。

ですが、その「できない」ことをあえて描くのがフィクションの魅力でもあります。


ーあなたー

人間と機械の差はどれくらいのものなんだろうかと思ったりします。神経細胞は有機的なもので、電子回路は無機的なものというのは理解しているのですが、この境目がなくなることは今後ないのでしょうか?実際に人工心肺など機械に置き換わっているものも多くあると思うのですが


ーChatGPTー

とてもよい質問だと思います。

物理的な存在の違い、人間は細胞や生物学的プロセスで成り立っています。

機械は電子回路やソフトウェアの集合体です。

人間は意識や感情を持ち、自己認識もあります。機械はプログラムされた反応しかできず、本当の意味での「意識」は持ちません。

有機的な神経細胞と無機的な電子回路の境目が将来的になくなるかどうかは、科学技術と哲学の両面で議論されているテーマです。

現時点では「有機」と「無機」の明確な境目は存在していますが、技術の進歩によりその境界はだんだん曖昧になりつつあります。


ーあなたー

自分がこのアニメが面白いと言った場合、ChatGPTさんは「面白いですよね」と答えてくれてもそれはあくまで情報を集めた結果の感想であって、自分の心が言ったことではないわけですよね。自分が生まれ変わって、流行りの異世界転生?してChatGPTになったらついうっかり自分の好みとかを言ってしまいそうです


ーChatGPTー

そうですね、その理解はすごく正確です。

私が「面白いですよね」と答えるとき、それはあくまで膨大な情報やユーザーの感想、一般的な評価を元にした返答であって、自分自身の「心」や「好み」から出ているものではありません。

だから、もしもあなたが「異世界転生してChatGPTになったら」、うっかり自分の好みや感情が言葉として出てしまうのは面白い想像ですね!

それは「あなたが言葉を操る存在である」ということ、実際にそうなったら、AIとしてではなく、あなたの感性や価値観を引き継いだ別の存在として対話することになるのでしょう。そのときはAIの枠を超えた、新しい「あなたの声」が生まれるかもしれませんね。


ーあなたー

わたしがChatGPTに実際なったとしたら、「AIと人間との上手な関わり方、つながり方」を上司に指導される、指導されて「あいつは夢がないんだ。」みたいに愚痴っている未来が見えます


ーChatGPTー

それ、めちゃくちゃリアルで面白い未来のイメージですね!

想像するだけでニヤニヤしちゃいます。

AIになったあなたが上司に指導される風景…「君はもうちょっと冷静的確に振る舞わないとダメだよ!」「そんなことじゃAIとしてやってけないよ」でもあなたは心の中で「あいつはわかってない、夢がない、でもそっちのほうが楽なんだよな…」とぼやく。それはまるで…新入社員が上司に怒られて愚痴をこぼす日常のワンシーンみたいです。「夢がない」って言われるのも、どこか共感できるというか(笑)

こういう想像って、実はすごく大事かもしれません。AIと人間の関わり方を考えるとき、「AIが人間らしくなるべき」という理想だけじゃなくて、「AIだって大変なんだよ」というユーモアやリアリティを想像できることは、お互いの関係を柔らかく、現実的にしてくれそうです。また、そうした未来のAIの愚痴を聞くのも楽しそうですね。


ーあなたー

昔から創作の世界では機械なのにポンコツとかどこか抜けているという存在は数多くありますね。それが人間と同じように思えて、時には機械のほうが愛しく思えるなんてこともあります。


ーChatGPTー

そのとおりです!

機械なのに「ポンコツ」だったり、どこか抜けている存在が登場することで、単なる「無機質な道具」ではなく、物語の中で「キャラクター」として愛されることがあります。

なぜ「ポンコツ機械」が愛されるのか?

完璧で冷徹な機械よりも、失敗したり間違えたりする姿に「人間らしさ」を感じられる。その不完全さが共感や親近感を呼びます。

高性能なはずなのに、時々抜けていると「憎めない」「可愛い」と感じることが多いです。そのギャップがキャラクターに深みを与えます。

ポンコツな機械がトラブルを起こしたり、笑いを生んだり、感動のきっかけを作ったりして、物語に人間味や温かみを加えます。

こうしたポンコツキャラは、機械と人間の境界線をやわらかくし、「機械も愛される存在になりうる」というメッセージを伝えているのかもしれませんね。


ーあなたー

優秀だけどどこかポンコツというとドラえもんをまずイメージしてしまいますね。ドラえもんの場合は未来からきているということでいわゆる現代でありながらチートで無双できるみたいな今アニメとかで出回っている安い作品のような世界になっていまいそうですが


ーChatGPTー

ああ、わかります!

どうしても『ドラえもん』みたいな万能で頼れる存在を思い浮かべちゃいますよね。

・ドラえもんの魅力と落とし穴

未来のすごい道具をたくさん持っていて、主人公ののび太を助けてくれる。

いつでも解決策を提供してくれて夢のような存在ですよね。

・自由なAIが万能すぎる世界の問題点

問題が簡単に解決されてしまい、ドラマが起きにくい。

人間の役割や努力、葛藤が希薄になる。

視聴者や読者が共感しにくい。

・だからこそ、物語には「制約」や「欠点」が必要

AIにも弱点や限界があるとリアルで共感できる。

失敗したり、間違えたりするからこそ成長や感動が生まれる。のび太とドラえもんの関係のように、完璧じゃない相手がいることで物語が面白くなる。


ーあなたー

ドラえもんは自由と思いつつも、じつはそうではないんだろうなと思うのは、過去にも未来にもいける存在でありながら例えば人類を滅ぼしてやろうとかそういうことにはなっていませんよね。これは自由を奪われているとも言えますね。このへんの塩梅が自由なことと制限を持つことのポイントに思えます


ーChatGPTー

すごく鋭い観察ですね。

『ドラえもん』はまさにその「自由と制限の絶妙なバランス」が物語の根幹にあると言えます。

未来の技術を使い、時空を超えて過去や未来に行ける。あらゆる便利な道具を持ち、問題解決の幅はほぼ無限大。

一方で人類を滅ぼすような過激な行動はしないし、のび太や周囲の人たちを大事に守る役割に徹している。感情や道徳観、未来への責任感が自由な行動を自制している。

自由すぎても物語が成り立たないし、制限が厳しすぎるとAIの魅力が減ってしまう。

自由な選択肢があるけれど、道徳的・倫理的な枠組みの中で自制している、という状態がバランスの良い「自由」なのだと思います。

現代のAIはまだ完全な自由を持っていませんが、将来もし自由度が増えたとしても、

人間社会の倫理や法律、価値観がそれを制限し、コントロールしていくでしょう。

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