第17話 呪詛と羨望


「はぁ~。何もすることがないっていうのも困るわね」

「まぁまぁ、お茶でも飲んでゆっくりなさってくださいな」


 苛立ちを隠せないヒナに、山吹がお茶を淹れてくれる。

 岩の里にいた頃は誰もが自分の仕事を持っていたから、ヒナは今まで暇を持て余したことはなかった。皆で働き、手にした糧は皆で分け合う。それが、いにしえの民の考え方だから、いつも何かしらやることがあった。

 しかし、この志貴の宮ではヒナに出来る仕事はない。それだけでも困っていたのに、数日前、ベロベロに酔った矢速に「宮の外に出ないで欲しい」と懇願されてしまってからは、外へ出るのもままならない。


 理由を聞いても、矢速は答えてくれなかった。それどころか「とにかく宮を出ないでくれ」と重ねてお願いされてしまった。

 時期的に、那々彦ナナヒコがらみだと直感したものの、どう問いかけたら良いのかわからなくて、ヒナはもう一つの質問と一緒に飲み込んでしまった。

 話し合うのが一番良い方法だとは思う。それでも、無闇に質問して矢速の心を傷つけてしまうことだけは、出来るだけ避けたい。


 自分は嫌われている。そう言いながらも、その理由については話すことを拒否する矢速。もしも彼が、幼い頃に起きた落雷の件を覚えていて、それを深刻に受け止めているのなら、矢速に落雷の件を尋ねるのは良くないのではなかろうか。


「ねぇ、山吹やまぶきはどう思う? 落雷の件、ヤハヤに尋ねるのは良くないと思う?」

「難しい質問ですね。尋ね方に配慮は必要だと思いますが、私はお二人で話し合われた方が良いと思います」

「そう……よね」


 思案しながらヒナがお茶を一口飲み込んだとき、宮の入り口がガタガタと音を立てた。

 パッと目を合わせてヒナと山吹が立ち上がる。山吹が先に立って控えの間に続く御簾に手をかけた瞬間、薄藍色の衣を着た矢速が倒れ込んできた。


「ヤハヤ! どうしたの? 具合が悪いの?」

「胸が苦し……」


 床に伏した矢速の手が衣の胸の辺りをギュッと握りしめている。ヒナは体の大きな矢速を受け止めきれずにその場に座り込んでいたが、チリチリと肌を刺すような感覚にハッと顔を上げた。


「山吹! 宮の外に誰かいるか見てきて!」

「はい」


 サッと直ぐさま立ち上がり、山吹が御簾の向こうに消えてゆく。

 ヒナは脂汗を浮かべ苦しげな息をする矢速の頭を膝に乗せて、震える唇を噛みしめた。


(これは……たぶん、呪詛だ)


 昔――母に尋ねたことがある。異能を使えるというのはどんな感じなのかと。

 あの時はまだ子供で、自分が母の異能を全く受け継げなかったことにそれほど引け目を感じてはいなかったから、それは無邪気に尋ねたものだった。

 そんなヒナに、母は出来るだけわかりやすい言葉で答えてくれた。神と言葉を交わすときのピンと張りつめた清浄な空気感や、恐ろしいほどの畏怖の念。削り花に力を込める時の多幸感。異能による感覚は多岐にわたったが、母が眉をひそめながら言った言葉は今でも鮮明に覚えている。


『――人の手による呪詛は、チリチリと肌を刺すような、とても嫌な感覚がするんだ』


 異能を持たない自分が、母と同じようにその感覚を受け取れるとは思えない。ただの思い過ごしであって欲しい。

 祈るように目をつむるヒナの肌から、スッと刺すような感覚が消えた。


「陽菜様。私が外に出ると男が一人庭木の影に潜んでいましたが、すぐに立ち去りました。追いますか?」

「だめっ……危険だわ!」


 ヒナは咄嗟にそう答えた。

 矢速に呪詛をした相手が誰なのか、それはもちろん探りたい。でも、その結果、もしも山吹まで倒れたりしたら、どうして良いのかわからなくなってしまう。

 息づかいが和らいだとは言え矢速もまだ伏したままだ。只人のヒナでは、矢速も山吹も、大切な人を誰一人として守ることが出来ない。


(こんな時、母さまなら……あたしに、母さまみたいな力があれば……)


 物心ついたときから憧れていた母の力。今ほど、心の底から切望したことはない。胸が痛くなるような羨望の思い。けれど、ヒナがその力を手に入れることはないのだ。


 絶望に似た暗闇に意識が落ちていく。

 そんなヒナの耳元に、突然バサバサバサと羽ばたく音が聞こえてきた。

 ハッと顔を上げたヒナの肩に、どこから現れたのか白い鴉がとまる。


「どうしてオレを頼らない? まったく……親子そろって世話が焼けるんだから」

「鴉の王? なんでぇ?」

「話は後だ。オレに任せろ!」


 現れた時と同じように、白鴉は忽然と姿を消してしまった。

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