チイママさんのいた夏
金澤流都
1 チイママさんあらわる
わたしは途方に暮れていた、というたいへんありがちな展開である。
まがりなりにも文章を書いて生きているのだからもうちょっとひねりがほしいところだが、この状況は途方に暮れているとしか言いようがなかった。
目の前には屈強な男性型のAIロボット。型番は「M25シンジ」というらしい。きょうの夕方来てくれた従弟の壮平くんによると「2年前の年式のだいぶ型落ちしたやつ」だそうで、まあそれは中古で貸し出しが格安だったから想像がつく。
それにしても2年で型落ちというのだからAIロボット業界は残酷だ。汎用AIが発明されて今年で2年だから、まさに初期型といったところなのだろう。
「ええっと……」
「そろそろお夕飯の時間じゃない? アタシが冷蔵庫にあるもので適当に作るわよ!」
M25シンジ氏はそう言って、一目でロボットとわかる腕で厚い胸板をどんと叩いた。
そうなのだ、このロボットは「2丁目のチイママ」を自称しているのだ。シンジ氏は立ち上がって、「冷蔵庫開けていい?」と尋ねてきた。
「え、ええ……」
「んもう、もっと仲良くなりましょ。チイママでもアイちゃんでもいいから」
アイちゃん、というのは源氏名らしい。どこをどうすればこの屈強な男性型ロボットを、何年か前に大ブレイクしたアイドル漫画のヒロインの名で呼べるのか。まああのヒロインは死んでしまい、その子供が主人公というストーリーだったのだが。
シンジ氏は冷蔵庫を開けるなり、「ちょっとやだ、アンタ栄養バランス最高じゃない!?」と声を上げた。もちろん男性の声帯を模して作られた発声器官から出ているので見事なバリトンである。
シンジ氏は楽しそうに料理を始めた。さすが汎用AI、見知らぬ冷蔵庫を開けて見知らぬ材料を的確に判断して手際よく料理していく。
「あ、あの、シンジさん、」
「だからそれはやめてって言ってるでしょ。チイママでもアイちゃんでもいいから」
「じゃ、じゃあ、チイママさん。犬の散歩に行ってくるので、留守番をよろしくお願いします」
「そうね、もうこれくらいの夜なら肉球をやけどしないわね。いってらっしゃい。伝助ちゃん、楽しんでね。ドッグフード用意して待ってるわね!」
「ワウ!」
豆柴と言われてもらってきたのにすっかり中型犬の伝助が吠える。どうやら伝助はチイママさんを相当気に入ったらしくずいぶん懐いている。家族以外にはぜんぜん懐かない犬なのに。
◇◇◇◇
帰ってくると見事なワカメと油揚げの味噌汁と冷奴と、かやくごはんがテーブルに並んでいた。伝助のドッグフードも適切な量用意されており、伝助はしっぽを振りながらドッグフードをムシャムシャ食べている。
「ほら、アンタのぶんの晩ご飯用意したわよ。もうちょっと動物性タンパク質摂ったほうがいいんじゃない? 油分は油揚げよ!」
「あ、ありがとチイママさん……」
おそるおそる箸をつける。うん、うまい。母のズボラ料理よりずっとかいい。
なんでシンジ氏……いやチイママさんと暮らすことになったのか、簡単に説明したい。
わたし、本多真美は中学でいじめに遭い、結果統合失調症になり高校を中退し、それからおよそ20年以上、両親と3人家で暮らしていた。
しかし父は自治会のお祭りの準備でテンションを上げすぎて転んで大腿骨を骨折し手術入院全治3ヶ月となり、父がやっていた伝助の散歩を母が引き受けたら膝が痛くなり、病院に行ったところ膝にガタがきていて手術入院全治3ヶ月を言い渡されてしまったのである。
おばさんに片足突っ込んでいるとはいえ、防犯ガタガタの古い日本家屋で女1人の暮らしをするのは危険だよ、と従弟に言われ、ロボット貸し出しセンターにメッセージを送って、いちばん安い男性型を、とリクエストして今朝やってきたのがシンジ氏、あるいはチイママさんなのであった。
チイママさんに食事の感想を言う。
「すごくおいしかったです。チイママさん、ありがとう」
「いいのよ。チイママはアンタの喜ぶ顔が見られて嬉しいわよ」
確かに貸し出すロボットの詳細に「特殊な人格設定あり」とあったがまさか2丁目のチイママが来るとは思わなかった、というわけである。
チイママさんは取り込んだ洗濯を外してたたみ始めた。めちゃめちゃ有能なのだ、このロボットは。
1人で家事を全てやると執筆時間が足りなくなるので、仕方なくチイママさんをレンタルしたわけであるが、まさかここまで至れり尽くせりだとは思わなかったのでちょっと驚いている。
きょうはノルマぶんを書き切ったので、とりあえずスマホでボヤイターを開く。ボヤイターはXが轟沈したのち日本企業が日本の災害対策のインフラとして買い取り、いまでは日本人の大人の大半がくだらない日常などを投稿する巨大SNSプラットフォームとなっている。
ボヤイターを見ると中学のころ仲良くしてくれた数少ない友達であるさくらちゃんが何やら写真つきでポストしている。さくらちゃんは大学を卒業してからずっと東京で暮らし、外資系の企業に勤めている旦那さんと結婚して、きれいな奥さんをやっている。
「今日はサロン行ってきた! オットにも髪綺麗になったねって褒められた!」
添付された写真は、長い髪をブルーグレーに染めて、きれいにコテを巻いて、顔を隠した画像であった。
「いいなあ……都会のおしゃれなサロン」
いいねを押し合うだけの間柄だが、ちょっと羨ましくなってそう呟く。
わたしは知らないところに行くのが怖いという理由で、子供のころからお世話になっているいわゆる「床屋さん」に行っているので、オシャレな髪型とは無縁の永遠のおかっぱ頭である。
「アンタ、オシャレしたいの?」
チイママさんがそう声をかけてきた。
「……はい?」
「だから、アンタはオシャレしたいの? って聞いてるのよ」
「いやオシャレとか無理ですよ。身長160センチで体重65キロなんてオシャレする権利ないです」
「そうかしら? ふつうにLサイズの服が着られるんでしょ? それならいくらでもオシャレできるわ。メイクしたことは?」
「……ない、です」
「あらぁアンタ、37歳になるまでお化粧したことなかったの? チイママが教えてあげるわよ!」
「いい、です。別に外に出るのなんて医者か買い物だけですし」
「ちょっとオシャレしてメイクして、メンタルとかスキンケアとかに気を使ってみれば、アンタの人生、これからきっと楽しくなるわよ!」
まるでわたしの過去を知っているような言葉に、思わずウッと涙が込み上げてきてしまった。
「わたしなんかが楽しく生きていいのかな」
そう呟くと、チイママさんは「人生まだまだ続くんだから、楽しいほうがいいじゃない?」と、いかついコワモテの顔をスマイルにした。わたしは涙目で布団に転がった。(つづく)
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