傷ついた僕たちは河川敷にいる

道端ノ椿

1話「少女との出会い」

 僕には友達も恋人も必要ない。


……いや、正確には、いらないと思うようにした。人と関わっても僕だけが損をする。『対等な関係』なんて幻想だ――可奈と出会うまではそう思っていた。



 ◇ ◇ ◇



 僕は毎朝、近所の川岸を歩いている。社会人になり、人生の退屈さを紛らわすために始めた日課だ。陽の光を浴び、自然の中で深く息を吸う。そうすると、頭の中が少しだけんでいくのだ。


 ある蒸し暑い夏の土曜。汗を拭いながら川沿いを歩いていると、目の前にが現れた。ゴミの山である。使い終わった花火、酒の空き缶にタバコの吸い殻。


 僕は激怒した。おそらく、メロスと同じくらい激怒した。この『廃棄物処理法違反』を、どうにか止められないかと考えた。答えは簡単だった。拾えばいいのだ。


 さっそく、市民センターでボランティア袋を手に入れた。百均でトングと軍手を買って、先ほどの犯罪現場――川辺に戻った。

 僕とは無関係なゴミを、無心で拾う。僕のおかげで川がきれいになる。心は軽くなり、『世界と繋がっている』と思った。自己満足でも構わない。これで僕を見た誰かの美化意識が変わるかもしれない。




 およそ二時間後の帰り道。河川敷かせんじきの階段に、ひとりの少女が座っていた。年は女子高生くらいだろうか。黒いブラウスに茶色いスカート、麦わら帽子。風に揺れる黒髪のロングヘア。ひざには文庫本らしきものがある。

 まるで映画のワンシーンみたいだ。えている。しかし、ひとつだけ気になることがあった。


(スカートに気をつけて。見えてしまいそうだから……)


 声をかけるべきか迷ったが、やめた。『君子、危うきに近寄らず』である。そんなことを考えていると、不意に彼女と目が合った。お互いに視線をらし、彼女はそそくさと立ち去った。人付き合いは難しい。




 次の週も、僕はゴミを拾った。この日は曇りで、気圧性頭痛は薬でごまかした。例の河川敷に、またあの女子学生がいた。今日は白いTシャツにゆったりとしたジーンズ、グレーのキャップ姿。また石段に座って読書をしている。誰かを待っているのだろうか。目が合ったが、今日の彼女は立ち去らない。僕の中で何かが動き始めていた。恋愛感情とは違う、不思議な感覚が。




 さらに次の土曜日。今日は猛暑で、セミの声が世界に響いている。元気なのは子どもと虫だけだった。僕は今日もゴミを拾う。川沿いの生温かい風を受けながら。ゴミは着実に減ってきた。僕の小さな行動が実を結び始めたのだ。


「お兄さん、友達いないの?」


――心臓が止まりそうになった。慌てて顔を上げると、そこにいたのはあの女子学生だった。彼女は首をかしげ、こちらを見つめている。


「お兄さんってば、友達がいないんでしょう?」

 嫌味のない、気さくな話し方だ。僕は突然のことに動揺して、一度目は返事をし損ねていた。


「いや、別にそういうわけじゃないけど……」


「じゃあ、どうして一人でゴミ拾いなんてしてるのよ?」


「それは……」

 思わず顔が熱くなった。

「散歩する時に、ゴミが見えて嫌だったから……」

 話すうちに声が小さくなり、額は汗ばんだ。


「ふーん」

 彼女は退屈そうに髪を触った。相変わらずきれいな黒髪ロングで、今日はネイビーのバケットハット。よく似合っている。

「私も友達いないから大丈夫だよ」


 嘘だ。こんな活発そうな女の子に友達がいないはずがない。僕がひとりぼっちなのは事実だが。そもそも友達や恋人がいれば、ゴミ拾いなんてはしていない。欲を満たす方法はいくらでもあるのだから。

 機械のように言われた仕事をやる毎日。やりがいはないし、職場で雑談する相手すらいない。僕はため息をつき、黙って彼女の横を通り過ぎた。


「ねえ、怒った?」


「別に」

 僕は落ちているゴミを無視して、立ち去ろうとした。


「ひとりにしないで……」

 それと同時に、「ひっく、ひっく」と泣き声が背中で聞こえた。首筋に汗が滲み、僕はすぐに後ろを振り返る。すると、彼女は顔をおおっていた手の隙間から僕を見て笑っていた。一滴の涙も出ていない。あれは上手な嘘泣きだったようだ。僕は肩を落とし、再び背を向ける。そしてチョコレートの箱を一つ拾い上げた。


「彼氏と別れたの」と彼女はひとりごとのように言った。


 だからなんだ? そんなつまらない話は、もっと優しいイケメンとすればいいじゃないか。


「浮気されてたのよ。それも三股」

 彼女は一人で話し始めた。まるで日常会話のようなトーンで。

「ひどいと思わない? こんな可愛いガールフレンドがいながらさ」


 僕は無意識にうなずいていた。確かに、彼女は魅力的な容姿だと思う。性格は少し生意気だが。


「私にはパパもいないの。小さい時に突然家を出ていってさ、今では顔も思い出せないわ。私はいい子だから、そのことをママに聞いたりしないけどね」


 彼女はさりげなく僕のとなりにやって来た。ふたり並んで歩き、ゴミがあれば立ち止まって僕が拾う。


「最近、ママに彼氏ができたの。年は四十歳くらいかな」

 少女は小さくため息をついて続けた。

「毎週土曜日にね、その男は家に来るの。それで前の日にママはお小遣いをくれるんだけどさ、それって『邪魔しないで』ってことじゃない? それくらい私でもわかるわよ。私だって、彼氏と家でしたい時に家族がいたら嫌だもの」

 少女は他人事のように淡々と話していた。悲しい表情ではないし、怒ってもいないように見える。

「だから、いつも土曜日は私の彼氏と過ごしてたんだけどね。別れちゃったからにいるってわけ」


 僕は興味がないフリをしつつ、しっかり話を聞いていた。彼女には人をきつける何かがある。


 正面から老夫婦がやって来た。腕を振り、速いペースで歩いている。婦人はゴミ拾いをする僕に気づくと、やわらかい笑顔を見せた。

「ありがとうございます」


 僕は「どうも」と言って会釈えしゃくした。女子学生は僕以上に誇らしげな態度で老夫婦に挨拶している。そんな風にできる彼女のことが、段々とうらやましくなってきた。



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