第20話 それは加護か、呪いか


「嘘をつくな!」と、豊河彦とよかわひこが叫んだ。


「――そなたは、父上の願いを叶えるために陽菜ヒナを娶ったのであろう? すべては〝日嗣ひつぎの御子〟の地位を盤石にするためではないか!」

「ちがうっ……俺は何度も父上に言いました。俺に〝日嗣の御子〟になる資格はないと!」

「はっ? まさか、そなたが辞退を願ったのに父上が受け入れてくださらなかったと言いたいのか? そんな筈はないだろう! 嘘をつくな、忌々しい魔物の子めっ! 父上の正当な子は私だけだ。私こそが次代の大王である〝日嗣の御子〟だ!」


 豊河彦が怒りにまかせて振り下ろした弓が、矢速の顔を打ち据えた。

 矢速の左耳の上から流れ出した熱い血が、頬を伝って顎から滴り落ちる。もしも咄嗟に顔を背けていなければ、豊河彦の弓は矢速の左目を直撃していただろう。


(魔物の……子)


 打ち据えられた傷よりも胸が痛んだ。異母兄あにの言葉は、ずっと血を流し続けていた矢速の心を奥深くまで刺し貫いた。

 確かに、異母兄に対する遠慮はあったろう。けれど、自分に〝日嗣の御子〟の資格はないと、矢速は心の底からそう思っていた。だからこそ、何度も父に辞退を願い出たのだ。


(俺の想いは……いつだって伝わらない。俺が、呪われた、魔物の子だから……)


 思考が暗闇に落ちてゆく。

 再び弓を振りかぶる異母兄の姿を呆然と見上げ、いっそひとおもいに殺してくれと願った時――ヒュッと風切り音が聞こえた。

 音を聞いてすぐ、ドンッと右肩に衝撃を受けた。その勢いに押されて、背後の木に背中を打ちつける。

 矢速の視界に映る異母兄は、弓を振りかぶったまま目を見開き悲鳴を上げている。

 矢を射たのは彼ではない。ならば誰が――矢速は緩慢に視線を移した。


 ○○


「ヤハヤ!」


 特徴のある巨石が鎮座する森の中の広場。

 叫び声を聞いて駆け戻って来たヒナが目にしたのは、右肩に矢を受けて木の根元に座り込んでいる矢速の姿だった。


(いったい何が……)


 ハッと息を呑んで素早く周りを見回せば、矢速のすぐ近くで無様に尻餅をついている豊河彦と、少し離れ場所に立つ背の高い男の姿が目に入る。その男の手に短剣が握られていることに気づいたヒナは、衝撃のあまり緩んでいた足を速めた。


「陽菜っ、待つんだ!」


 共に駆けてきた那々彦がヒナの腕を掴んで引き戻そうとしたが、ヒナはその手を無言で振り払う。刺客から矢速を守らなければ。その思いだけで、ヒナは矢速と刺客の間に滑り込んだ。


「なぜヤハヤを狙う? 誰に頼まれたの?」


 木の根元に座り込む矢速を背に庇いヒナは男に問いかけたが、男は口を開かない。

 すぐ横で腰を抜かしている豊河彦は、きっと襲撃の計画さえ知らなかったのだろう。そう察したヒナは、この場にいるもう一人の男――那々彦に視線を移した。


「私ではないよ」

「なら、真津姫の指示なの?」


 もう一度男に視線を戻してそう問うが、男はやはり口を開かない。ただ、木面のようだった顔に面白がるような表情が閃いた。口元が僅かに笑みの形を作っている。

 男の視線を強く感じたが、すぐに違和感を覚えた。男はヒナを見ているようで見ていない。


(ヤハヤを……見てる?)


 そう思った瞬間、背後に感じていた矢速の気配が一変した。

 張りつめた、凍えるような霊威が、ビリビリとヒナの背に伝わってくる。

 まるで別人のようになった矢速の気配が、ゆらりと立ち上がる。

 我慢できずに矢速に振り返ったヒナは、その瞳が黒から薄い色へと変化してゆく様を見るなり、背後にいる刺客のことも忘れて力いっぱい矢速を抱きしめた。



『――こんなことを言ってはなんですが……雷に打たれたという側仕えは、幼い矢速様を手にかけようとした刺客なのでは? 普段は眠っている矢速様の異能が、命を狙われたことで覚醒した、という可能性もあるかと』



 あの日、山吹やまぶきが遠慮がちに口にした言葉が脳裏を過る。


(もし本当になら……)


 何としても止めねばならない。刺客が死んで傷つくのは矢速自身なのだから。


「ヤハヤ……異能ちからに操られてはダメ。自分の意志で操るのよ。今のあんたは一人じゃないわ。あたしがいる。絶対に死なせないから。あの男を殺してはダメ。鳴神の力をあんたが制御するの。ねぇ……ヤハヤ……ダメよ、だめ……あの男を殺してはダメよ!」


 矢速の体を強く抱きしめ、彼の耳元で囁いていたヒナの声が叫びに変わった――その時。

 目を射るほどの強烈な雷光が閃き、大地が轟いた。



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